兄弟、アシュレイを借りる……?
今回は寄り道している時間はない。
農場地区にはヴァルドの魔法植物ファームもあるけれど、その隣を素通りしてレオたちは一番南端に位置する大きな農園にやって来た。
「職人ギルドから話は聞いているよ。お前さんたち、アシュレイを借りたいんだって?」
対応してくれた農場主は羽振りの良さが見える身なりをしているが、特にこちらを舐めるような感じではない。従業員に任せずに自身で出てきているし、思いの外親切な感じだ。職人ギルド支部長の口利きだから仕方なく、というような嫌々感もない。
ロバートがなぜあんなことを言ったのか不思議に思いつつも、レオは用件を告げた。
「テムまで馬車を運びたいんだが、道中で万が一魔物に遭っても動じない根性の据わった馬が欲しくてな。危険な目に遭わせない約束はするし、金も払う。数日間その馬を貸りられないだろうか」
「根性の据わり方で言ったら、確かに問題ないけどな……。しかし言っておくが、アシュレイは言うことを聞かないぞ。ウチでも農耕馬として置いているが、図体がでかいばかりでほとんど仕事をせん」
「農耕馬なのに仕事をしない……? そんな馬を、なんで飼ってるんだ?」
「ずいぶん昔にこの土地を買った時に、すでにここに居たんだよ。馬車馬にしようと躾けてみたこともあるけど言うこときかないし、森に放しても街にバレて戻されるし、馬肉にしようとしたら馬力がすごくてこっちが殺される勢いだし、背中を見せるとすぐに鼻水付けてくるし……。手を焼いている馬なんだ」
……なるほど、ロバートが農耕馬なのに簡単に仲介を請け合ってくれたのは、こういう事情を知っていたからか。これなら数日貸し出したところで影響もなかろう。
「でも、肝が据わってて、農場を荒らしに来る熊やイノシシにも動じないって聞きました。農園の番として役に立っているんじゃ?」
ユウトが首を傾げて訊ねると、農場主はため息を吐きつつ首を振った。
「確かに動じないが、それだけだ。熊たちが農場を荒らしてる隣でのほほんと寝ている。追い払ったりしないんだよ」
「それは見事な役立たずだな」
力があって魔物に動じなくても、そこまで使えないとなると問題だ。かなり扱いづらそうだし、他を当たるべきだろうか。
しかしそう考えたレオに、農場主はアシュレイを押しつける気満々だった。
「それでもアシュレイを借りていってくれるなら無償で構わんよ? いや、いっそそのままどこへなりとも連れて行ってくれてもいい。3日分の餌も付ける!」
「明らかなお払い箱物件じゃねえか」
「もー、そのうち老衰するかと思ったのに全然元気だしさあ! とりあえずちょっと見てみて! もしかするとフィーリングが合うかも!」
「農場主さんの押しがすごい……」
余程その馬を持て余しているのだろう。ユウトも引いている。
でもまあ、テムまでの片道さえどうにかなればいいのだ。レオならある程度威圧することで動物を屈服させることは出来る。無償で貸してくれるというなら試してみてもいいだろう。
万が一怪我をさせても問題なさそうだし。
「見るだけ見る。案内してくれ」
「まいど!」
「……あれ、すでに譲渡になってない? 大丈夫?」
農場主の案内で、厩舎に向かう。
敷地規模に見合った、なかなか大きな建物だ。
入り口から中を覗くと、数頭の馬が柵の中で歩き回っていた。
……その一番奥に、遠近感がおかしくなりそうなでかい馬が眠っている。間違えようもない、あれがアシュレイだ。
鹿毛の馬で、ずいぶん毛づやがいい。見た感じもまだまだ若い。筋肉にも張りがあった。これだけの体躯を持っていながら仕事をしないとは、もったいない話だ。
「あいつの気性は?」
「危害を加えなければ暴れることはない。基本はおとなしい……というか、怠惰だ。だいたい寝ている」
寝ているが、耳だけは立てて反応しているようだ。一応、ここにレオたちがいることは分かっている。
ただ、興味はないのだろう。そのまま動くことはなかった。
こちらからゆっくり近付いていき、柵越しに馬の一番近いところに行く。それでもアシュレイは首をもたげることもしない。
完璧に人間を舐めてる。
ロバートの言う『舐められる』というのは、どうやらこいつからのことのようだ。
「アシュレイ、起きろ! この方が新しいご主人だぞ!」
「待て、主人になるとは言ってない」
「こら、立ち上がって挨拶せんか! ……うわっ、汚なっ!」
農場主が近くにあった箒の柄で馬を軽く小突くと、ブルルル、と口を震わしてよだれを飛ばしてきた。こんなのをユウトにやられたら、確実に殺す。
……一度、強い殺気で威嚇してみようか。この舐めた態度も変わるかもしれない。
そう思ったが、危害を加えようとすると暴れるという話も同時に思い出す。
レオの殺気で危機感を覚えたら、暴れ出すかもしれない。そうしたら、おそらくこの厩舎はだいぶ破壊されるだろう。なにぶん図体がでかいし、怠惰な割にしっかりとした筋肉が付いている。こんな普通の馬用の柵など、簡単にブチ折るに違いない。
さて、どうしようか。
「あれ、エルドワ?」
やはり他を当たるべきだろうかと考えたその時、後ろにいたユウトが少し慌てたような声を上げた。
振り返って見れば、エルドワがユウトの腕から飛び降りて、こちらに向かってくるところだった。
子犬はそのままレオの隣を通り過ぎ、再び寝に入った馬の元へトコトコと近付く。
そして、そこで一声鳴いた。
「アン」
「ヒヒン!?」
途端にアシュレイが飛び起きる。慌てたように立ち上がった馬の体高は2メートルをゆうに超え、エルドワなど軽く踏みつぶしてしまいそうだ。
しかしその大きな馬は、明らかに目の前の子犬に対して後込みをした。
「アンアン。アン?」
「ヒ、ヒン……ブルル……」
「アン。アンアンアン。アーン?」
「ヒヒン……ヒン」
「アアン? ガウ!」
よく分からんが、何か会話をしているようだ。さっきまでの舐めた態度はどこへやら、エルドワに叱られて(多分)竦み上がっている。
どういうことかと思ったが、この圧倒的な力関係にはたとこの子犬がかなり高位の獣系半魔だったことを思い出した。
もしかしてこの馬、獣人半魔か。
だとすれば長年ここにいるにもかかわらず、未だに元気で若々しい体躯をしている理由も、問答無用でエルドワに屈服している理由も、説明が付く。
「アンアン!」
しばらく馬とやりとりをした後、話がついたのか子犬がこちらを振り向いてぴるぴると尻尾を振った。どうやらユウトを呼んでいるようだ。
それに気付いた弟が、馬に近付いた。
「おい、不用意に寄って行くと危ないぞ! アシュレイは人間が近付くとすぐに髪の毛むしるんだ! 俺もそれでてっぺんがえらいことに……」
「大丈夫だ、心配ない」
農場主が慌てて声を掛けるのを、やんわりと制する。
彼のてっぺんがえらいことになっているのが本当に馬のせいかは定かではないが、エルドワに服従する半魔がユウトに危害を加えるわけがないのだ。
そして何より、この弟自身がおそらく半魔の中でも特別な存在。
思った通り、ユウトが近付いてもアシュレイは無礼を働く様子はなかった。
「こんにちは、アシュレイ。エルドワと話がついたのかな?」
「アン!」
「ブルル……」
エルドワが介入したことで、ユウトもこの馬が半魔であることに気付いたようだ。項垂れているアシュレイのその鼻頭を撫でる。
「僕たちの手伝いをしてくれる?」
訊ねたユウトに、馬は頭をすり寄せてきた。
それを見た農場主が、しばしぽかんと口を開けた後、いきなりレオの手をがしっと握る。その瞳が喜びに溢れていた。
「おめでとう! アシュレイはお前たちのものだ!」
「いや、こんなでかい馬どこに置けと……?」
ずっとここに居たということは、おそらく他には居場所がないからだ。人化ができない可能性もある。
無償で借りていけるのはありがたいが、そのままもらっても置き場所に困る。
しかしウキウキとした農場主はもうこっちの話を聞いていない。
レオの突っ込みを余所に、本当に3日分の餌を用意して、馬の柵を開けた。
「さらば、アシュレイ……ぐうたらで役立たずなお前の姿は忘れない! ……うわっ、すれ違いざまに鼻水付けて行くんじゃない! 絶対戻って来るんじゃないぞ、このアホ馬! ぎゃあ、最後に俺の靴に大量の糞を! クソったれがあ!」
……これは、連れて帰ってきても再び受け入れてはもらえなそうだ。
仕方がない、事が済んだらラダあたりに相談しよう。




