兄、取り乱す
「……お待たせいたしました、マスター。もうこちらに来て大丈夫ですよ」
ユウトたちを振り返るヴァルドは、あれだけの熱に晒されながら、汗ひとつかいていない。まあ、彼が汗みずくという姿もあまり想像出来ないが。
そんなヴァルドに、エルドワは首を傾げた。
「ヴァルド、何であいつを輪廻に戻してやったんだ?」
「……彼は上司に褒めて欲しくて力を求めていただけなんですよ。まあ行動は悪魔ですけど、今回の愚行はおそらく誰かにそそのかされてのことでしょうし。……それに、もしかするとですけど、彼は半魔に転生する可能性があるので」
「さっきの悪魔が半魔に?」
目を丸くしたユウトに、ヴァルドは微笑むだけで返す。
そして、話題を変えるように人間の男たちを見た。
「さて、それよりも彼らに話を聞きましょう。私たちよりは事情を知っているでしょうから」
「あ、うん」
ユウトは話を逸らされたことに気付いたが、特に追求せずに頷く。無理に掘り下げる話でもないし、今は元の世界に戻る方が重要だ。
エルドワの腕から降ろしてもらったユウトは、足下に気を付けながら彼らの元に近付いた。
「こんばんは」
挨拶をしたユウトを、男たちは奇異な目で見ている。
まあそうだろう。
少女のような小柄なユウトが、悪魔を葬った男と犬耳と尻尾を付けた頑強な男を従えている様は、かなり異質だ。
ただ、それでもこちらは彼らを救った立場。
かなり及び腰ではあるが、男たちは恐る恐るといった様子で口を開いた。
「あ、あの、助かったよ。ありがとう。……しかし、お前らは一体……?」
「僕たちは冒険者です。罠に掛かってこの世界に飛ばされちゃって、帰り道を探してここまで来ました」
「飛ばされてきた……? ってことは、お前らもエルダールの住人か」
「ふむ、やはりあなた方も向こうから連れてこられたのですね。……あの研究所に?」
「そうだ。俺たちはジラックで働いていたんだが、ある日、上からの命令で集められてな……。そのままここに送り込まれ、向こうにある研究所に閉じ込められて、モルモットにされていた。何人もの人間が連れ出され、ひとりも戻って来ることはなかったから、どういう目にあっているのかは今ひとつ分かっていないんだが……。俺たちはそこからどうにか脱出して、命からがら逃げてきたんだ」
彼らはそう言って、肩をぶるりと震わせた。
その時のことを思い出したのだろう、ひどく顔色が悪い。
「ここに居たのは偶然ですか?」
「いや、夜に逃げ出したら、真っ暗な中で右も左も分からない俺たちの前に蛍のような光の虫が現れて、ここに導いてくれたんだ。何故だかここに居れば魔物が手を出せないらしくて……。この社がなければ俺たちはあっという間に連れ戻されていた」
「蛍みたいな光の虫……精霊さんかな」
「多分そう。バラン鉱山の祠には精霊の気配がなかったけど、この祠には気配がある。ここに精霊がいるよ、ユウト」
エルドワが扉を指差した。
ヴァルドもその言葉に同調する。
「おそらくこちらが本来の精霊の祠で、バラン鉱山にあるのはここから悪魔の水晶を使って投影したダミーでしょう。どんな儀式をしようと、力尽くでいこうと、開かなかったはずです」
「確かに開かなかったって言ってました……。そっか、あっちにあるの、偽物だったんですね」
まさかそんなこと、考えもしなかった。
ユウトは呆れつつも納得して、ひとつ息を吐く。
それから、警戒心を抱くこともなく社に近付いた。
「この本物の精霊の祠には入れるのかな?」
「封印していた術士が死にましたから、入れると思いますよ」
ヴァルドに肯定されて、それならばとユウトは祠の階段を上る。
そして律儀に扉をノックした。
「精霊さん、入りますよ-。失礼します」
木製の扉は観音開き。取っ手に手を掛けて引くと、それは容易く解放された。
「……うわあ」
その瞬間、身体がふわりと温かい何かに包まれる。
これが精霊だと、ユウトは直感的に分かった。解放への感謝なのだろうか、まるで護られているようで癒される。
しかしその感覚は数瞬で消え失せ、閉じ込められていた精霊はポーチに付いている天使像に入り込んだようだった。
まあ、元々ユウトに付いている精霊と同じものだ。すでにひとつになっているのかもしれない。
天使像をポーチから外すと、それは光の玉となって祠の中を漂い、壁にある数個の燭台に魔法の火を灯した。
祠の中の広さは6畳程度。
その中央に精霊を呼ぶ術式方陣、その奥に竜穴を祀る祭壇のようなものがある。竜穴から溢れるマナは、かなりの濃さだった。
「このマナがバラン鉱山から奪われてたんだ。それは精霊も他に行っちゃうよね……」
「ヴァルド、これ、どうやって戻すんだ?」
「バラン鉱山の方と空間ごと存在を入れ替えられているようですから、それを正せば戻れそうですね」
「悪魔の水晶に掛かっている空間魔法を再設置しなおすってことですか。どうやれば良いんだろう」
存在を入れ替える、という術式は、おそらくタイチがくれた魔法の変身ステッキと同じ原理だ。ただ、ここでは術式の肝となる術士がもうおらず、勝手に解ける封印と違って、どうやって再び発動させればいいのか分からない。
そうして答えが見つからず首を捻っているユウトを余所に、光の玉となった精霊は祠の機能をどんどん回復していった。
祭壇にも明かりが灯り、周囲の瘴気が払われ、清廉な空気になった気がする。
「……ユウトくん、どうやらお膳立ては精霊がしてくれているようです。我々は準備が出来るのを待ちましょう」
「わあ、外の悪魔の水晶が透明になってく……。精霊さんが、新たに術式を組み直してくれてるんでしょうか。……あ、皆さんも祠に入って下さい。一緒に向こうの世界に戻りましょう」
扉から外を眺めたユウトは、何が起こっているのか分からずにおろおろしている男たちに声を掛けた。
ここから精霊が消えれば、彼らは再び捕まるか、放たれたキメラや魔物の餌になってしまう。連れの半魔の姿を見られてしまったけれど、このまま置いては行けないだろう。
「い、いいのか?」
「もちろんです。……向こうに戻ったら、僕たちのことは内緒にして下さいね」
「分かった、そんなことくらいでいいのなら!」
「ありがとう!」
口約束があまりアテにならないことは分かっているけれど、どうせヴァルドは農場に居る姿ではバレないし、エルドワだって向こうに戻れば子犬だ。ユウトさえ気を付ければいい。
やがて全ての準備が済むと、光の玉はユウトの前にふわふわと漂った。
「? 何だろ」
「最後の仕上げはユウトくんということじゃないですか。この精霊はまだ力が戻りきっていませんから、あなたの力が必要なんでしょう」
「僕の力……?」
「ユウト、ディアに預かったやつ。あれにユウトの力を通して竜穴に突っ込めばいい」
「ああ、あれ」
部外者がいるからだろう、エルドワは世界樹の杖の明言を避けた。
しかし、もちろん分かる。ユウトはポーチからそれを取り出した。
元々は世界樹の葉の朝露を採るために借りたものだが、こうなることも見越されていたのだろうか。
こちらが理解したことを確認したように、光の玉は今度はユウトの背中に回る。そしてそこに純白の羽を形成した。
「ふふ、まるで天使のようですね。さすが我が主、神々しくも大変可愛らしい」
「空から落ちた時のよりちょっと大きくなってる。精霊の欠片2つ分になったからかな」
「自分だとどうなってるか見えないんだけど……。まあいいや、多分力を合わせてってことなんだよね」
ユウトは気にせず世界樹の杖を両手で握った。
そしてそのまま竜穴に差し込む。
うん、ディアが言った通り、ジャストフィット。
そう思った瞬間に、祠の中は光に包まれた。
**********
時間は少しさかのぼり。
ユウトが消えた直後のバラン鉱山で、ネイは青ざめていた。
レオの前から忽然と、彼の最愛の弟が消えたからだ。
「ユウト!」
ユウトが消えた場所に駆け寄ったレオは、焦ったように周囲を探す。しかし、そこには何の痕跡も見いだせなかった。
「っ、誰だ!? 誰がユウトを攫った!?」
ゲートでパーティが分かたれた時とは話が違う。あそこでは犯人が分かっていたし、フロアをクリアすれば再会は確約されていた。
反して今の状況は、犯人も弟の所在も、言うなれば生死すらも分からない。
彼の激情と不安が行き場を失い、すぐにでも爆発しそうだ。
「ちょ、落ち着け兄、みんなで考えて……」
「これが落ち着いていられるか!」
一喝されて、その怒気にミワが怯む。いつもは萌える彼女も、レオの本気の怒りには閉口するしかないようだった。
「ミワさん、ミワさん、こっち」
そのミワをネイは手招きする。正直、こんなレオの前に一般人は置いておけない。いつ何かの間違いで殺されるか分からない。
急いでこちらに来た彼女は、闇雲に祠を破壊しようと攻撃を始めたレオを見ながら、冷や汗を拭いた。
「おい、弟が消えた途端の兄の雰囲気超ヤバいんだけど。怖すぎて萌える余地がねえ」
「ユウトくんがあの人の精神安定剤だったからねえ……。こっからがまた大変。ミワさん、殺されないうちにここから逃げてくれる?」
「……狐目は?」
「俺は残る。ユウトくんが戻るまでは、俺が主人であるレオさんを見てないと。……俺が生きてるうちにユウトくんが帰ってきてくれるよう祈ってて」
「……あの兄相手じゃ、マジで死ぬぞ」
「それでも、俺の主はあの人だけだから」
どこかあっけらかんと言い放つ、ネイは困った顔をしながらも少しだけ嬉しそうだ。
「……お前、ドMだな」
「よく言われる」
もちろん、それはレオに対してだけだけれど。




