弟、世界に戻る
「開いた!」
「元の世界に戻って来れた!」
祠の扉が開くと、男たちは歓声を上げた。
これでもう大丈夫だ。ユウトも念じることをやめてぱちりと目を開いた。途端に背中にあった羽の浮力が消え、足に身体の重みが乗る。
しかし、精霊は何故かまだ天使像に戻らずに、羽のまま背中に付いているようだった。
「これでもう完了……だよね?」
首を傾げてエルドワに訊ねる。
「多分、ユウトの力で悪いものは祓えた。……でも、瘴気の残り香がすごい」
眉間にしわを寄せたエルドワは、それから僅かに逡巡して唸った。
「……この姿だと、エルドワも瘴気にあてられるかも。ユウト、エルドワは元の姿に戻る」
「うん、ここまで来れば大丈夫だよ。レオ兄さんとネイさんもいるだろうし」
「……ユウト、そのレオとネイだけど……2人の血の匂いがする。いっぱい」
「レオ兄さんと、ネイさんの血……?」
ユウトはぱちくりと目を見開いた。
あの馬鹿みたいに強い2人が一緒にいるのに、何かに不覚を取ってやられるなんて考えられなかったからだ。
流血なんて、鼻血くらいしか見たことがない。
「何だろ、何かあったのかな」
「2人のところにはエルドワが案内する。とりあえず、世界樹の杖を忘れないで」
「うん」
ユウトは急いで竜穴に刺していた世界樹の杖を回収しに行った。
すると、杖に翡翠色の宝石の付いたペンダントが掛かっていることに気付く。
どこかで見たことがあると思ったら、ディアが持っていたものとそっくりだ。
「これって……もしかして精霊のペンダント?」
「アン!」
呟いたユウトに、いつの間にか子犬に戻ったエルドワが返事をする。今回ここの精霊を解放したことのお礼だろうか。
精霊と会話が出来るというアイテム。欲しかったからありがたい。
とりあえずそれを首に掛けて世界樹の杖をポーチに戻すと、ユウトは先に外に出ていた男たちに合流した。
「……あれ? さっきまでいた犬耳の兄ちゃんは?」
「魔方陣で帰ってしまいました」
「ああ、さっきのイケメン半魔の兄ちゃんみたいにか」
色々非常識なものを見てきたせいか、彼らはすんなり事情を受け入れる。
「皆さんはこれからどうするんです?」
「できれば家族のいるジラックに戻りてえが……」
「領主の野郎に見つかったら、捕まるかもしんねえ」
彼らをあの世界に送り込んだ『上の人間』とは、ジラックの領主だったようだ。ではすぐにあの街に返すのは危険だろう。
「じゃあ、一旦ラダの村に泊めてもらったらどうでしょう。外との接点がほとんどない村ですから、身を隠すにはちょうど良いと思います」
「だが俺たちは宿泊するにしても、金も何も持っていない」
「その辺は交渉次第でどうにでもなるんじゃないかな」
ラダにいる半魔たちは基本的にあまりお金を使わない。提供できる労働力があればどうにかなるだろう。
「山を下りて道なりに真っ直ぐ行くと辿り着きますので、ガイナさんかミワさんという人を頼ってみて下さい。僕たちも用事が済んだらラダに向かいます」
「……分かった。どうせ他に行くあても無いんだし、そうさせてもらう。……ありがとうよ」
「道中の村ネズミに気を付けて下さいね」
横穴から出ると、ユウトは山を下る男たちと別れた。
エルドワが連れて行こうとしているのは山頂。距離としてはそんなに長くない。ユウトは急いで坂を駆け上がった。
「えっ……何これ?」
噴火口に辿り着き、そのカルデラ一面に建物が崩落したような残骸が堆積しているのを見て目を丸くする。
真っ黒い骨組みは完全に朽ちているのか、さらさらと風に崩され少しずつどこかに消えて行った。
「アンアン!」
つい立ち止まってしまったユウトを、エルドワが呼ぶ。
それに慌てて子犬を追うと、ようやくその先に2人を見付けた。
「え、なっ、どうしたの、これ!?」
離れていても分かるくらいの血だまり。
風が鉄くさい匂いを運んでくる。
レオがその場に座り込み、ネイは完全に横たわっていた。
「……ユウト!」
こちらを認めたレオが、焦がれたように弟の名前を呼ぶ。急いで側に行くと、兄はユウトの存在を確かめるように手を伸ばし、その頬を撫でた。
「戻ってこれたのか……良かった。瘴気が流されたから、お前が戻ってくれたんだろうとは思ったが……、駆けつけられなかった、すまん」
「そんなのいいけど、どうしたのこれ!? すごい怪我してる! ネイさんも! 2人が重傷を負うような強い敵が出たの? とりあえず、回復するから」
レオは右肩をざっくりと斬られている。他にもあちこち出血があった。致命傷になるようなものではないが、もえす装備の兄にこんな怪我を負わせるなんて、どんな相手だったのだろうと恐ろしくなる。
ネイの方はさらにひどい。腹や足、腕に、貫通したような刺し傷がある。荒く息をしているから辛うじて生きているのがわかるが、かなりの出血だ。ユウトは以前魔工爺様のところで手に入れた補助魔法用の杖を取り出して、先にネイの傷を回復することにした。
「大回復!」
杖に込める魔力を増やせば、その分回復量も増す。流れ出てしまった血液を戻すことはできないが、傷を塞いで癒し、身体の機能を正常に戻すことで、どうにか動くことは出来るようになるだろう。
杖から放った回復の光は、ネイを丸ごと包み込んだ。
光の粒が傷口に集まって、数十秒と経たずに組織を再生成していく。想像したより強力な効果。もしかすると、精霊も力を貸してくれているのかも知れない。
ネイの回復を待ちつつ、今度はレオに回復を掛ける。
出血のあるところをピンポイントで治し、右肩には強めの魔法を掛けた。
「ラダの村に戻ったら、ミワさんに装備を直してもらわないと」
「……ユウト」
「何? ……うわ」
まだ回復が終わっていない右腕で、レオがユウトを引き寄せる。
そのままぎゅっと腕の中に抱き込まれた。その拘束の強さに少し驚いたけれど、しかし見上げた兄の瞳がどこか不安げなのに気が付いて、弟はそのまま力を抜き、身体を預けることにした。
「……肩、痛くないの?」
「こんなの、平気だ」
どうやらユウトがいなくなったことの方が、身体のダメージよりも大きかったみたいだ。それが自惚れでないことを弟は知っている。
その状態で黙ってしまったレオの腕の中で、ユウトはどうにか首だけ動かしてネイを見た。
傷はだいぶ塞がり、呼吸が落ち着いてきている。おそらくもう大丈夫だろう。
エルドワが側に寄っていき、その頬にぐりぐりと頭を擦り付けていた。
「……エルドワ、くすぐったい」
億劫そうに腕を上げたネイが、そう言いつつも退けるわけでもなくエルドワの頭を撫でる。
元々意識はあったのか、それともたった今気が付いたのか。よく分からないけれど、とりあえずユウトは安堵した。
「ネイさん、傷が塞がりきるまでもうちょっとじっとしてて下さい」
「……あー、もう平気。……帰って来てくれてありがとね、ユウトくん。でも目が覚めたら天使が居たから、俺死んだかと思ったわ」
ネイは重そうに上半身を起こし、レオと向かい合わせになる形であぐらをかく。それから背を丸め、小さく唸って項垂れた。
「うぅ……貧血で頭痛え……。肉食いてえわー……」
「それだけ出血すれば当然ですよ。……僕がいない間に、とんでもなく強い敵が現れたんですか? 何か、火口の中に変な残骸がいっぱいあるし、こっちに戻ってきた時にヴァルドさんも瘴気がすごいって言ってましたし」
「……ああ、うん。とんでもなく強い相手と戦ってたのは確か。瘴気のせいでリミッターぶっ飛んでたし。正直、ユウトくんが帰ってきてくれなかったら俺死んでた。……おそらく、レオさんもね」
「えっ!? レオ兄さんも? ……そんな相手、想像出来ないんですけど……」
目を丸くするユウトに、ネイは苦笑をする。
「だろうね。ねえ、レオさん?」
「……ユウトがこの世界に戻ってきたのだから、どうでもいい」
「どういうこと?」
よく分からない会話にきょとんと兄を見上げるが、2人はそれ以上何かを語る気はないようだった。
「……とりあえず、一旦ラダに戻ろう。もう今日の俺たちは使い物にならん」
「賛成でーす。俺、ふらふらですもん。栄養とってぐっすり寝たい」
「2人とも、村まで歩ける?」
「俺は平気だ」
「俺もユウトくんが傷を塞いでくれたから、どうにか。ラダの村まで転移魔石で行くのも馬鹿らしいしね」
ネイが緩慢な動きで立ち上がり、レオもユウトを解放して怠そうに立ち上がる。何とか山を下れそうだ。
「そうだ、これ。今だけでも、ネイさんが持ってて下さい」
「これ……ナイトメアから出た定期再生魔法の特上魔石?」
「まだマルさんと会えてないから、持ってたんです。回復は傷が塞がっちゃうと掛からなくなるけど、こっちは傷がなくても時間で勝手に回復が発動するから、血液の生成も促進できると思います」
「へえ、じゃあ少しの間借りておこうかな。ありがとうね、ユウトくん」
ネイが素直に受け取ってくれる。それにレオも特に文句を言わないことを確認して、ユウトは兄に向き直った。
「じゃあ今回、村までは僕とエルドワが先導するね。精霊が戻ってきたから強い敵は出ないと思うけど」
「……精霊が戻ってきた?」
「うん。精霊の祠の封印を解いて、魔方陣も発動してきたんだ。後は世界樹の葉の朝露を採るだけだから、こっちの件はもう大丈夫」
報告したいことは色々あるが、ここで話す必要もないだろう。村に戻って落ち着いてからで十分だ。
ユウトは2人を気遣って、ゆっくりとした歩調で先頭を歩き出した。エルドワがそのすぐ隣につく。
弟たちの後ろをレオとネイがついていくという珍しい並びで、3人と1匹は山頂を後にすることにした。




