兄、弟を想う
「あー! お帰り、レオさん、ユウトくん、エルドワ様! 首尾はどうだった?」
もえすに顔を出すと、ひとりカウンターでアニメ雑誌を眺めていたタイチが勢いよく立ち上がって出迎えた。
レオはユウトを連れてその前まで行き、ミワから預かってきたヒヒイロカネを置く。
「まあ、今のところ順調だ。世界樹の葉の朝露は手に入れて、ネイがそれを持ってジラックに乗り込むことになっている。お前らの親の救出はこれからだな」
「えっ、救出までしてくれんの!?」
「ついでの仕事が出来たんでな。それに、これで王都のパーム工房とロジー鍛冶工房も復活するし、ラダで対価としてアイテムももらったし、問題ない」
「……レオさんたちにお願いしたことで、まさかこんなに早く事態が動くなんて……。マジありがとうございます! 俺からも感謝を込めて、ユウトくんのブローチの工賃を無料にするね!」
カウンターの上に置かれたヒヒイロカネを回収して、タイチはにこりと笑った。
「ミワさんはお父さんたちの引っ越しの手伝いをしてから帰ってくるそうです。後1週間くらいって言ってました」
「まあ、そのくらいなら仕事溜めといても平気だな。姉貴が帰ってきたら、俺も入れ替わりで王都に母さんの手伝いしに行ってみるよ」
「……ところで魔工翁には、無事に娘息子を救出してから話をしようと思っているが」
「うん、それでいいと思う。爺さんはもう諦めててさ、あんまり希望を持ちたくないみたいなんだ。ぬか喜びするのが辛いんだろうな。だから、全部丸く収まってからでいいよ」
タイチは肩を竦める。彼なりに、魔工爺様の心の負担が一番低いだろうタイミングを考えているのだ。
彼らを無事に救出したとしても、魔工爺様がすぐに心を切り替えて会う気になるとも思えない。そこからは、家族で少しずつ互いの心を解していくしかないのだろう。
後はもうレオたちが口を挟むべきところではない。
「……ところでレオさんたち、ラダの村で、俺の母さんに会ったんだろ?」
そこで不意にタイチが話題を変えた。彼に似たふくよかな女性を思い出し、レオは頷く。
するとタイチは、探るような視線をこちらに向けた。
「……どうだった?」
「どう、とは?」
「いや、レオさんとユウトくんって、母さんの萌え属性にがっちりはまってたからさ。大変だったんじゃないかと思って」
「萌え属性って、何ですか?」
「あの人、兄弟萌えで体格差萌えで年齢差萌えなんだよね。おまけに溺愛もの好き。2人にばっちり当てはまってるでしょ。だから、だいぶ萌えをぶつけられたんじゃない?」
確かに、やたらに萌えたり滾ったりしていたが。
「特に問題なかったぞ。それよりも、お前の母は天才だった」
「……どういうこと?」
怪訝な顔をするタイチにラダでの一連のことを説明する。
すると彼は大きなため息を吐いて、眉間を押さえた。
「何で2人がずっと手を繋いでんのかと思ったらそういうことか……。俺たちの単品萌えには拒否反応を示すのに、まさかの腐萌え容認……解せぬ……!」
「……何か問題があるか? いちゃいちゃしろと言われても、ユウトといつも通り仲良くしてればいいだけだったが」
「タイチさんのお母さんは、僕たちが仲良いのを喜んでくれてただけでしたよ?」
「やべ、突っ込む俺の方がおかしいみたいな空気になってる」
タイチは慌てたように話を切り上げた。
「まあ、問題なかったならいいや。とりあえず、ユウトくんのブローチは明日の夜にはできるよ。それ以降に取りに来て」
「分かった」
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとね。長いトンネルの出口がやっと見えた感じだよ。今度ネイさんにもお礼言わなきゃ」
その声音にはしみじみとした安堵が乗っている。
これによって彼らの憂いが除かれ、ますます仕事の精度が上がればレオたちも恩恵に与れるだろう。
まずはユウトのブローチだ。その完成を楽しみにしつつ、レオたちはもえすを後にした。
数日ぶりに帰ってきたリリア亭。
相変わらずレオたち以外は滅多に客が来ない宿。顔を見せるとダンが喜び勇んで料理を作ってくれた。
自分たちで作るのとは違う、手の込んだプロの味。やはりたまにはこういうのも良い。
食事を堪能し、用意してもらった風呂に入り、部屋でくつろぐ。
そうしていると、ハンガーに掛けていた装備の内ポケットから、プルルル、と呼び出し音が鳴り響いた。
通信機が鳴っているのだ。
当然ながら、相手は隣の部屋にいるユウト。
レオは急いでそれを手にし、通話のボタンを押した。
「もしもし」
『もしもし。レオ兄さん、僕の声ちゃんと聞こえてる?』
「ああ、聞こえてるよ」
壁向こうからの不鮮明な声とは別に、耳元で弟の声が鮮明に聞こえる。これなら問題なく使えそうだ。
日本にいる時は毎日のように帰るコールなどをしていたが、こちらに来てからはこういう形で話すのは久しぶり。顔が見えないのが、少しだけ物足りなく感じる。
「これで離れていても連絡が取れるようになる。良かったな」
『うん。レオ兄さんが寝坊したら、モーニングコールしてあげるね』
「それは嬉しいな」
寝坊するようなことは滅多にないが、ユウトが起こしてくれるなら時々寝坊してもいいかもしれない。
それからしばらく他愛もない話をして、そろそろ会話を終わろうかという頃。
おもむろに弟が部屋の中を移動する気配がした。
どうやら部屋を出るつもりのようだ。
どうしたのかとレオも部屋の扉に向かう。
するとユウトは、そのままレオの部屋の前に来たようだった。
「ユウト?」
『ん。兄さんの部屋の扉開けて?』
耳元と、扉の向こう、近いところで声が重なる。
もちろん拒絶するわけもなく、レオはすぐに鍵を開けた。
そして扉を開ければ、パジャマを着たユウトが立っている。弟はそこで通話を切ると、はにかむように微笑んだ。
「んー、何かさ、近くにいるのに顔が見えないのちょっとつまんないね。……えっと、ちゃんと顔見ておやすみの挨拶しようと思って。……おやすみなさい」
そうだ、俺の弟は天使だった。マジ可愛すぎて困る。
「……俺も顔が見えないのは物足りないと思っていた。側にいる時は、やっぱりいつも通りがいいかもな。……おやすみ」
その頬を優しく撫でると、兄におやすみを言って満足したらしいユウトは、同意するようにひとつ頷いて自分の部屋に帰っていった。
本当に、彼は兄のツボを心得ている。もちろん狙っているわけではない。天然だ。
記憶を失う前も後も、弟の本質は変わっていない。
打算のない好意。無垢な親愛。
それを受けるに足る自分であろうとし、同じように愛情を返したいと思う、ユウトへのこの心があるからこそ、レオは真人間として生きている。
その証拠に、バラン鉱山で弟を見失った時の自分の思考は、真人間のそれではなかった。
熟々思う。
レオは彼によって生かされている。
だからもう、5年前のあの時のように間違えることは許されないのだ。
部屋の鍵を閉めたレオは、そのままベッドへ向かう。
疑いのない弟の親愛のまなざし、その余韻があればレオが昔の夢をみることはない。
願わくば、あの子も幸せな夢を。
そう願って、兄は枕元に通信機を置き、明かりを消した。




