兄、イムカの意志を確かめる
「イムカさんって、皆さんに愛されてるんですね」
結局レオの膝の上でそのまま落ち着いたユウトは、部屋をくるりと眺めて呟いた。
確かに、過保護にされているにも程がある。
しかしユウトの言葉に謙遜するでもなく、イムカはやせ細った身体には不釣り合いな大らかな笑みを浮かべた。
「もちろんだ。そして俺も彼らを信頼している。人は宝だ。俺は何も突出した能力を持たない人間だが、人々の助けがあるから生きて来られた。……今、俺がこうしてここにいられるのも、助けられてのこと。あんたたちにも感謝している」
「……お前は、自分がどんな状況にいたか知っているのか?」
「それは知らんが、こうなる前に兄上が怪しい人間と悪事を企んでいることは知っていた」
どうやら、兄の企てでこんな状況になっていることは理解しているらしい。
「ジラックの現状については聞いているか?」
「ひどいとしか聞いていないが、俺に筋肉が付いたらジラックを救いに行くともう決めた。すでに筋肉増強計画の骨子は頭の中に出来ている」
「いやいや、イムカ殿の筋肉だけでどうにかなるもんじゃないでしょ。どんだけの筋肉信仰?」
「人は宝、と言った。俺が自分に出来ることを懸命にやっていると、助けてくれる人間は必ず現れる。感謝をし、礼を尽くせばその輪は広がる。俺は望みを達した時に、その立場にふさわしい自分であるために尽力するだけだ。とりあえず欲しいのは立場にふさわしい筋肉」
「結局筋肉かよ!」
人は宝か。なるほど、ジラック前領主がこの次男を次期領主に据えようとしたのが理解出来る。長男とは真逆。
おそらく政治能力的にはどちらも大して能がないのだろうけれど、部下がもり立てようと思う人柄、ポジティブさ、決断の速さ。それが圧倒的に違う。
ライネルが好むタイプの人間だ。おそらくイムカがその気になれば、あの国王は助力を惜しまないに違いない。
そんなことを考えていたレオに、イムカは単刀直入に問い掛けてきた。
「さて、ところで込み入った話とは? 兄上を倒してジラックの領主になれという話か?」
まさしく、そのものずばりだ。しかしレオは僅かに眉を顰めた。
特にどこかの所属でもない身なりの自分たちを見て、なぜそう勘付いたのか。
「……どうしてそう思う?」
「王宮付きの冒険者でもなければ、全員で転移魔石を持つパーティなどいない。おまけに俺に使う余剰分まで。それに筋肉も一流だしな。そんなあんたたちが俺をジラックから救出した目的なんて、それしかないだろう」
「んー、でも元々は他の目的で、イムカ殿はリーデン殿に頼まれてついでに助けただけなんだけどね」
「切っ掛けは問題ではない。そっちの無愛想な兄さんがさっきガイナ殿に、話が終わる前にリーデンが来たら引き留めろと言ってたろう。あいつが来ると面倒だと。リーデンは父上にも兄上にも俺にも逆らわない男だからな。兄上を倒すことを素直に受け入れるやつじゃない。ってことは、リーデンが来る前に俺にその話がしたいってことだろう」
……こいつ、アホポジティブを装って、思いの外切れ者だ。
もしくは、対人に関しての心眼があるのか。
まだ骨と皮だけのような身体なのに、その瞳と醸す雰囲気はやたらと力強い。
「本来なら近い未来、ジラックと王都が戦になり、おそらくジラックは焼け野原になるはずだった。しかしリーデンとあんたらの助けで、それは回避出来ることになった。俺が生きていたからだ」
一見自信過剰に聞こえる言葉。今はひとりの兵も従えていないというのに。
それでも彼には信念があり、周囲の者への信頼があり、必ず差し伸べられる手への確信があるのだ。これがイムカのポジティブの原点。
「ついでだろうが、俺は助けてもらってここにいる。ならば今度は俺がジラックを救う番だろう。まだ問われてもいないが先に言う。俺は兄上とタイマン勝負をしてラリアットで倒す! 最後はジャーマンスープレックス!」
……やはりアホなのか。まあどちらにしろ、兄と敵対する覚悟はあるということだろう。細かいことは考えていないようだが。
知略・策略のあるタイプではない。ただの無鉄砲にも見える。
しかし、この男の手綱を引き、脇を固める有能な側近が数人いれば、イムカは領主として存分にその資質を発揮するに違いない。
「お前が兄を倒し、領主になる意志があることは分かった。ジラックを救う気概も。だったらやはり、とりあえずは体力を取り戻すのが先決だろう。……お前がお前にできることをやっていれば、助けてくれる人間が必ず現れるというなら」
レオがそう告げると、イムカは嫌みのない嬉々とした笑顔を見せた。
今、こうして話していることがすでに、彼にとっての助力の一端であることを確信しているのだ。
ポジティブであるゆえか、きっと自分に向く機運を見抜くのが得意なのだろう。
その時、不意に部屋の扉が叩かれた。
入ってきたのは料理人の男だ。レオたちに出すお茶を持っている。
「みなさん、お茶どうぞ。イムカ様、おかゆは時間が掛かるのでもうちょっと待って下さいね」
「うむ、構わん。ありがとう、世話を掛けるな」
「とんでもない。またイムカ様の食事を作れるなんて、楽しくて仕方ありませんよ」
イムカの一言だけで、男は破顔する。
そしてすぐに煮ているおかゆの火加減を見に戻っていった。
「ほんと、イムカ殿って愛されてんねえ」
お茶に手を伸ばしながらネイが言うと、イムカは頷く。やはり謙遜はしない。
「俺は父上のように領民に愛される人間になりたいのだ。ただ、駆け引きなんかできんからな、ただ愚直に皆を大事に思い、感謝を伝えてきた、その結果だ。でもまあ、甘えることも多かったが」
「ま、それがいいんだろうね」
「しかし、今のままでは領民に評判が良いだけの前領主の次男坊だ。もっと知らなければならないことや、持たねばならない覚悟もある。そしてまずは筋肉を付けないと! ああ、ジラックを救う近い将来の俺、想像するだけで格好良くてワクワクする……!」
再びビルドアップをした自分の姿を想像しているのだろう。どこか陶酔したように中空を見上げるイムカは若干気色悪いが、なりたい自分を具体的に想像すると現実化しやすいというからまあいいか。
それに実際、領主として民を先導するなら見た目はかなり重要だ。筋肉を付けた頼りがいのある身体は、それだけで印象があがる。
ライネルだって仕事で忙殺されていてもきちんと身体を鍛えているし、声や身なりも気を付けているのだ。
「……まあ、頑張れ。領主として持つべき知識や知るべき状況なんかはリーデンに聞くといい。どうせお前を心配してしょっちゅう来るだろうから」
「そうだな、兄上が領主でいるから渋るだろうが。それでも、時流に乗って状況が変わることもある。俺は今できることをするまで。まずは筋肉」
「イムカさん、筋肉への愛がすごい……。今度僕も筋肉の付け方教えてもらおうかなあ」
「やめろ、許さん。今現在そのお前が最高に可愛い。余計なことするな」
この弟は以前もそんなことを言っていたが、以ての外だ。レオは即座に却下した。それにユウトが頬を膨らましたけれど、可愛いだけなので問題ない。
「とりあえず、今はここで地力を付けることに専念しろ。しばらくしたらまた様子を見に来る」
レオはそう告げてユウトごと立ち上がった。
「おや、もう帰るのか?」
「今、これ以上の話は必要ないからな」
「俺はあんたたちの正体を聞いてないんだが」
「……王都とザインを中心に活動しているランクC冒険者だ。そっちの男は部外者」
「ちょ、ひどい! えっと、とりあえず紹介しておきますね、イムカ殿。この愛想無いのがレオさん、膝に乗せられてた可愛いのがユウトくん、子犬はエルドワ。そして俺はレオさんの下僕のネイです」
レオたちの自己紹介に、イムカは驚愕の表情を浮かべた。
「その筋肉を持ちながら、ランクCだと……!? さらに、ランクCの下僕だと……!?」
「ユウトのおかげでランクCになっているだけで、俺はランクDだ」
「ランクD……!?」
「ほら、ギルドカード」
「確かに……! いやいや、だが筋肉は嘘を吐かん! これは明らかに実戦で鍛えられた筋肉……。転移魔石をあれだけ使えることを考えても、絶対王宮付き……! ……でもまあいい! 名前以外今は必要ないということだな?」
イムカは、今の自分にレオたちの正しい情報は必要ないと理解したようだった。こちらが何者であるかなんて、彼が筋肉を鍛える上で何の関係もない。敵でないのなら、問題ないとの判断だろう。
ある意味賢い男だ。
「見送りに立ちたいが、今ひとりで立とうとすると膝が激震するのでこの状態で見送る。すまないな」
「気にしないで下さい。イムカさんはしっかりご飯食べて、体力と筋肉付けて下さいね」
「ああ、ありがとう。またな」
部屋の家具の狭い隙間を縫って廊下に出る。
レオたちはそのまま階段を降り、男たちに声を掛けて彼らの家を後にした。
「さてと、後は陛下にここでの報告書を上げれば終わりだー!」
「おい、転移魔石をよこせ。さっきユウトの魔石でイムカを飛ばしてしまったから予備がなくなった」
「ああ、はいはい。王都に戻ったら返して下さいね」
「一応、ガイナさんにも挨拶して行きましょう」
「アン!」
ユウトに促されてガイナの家に向かう。
すると、その玄関先にガイナと男が話しているのを見付けた。
「あ、昨日の今日でもう来てる。しばらく来るなって言ったのにねえ」
「……やっぱり我慢がきかなかったか」
ガイナに足止めを頼んでおいて良かった。
やっぱり来たのだ、リーデンが。
「お前たち……!」
こちらを認めたリーデンが慌てたように駆け寄ってくる。
まあ、ネイもろともイムカが死んだかもしれないと思っていたのだろうから当然か。
「こんにちは、リーデン殿。全く、すぐに動いたら訝しがられますよ? せっかく怪しまれないように罠に掛けて差し上げたのに」
「あの罠はやはりお前たちか……。そんなことより、よく無事で……イムカ様は!?」
「ガリガリで膝が激震してるけどめっちゃ元気です。会いに行ったらいかがですか? 薔薇の門構えの家ですよ」
「そ、そうか、すまぬが失礼する!」
今の彼は気もそぞろで会話にならない。
ネイの言葉を受けてリーデンはすぐに去って行った。
その後ろ姿を見送る。
「……イムカ殿が助かって嬉しいでしょうが、2人になった主人の間で、ここからリーデン殿が苦しむところなんですけどね」
「……どちらを選ぶかなんて、普通に考えれば分かることだがな。まあ、そこからはあの男が好きにすれば良い。いくらか利用させてはもらうがな」
レオはそう言うと、ガイナに挨拶を済ませたユウトを抱え上げた。




