弟、転移の罠に掛かる
精霊の祠は、山頂に続く道から少し外れた横穴の奥にあった。
古い木造で作られている社は斧とハンマーで壊せそうだが、もちろんそんな簡単にはいかないだろう。
レオたちはその周囲を一頻り確認した。
「ミワ、精霊の祠を開けるためにどんなことを試した?」
「壁をハンマーで破ろうとしたり、扉の前で踊ってみたり、聖水ぶっかけてみたり。もちろん全部不発だったけどな」
「この類いに物理的な方法はまず無理だろうなあ。術式とかは掛かってないのかな?」
「それも確認したが、あたしらが使うような術式はねえな」
ミワもタイチと一緒で、装備に組み込む術式を編むことが出来る、術式のスペシャリストだ。その人間が確認したのだから、ここに術式はないのだろう。
レオたちが他のヒントを求め、注意深く精霊の祠の周囲を調べていく。
その後方で、ユウトだけがひとり離れ、少し遠いところから祠を眺めていた。ひとりと言っても、腕の中にエルドワだけはいるが。
「……何だろ、変な空気。ここから先だけ、別世界のような……」
「アン」
エルドワにもその空気の違いが分かるようだ。どこか、進入を躊躇う空間。これは何なんだろうか。
精霊の祠が閉じているのは、祠自体ではなく、このエリアに問題があるのかもしれない。
ぐるりと横穴全体を見ると、その壁面や天井に見たことのない鉱物が見える。黒く、闇に溶けるような石。その中央がほのかに光って見えるのは、魔力の炎か。
この横穴は薄暗く、レオたちはそこかしこに点在するこの存在に気付いていないようだった。
「……ミワさん、この鉱石って何ですか?」
「鉱石? どれのことだ?」
やはり、全然勘付いていない。ユウトはミワのすぐ近くにある、黒い鉱石を指差した。
「ミワさんの立っているところの、横の壁にある黒い石です」
「黒い石?」
「真っ黒い水晶みたいで、中央に小さく明かりが見える石なんですけど」
「……待て、そんなの見当たんねえんだけど」
ミワだけでなく、レオとネイも同じ場所を見て石を探す。しかし、彼らには本当に見えていないようだった。
……もしかして、これは人間には見えない?
そう考えて、精霊がユウトなら祠を開けられると言った言葉を思い出す。
おそらくこのエリアは、人間では感知できないのだ。だからこそ半魔の自分に白羽の矢が立った。そう考えれば納得がいく。
今、この黒い魔法鉱石は、ユウトとエルドワにしか見えていないに違いない。
半魔と言えば今までにガイナたちも見ているはずだが、精霊が自ら閉じこもっていると考えていた彼らが無理にこの領域に入ることもなかったのだろう。
「レオ兄さん、これをどうにかすれば封印が解けるかも」
「これと言われても、どれか分からんが……」
「僕もよく分かんないけど、多分僕とエルドワしか見えてないんだ。でもこの鉱石配列が封印を作っているなら、1カ所でも崩すことが出来れば効力は消えるはず……」
ユウトは一番手前にある鉱石に近付いた。
吸い込まれそうな黒。中央に見えるとろとろと揺らめく魔力の炎が、催眠術を掛けているようだった。
無意識に手を伸ばし、その石に触れる。
「アン!」
「え?」
「ユウト!」
腕の中のエルドワが何かを警告するようにひと鳴きし、それに驚いて手を引いたが遅かった。
レオの呼ぶ声を聞いたのを最後に、ユウトの感覚は突然シャットダウンしたのだった。
次の一瞬で感覚が醒め、唐突に視界が一変し、明るいところに放り出されて目の奥がひどく痛んだ。しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
ユウトは浮遊感に目を瞬き、直後に落下を始めた自分の身体に驚いた。
痛む目を叱咤して確認したはるか眼下には、森と川が見える。
あの岩に触れた瞬間に、この上空に転移させられたのだ。
精霊の祠に掛けられた周到な封印は、つまり人間だと感知も解放も出来ず、一方で感知した半魔はここに転移させて落下死させるという、二重構造の罠になっていたわけだ。
性格が悪すぎる。
「エルドワ、噛み付いても良いから掴まってて」
しかし、落下ならどうにか対処可能だ。ユウトはローブの中にエルドワを押し込めて、ポーチに付けていた天使像を外す。
「精霊さん、力を貸して!」
掲げたそれは、ぽうっと光の玉になると、ユウトの背中に回った。
途端に緩やかに落下速度が落ちていく。先日から自分についている精霊が背中に付いて、小さな翼で頑張って浮力を作ってくれているのだ。まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
……いや、それともこれは、今回の精霊の解放でこうなると知っていて与えられた力なのだろうか? まあ、どちらにしろ助かったことには違いない。
ユウトはエルドワを落とすことなく腕に抱き直して、ゆっくりと落下する中でようやく落ち着いて周囲を見回した。
真下は森だ。そして川。道も橋も通っていない。
どこだろう、ここは。
少し離れたところに目を向けると、人工物らしき建物があった。
村というほどの生活感もない。研究所という感じだ。
周囲は拓けていて、地面に何か描いてある。
「……術式?」
そこにはいくつもの円と記号の羅列があった。
ユウトにはそれがどんな術式かも分からない。なのに、何故だかぞわっと鳥肌が立ってしまった。良いものではない、間違いなく。直感的にそう思う。
一体あそこは何なのだろう。
やがて森に降りると、視界は木々に遮られて、自分のいる場所も分からなくなってしまった。
ふわりと地面に足が付き、背中の方から光の玉が目の前に戻ってきて、再び天使像に戻る。ユウトはそれを手のひらで受け止めた。
「精霊さん、ありがとうございます。助かりました」
ぺこりと頭を下げて、またポーチに付け直す。
それから、エルドワを抱えたまま当てもなく歩き出した。
「……見たことない場所だけど、ここ、どこだろう。何だか生えている木も知らないものだし……、それに空気が変な感じ」
森を形成する木々は、異様に大きく、そして変に歪。
生き物の声はするけれど、そのどれもが聞いたことがないような奇声だった。
そして周囲に流れる大気。
豊富なマナがある。そして、同時にひどく不快な瘴気も感じる。明らかに異質だ。そう、さっきまでいたところと、別世界のように。
不安に思い、きょろきょろと見回しながら歩いていく。すると、突然腕の中のエルドワがグルル、と唸った。
「ど、どしたの、エルドワ?」
ユウトが訊ねたけれど、子犬はそれに答えず腕から抜け出して、こちらを護るように前方に向かって毛を逆立てて威嚇する。
この草むらの向こうに何かがいるのだ。
ユウトも慌てて身構えた。
ここにいるのは自分とエルドワだけ。この子犬が存外に頼りになることは知っているけれど、それでもユウトだって参戦せねばなるまい。
やがて近くの茂みがガサガサと動き、近付いてきていた何者かが姿を現す。
攻撃すべく指輪をはめた右手をかざそうとして、しかしそれを見たユウトは衝撃から、目を瞠ったまま動けなくなった。
キメラだ。
頭が2つに、歪な筋肉の付いた肉食魔獣の前足と、バネのある草食魔獣の後ろ足、そして蛇のようなとぐろを巻く尻尾が付いている。
初めて見たはずなのに、ユウトはひどく動揺し、息苦しいくらい心臓をばくばく鳴らした。異様な汗が出る。
玩具のように壊されて、継ぎ接ぎされた魔物。
なぜこんなところに。
「ブギィィィィ!」
もはや何の鳴き声か分からない魔物が、こちらを見つけて威嚇した。エルドワと同じように上体を下げ、突進するような体勢をとる。
まずい、さすがにこれは子犬では堪えられない。
ユウトがそう思った時。
「ガアアアアアアオウ!」
目の前のエルドワが、ユウトの血を摂取していないにも関わらず、魔獣へと変化した。
その咆吼は森中に響き、まずは目の前のキメラを竦ませる。
そう言えば、エルドワはかなり上位の魔獣の血を引いているのだった。何故今変化したのかは分からないけれど、エルドワ相手に敵が怯むのも当然のこと。
このまま怯えて逃げてくれないだろうか。
どうしてかそんなことを考えてしまう。
しかしユウトの思いを余所に、キメラは怯みつつも敵意を消さなかった。
キメラが前足に爪を立て、後ろ足を蹴ってこちらに飛び掛かる。
同時にエルドワも迎え撃って突進した。
ゴッ、と、頭骨同士がぶつかる音がして、やはりたたらを踏んだのはキメラの方だった。
力の差は歴然だ。すぐさまその首のひとつに噛み付いたエルドワは、鈍い音を立てて骨をへし折る。そのまま敵の身体を草むらの向こうに引きずり込んで、あっという間にとどめを刺したようだった。
エルドワは、呆然と見ていたユウトの前にすぐに戻ってくる。
そして気遣うようにこちらに頭をすり寄せた。
身体は大きくなっても、エルドワの感触はユウトを癒してくれる。
ユウトはいつの間にか息苦しく詰まっていた呼吸を、ほう、と解放した。
「……エルドワ、わざわざ僕が見えないところでキメラを倒してくれたんだね。ありがと」
「ガウ」
そのもふもふの身体を撫でる。大きくなるとやはり少しだけ毛が硬いみたいだ。もちろん良い手触りなことには変わりないけれど。
「でも、どうして大きくなれたの?」
「ガウガウ、ガウ」
「んー、分かんないな……。まあいっか。とりあえず何か見つかるまで歩こう。ここがどこなのか知りたいし」
「ガウガウウ、グウ、ガアアウ」
「え? なあに? 大丈夫だよ、食料くらいは少し持ち歩いてるから」
「ガアアウン! グア!」
エルドワが何かを訴えているが、よく分からない。
何が言いたいのかなあとユウトが首を傾げると、ウウウと困ったように唸ったエルドワが、こちらの前に立ち塞がるようにして足を止めた。
「エルドワ……?」
おもむろに、目の前のその身体の骨格が変化し始める。ユウトは目を丸くした。
犬から魔獣への変化とは明らかに違う。その前足が両手となり、地面から離れる。後ろ足は二足歩行の形に。
これは、人化だ。
「……ユウト」
初めて聞くエルドワの声。
想像してたのと全く違う彼の姿に、ユウトはしばし状況を忘れて呆然としてしまった。




