兄、イムカの能力を知る
レオたちは、リーデンを連れてラダの村へと戻った。
世界樹の葉の朝露を求めて何度もここを訪れていた彼の顔は、もう皆に知られている。ただ村の中に入れるのは初めてだったようで、やはり最初にガイナの許可を取った。
「やたらと新参を連れてくるな……まあいいけどよ。昨日の3人のことも決めたくて、ウチで待たせてるんだが」
「あ、その人たちをこの方に会わせたいんです。リーデンさんを入村させていいですか?」
門まで出てきて少し呆れたように言うガイナに、ユウトが訊ねる。
まあ、ヴァルドの主人であり、バラン鉱山に精霊を呼び戻した恩人でもあるユウトのお願いを、この男が断れるわけがない。
彼は肩を竦めつつも許可をした。
「ジラックの偉いさんってのがかなり気になるが、ユウトが言うなら仕方ねえ」
「ありがとうございます。……ガイナさん、この後もお力を借りたいので、できればあなたにも同席して欲しいんですけど」
「俺も?」
「もうひとり、匿ってもらいたい人が増える予定で」
「……また、面倒そうな話だな」
言いつつ、彼はちらりとリーデンを見た。その匿ってもらいたい相手がジラックの人間だということは、想像が付いているのだろう。
ジラックの闘技場で降魔術式の贄として閉じ込められ、仲間を多く失ったガイナとしては、あまり気分の良い話ではない。
もちろん、このリーデンが直接関わったわけではないが。
「まあ、話くらいは聞こう。何か退っ引きならない事情があるなら、考慮はする」
それでもガイナは虎人ゆえに豪気である。多種多様な仲間をまとめるための寛容さと、人を見極める直感も持っていた。
ライネルがこのラダを半魔が治める村として認知したのも、彼のリーダーとしての資質に因るところが大きい。
リーデンは若いながらも村の長を務めるに足るガイナの態度に、僅かにまぶしそうに目を細めた。
そこから一行はガイナの先導で彼の家に向かう。
その道中の村人の穏やかさに、リーデンは感嘆に似たため息を吐いた。
「……いつも門前払いを喰っていたから、どれほど偏屈な村かと思っていたが……雰囲気の良いところだな。ジラックのようなギスギスした空気がまるでない」
「まあ、余所者を入れないのは、この村を護るための手段だからな。俺たちは別に外界を嫌っているわけじゃない。村に厄介を持ち込まないための措置だ」
「外部との行き来を制限している点ではジラックと同じなのに、内容は雲泥の差だな……」
ガイナの言葉にリーデンは小さく自嘲気味に笑う。その表情に心身の疲れが見て取れた。自身の思いも虚しく、状況が悪化していく一方のジラックの街は、彼の罪悪感を増幅させるばかりなのだろう。
とはいえ、自らそれを排除しない選択をしているリーデンに対して、レオはこれっぽっちも同情心など抱かないが。
「さ、入ってくれ。中で昨日の3人が待ってる」
家に着くと、ガイナが扉を開けてレオたちを通した。
その声で来訪を察したのだろう。
現れたユウトに、異世界から助け出された3人の男はすぐに立ち上がって礼をした。
「ああ、来たか! 昨晩はお礼も言わずに爆睡しちまって済まなかった! 改めて、昨日はありがとうな!」
「いえ、気にしないで下さい」
ユウトは天使の笑顔でそれを受ける。
そしてその視線をくるりと後続の男に向けた。
「それよりも、ちょうどジラックの偉い方がいらっしゃったので、会ってお話をしてもらおうと思って連れて来たんですけど」
「……ジラックの偉い方……?」
男たちが、ユウトの科白に若干身構えたのが分かる。
ジラックの上層の人間が、住民たちに好ましく思われていない証拠だ。ジラックの貴族や権力者は、ほぼ領主と共に住民から搾取することしか考えていないものばかり。おそらくそういう者だと思ったのだろう。
しかし、続いて扉から現れたリーデンを見て、彼らは安堵と共に歓びの声を上げた。
「リーデン様!」
「……お前たち……!」
3人を見て、彼も目を丸くする。どうやら顔見知りのようだ。
「あれ、皆さんお知り合いですか?」
「俺たちは昔お屋敷で働いていて、リーデン様ともよくお会いしていたんだ。本当にお久しぶりで……ああ、あの頃は良かったなあ」
あの頃というのは、おそらく前領主がいた頃だろう。懐かしむように言う男たちに、リーデンは怪訝な顔をした。
「お前たち、どうしてこんなところにいるんだ。確か、領主様のご命令で新天地の開拓にかり出されたと聞いていたが……」
「新天地……」
その言葉で、喜色を浮かべていた男たちの表情が途端に沈む。きっと新天地……ユウトが飛ばされたというその異世界で、受けた扱いの数々を思い出したのだ。
詳細を話す気にはなれないのだろう、男の1人が端的に説明した。
「あの時領主にかり出された人間は、新天地で奴隷のように働かされた挙げ句、妙な実験のモルモットにされて、ほとんどが殺されました」
「何だと……!?」
「当時集められたのは、前領主様を慕っていた配下の者たち、それから次男イムカ様のお世話をしていた者たち、リーデン様の屋敷の者もいましたね。……つまり、そういうことです」
彼らの話に、リーデンは絶句した。
その傍らで聞いていたレオとネイは、魔研が絡んでいるだろうという時点で想像の範囲内だったから、特に驚きもしなかったが。
ただユウトがひどい話に悲しそうな顔をしていたから、レオはその肩を抱き寄せて頭を撫でた。
「俺たちはたまたまそこの少年に助けられましたけど、今後どうしたものかと思っていたんです……。家族はまだジラックにいるから帰りたいですが、見つかったら絶対捕まります。かと言って、家族を呼び寄せるにも先立つものがないし」
「……残念ながら、どちらにしろ帰るのも家族を呼び寄せるのも無理だ。今のジラックは街の出入りが厳しく制限されている。街を脱するなど以ての外だ」
「そ、そんな……!」
金でどうにか解決できるなら、リーデンは私財をなげうってでもどうにかするだろう。しかし、今のジラックはもうその次元ではない。
「今では私ですら、転移魔石を使わずに街を出ることはできないのだ。……辛いだろうが、今はお前たちはここにいた方がいい」
ここで、あの領主を自分がどうにかするから待っていてくれ、と言えないのがこの男の弱いところだ。
良い主に仕えればどんな仕事でもこなす稀代の忠臣となれる男だが、愚かな主に仕えれば自身の思いと行動との齟齬に潰される融通の利かない男。
レオとしてはリーデンには荒療治が必要だと考えるが、ネイはあくまでも慎重だった。
「まあ、立ち話してるのもなんだから、みんな座りましょうよ。リーデン殿が忍んで来てるなら、あまり長居もできないんでしょうし。今必要なのは彼らの当面の生活のアテと、新たに加わるもうひとりの世話かな。とりあえずそれをガイナの意見ももらいながら決めちゃいましょ」
ジラックの内情にはあえて触れずに、目先の問題だけを取り上げる。一見甘っちょろいように見えて、しかしイムカにここで力を蓄えさせるのはジラックの未来を揺るがす布石。こうしてリーデンが領主を裏切っていく手はずを整えている。
やはりネイはこういった話運びが手練れている。
皆が座ると、ユウトが自分から進んでお茶を淹れにキッチンに行った。エルドワもそれに付いていく。
この段ではユウトがいなくても問題はない。
残った男たちで話を始めようと、まずはガイナが口を開いた。
「この3人を匿って欲しいという話は聞いていたが、もうひとりいるって?」
「予定ね。俺が無事に連れてこれたらだけど」
「まあ、宿屋はないが空き家ならあるから、ここで生活をするつもりならそこを使わせることも可能だが。そのもうひとりっていうのは、どんな奴だ?」
「ガイナに名前言って分かるかなあ。イムカっていうんだけど」
「待っ、お前……!」
「イムカ様……!?」
あっさりと名前を出したネイにリーデンが狼狽え、3人の男たちが驚きに目を瞠る。ガイナはやはり知らないようで、彼らの反応を怪訝そうに見た。
「誰?」
「ジラックの領主の弟。兄貴によって、何つーか半死半生みたいになっててさ。それを俺が救い出してくるつもりなのよ」
「お前、その話は軽々しく吹聴していいものではないぞ!」
声を荒げるリーデンに、ネイはやれやれと肩を竦める。
「何言ってんですか、ここで匿ってもらうなら言っておくべきです。この3人がイムカ殿の顔を知っているなら、連れて来た時点でどうせ彼らには知れますし。ガイナにだって事情を知っておいてもらった方が後々何かあった時の面倒もない。彼の庇護下に入るんですから、当然のことでしょう」
「し、しかしジラックの機密を……」
「それをあなたが護る必要性があります? ……まあどうせ、ラダの村からそういう情報が外に漏れることはまずありませんから、心配は無用ですけど」
そう説き伏せられて、彼は戸惑いつつも黙り込んだ。
逆に、イムカの生存を知った3人の男たちが、俄然色めき立つ。
「イムカ様が生きているということですか、リーデン様……!」
「だとしたら、俺たちも希望が持てる!」
「イムカ様が来るんだったら、俺たちが世話をします!」
どうやら、イムカという男は兄と違って人気があるようだ。
その様子を見てガイナはふむ、と顎を擦った。
「お前たちが世話を?」
「俺たちは元々前領主様のお屋敷で働いていたんだ。まあ、下働きだけどな。イムカ様とは幼い頃から接していたし、勝手は分かっている」
「……だったら、少し大きい空き家を貸そう。4人でいた方が何かとやりやすいだろうしな。……お前たちは何ができる? こっちもタダ飯を食わせてはいられん。どのくらい滞在するかも分からないなら、村のために働いてもらうぞ」
「村で働かせてくれるのか!? ありがとう!」
獣人は理屈よりも情を重視する。おそらく彼らならひとまず置いてもいいと判断したのだろう。
そして仕事も与えるつもりならば、それなりの期間を見据えてくれているということ。彼らの感謝ももっともだ。
「……いいのか?」
半魔の村に人間を住まわせて。言外にそう含めて訊ねると、ガイナは軽く苦笑した。
「すでにすげえのがいるんだ、構わねえよ。まあ、一年二年程度ならな。……長期になると色々弊害があるが」
人間よりも寿命の長い彼らは、当然成長も遅い。人間と長いスパンで一緒にいると、そこから半魔バレするリスクがあるということだ。
「ただ、匿うことでこっちもメリットはあるからな。陛下と話して思ったが、やはり上層の人間とそれなりにパイプがあると、断然生活がしやすくなる。ジラックの領主弟もどうやら見込みがありそうだし、今のうちに渡りを付けておくのも悪くない」
「……そこまで考えているならいい。お前らにも利益があってしかるべきだ」
レオはそう言って、ユウトが淹れてきてくれたお茶を口にした。
皆も同じようにお茶を飲んで、できた一瞬の間で会話が仕切り直される。
ガイナはそこで、再び男たちに訊ねた。
「そんで、お前たちは何ができるんだ?」
「俺は厨房で働く料理人だった。こいつは家具や家の修繕担当、そっちは庭師」
「イムカって奴は?」
「イムカ様?」
イムカのできる仕事を訊かれて、男たちは顔を見合わせた。そして、思い当たらなかったのか、リーデンを見る。
しかし視線を受けたリーデンもまた、即答はできなかった。
「イムカ様の仕事……ポジティブ?」
「何それ。仕事じゃないでしょ」
聞いていたネイが思わず突っ込む。
「うーん……正直、あの方は不器用だし、剣の腕もイマイチだし、特別頭が良いわけでもないし、魔法も使えないし……何だろう、人柄だけはすごく良いんだけど」
男のひとりが申し訳なさそうに言うのがリアルだ。余程突出した能力がないのか。
「人をその気にさせるのは上手いよな」
「ああ俺、イムカ様に乗せられて、家庭教師からの宿題やらされたことある」
「俺もおだて上げられて、イムカ様の部屋に玉座並の椅子作ったことある」
「リーデン様も昔ねだられて幻のミツバチの蜂蜜取りにいってましたよね」
「……人徳があるってことかな? つーか、甘え上手? イメージが湧かないけど」
「うーん、まあ、大体そんな感じ」
ネイがまとめてみたけれど、それでも彼らはきっちりと説明はできないらしい。
それに呆れたようにガイナが突っ込む。
「……んで、結局仕事はできねえのか?」
「ええと、ムードメーカーとして……いや、もういいわ。俺たちが養うんで、イムカ様は除外で」
「お前ら過保護だな!」
人たらし、なのだろうか。
彼らは特筆すべき能力がなさそうに言うけれど、人を従える立場ならこれは極めて有効な才能だ。
ジラックをまとめるだけの人間的魅力、カリスマがあるならば、かなり使える手駒になる。
レオは話を聞きながら、可能ならイムカをウィルに観察させたいと考えた。




