弟、地下70階でヴァルドを呼び出す
51階からは、廃墟や墓場のフロアだ。
真っ暗な世界の頼りは月明かりだけ。星は見えなかった。
ほんの少しかがり火らしきものがあるけれど、あまり役には立っていない。ところどころぼんやりと光っているのは、ウィル・オ・ウィスプという鬼火がいるのだとレオが教えてくれた。
このフロアにメインでいるのはゾンビとスケルトン。それから高位死霊術を操るゴブリン。霊体のものはまだあまりいないみたいだ。
「ウィル・オ・ウィスプはあまり直視するな。知らん間に身体が引き寄せられて、沼にはめられたりする。近付きさえしなければそれほど問題ない」
「……暗所だとつい明かりに目が行っちゃうんだよね。暗いおかげでゾンビとかがあんまりはっきり見えないから、ありがたいのはありがたいんだけど……」
「アンアン!」
ユウトが不安にかられてレオのスーツの裾を摘まんでいる間にも、敵を見つけたエルドワがタッと駆けていく。見えない闇のどこかから、ゴリン、ガリンと骨の砕ける音がした。
「エルドワ、わんこだからなのかスケルトン好きだね~」
「骨だしな」
「もう、危ないって言ってるのに……」
エルドワは近くにスケルトンがいると飛んでいく。ユウトはそのたびにハラハラしているのだが、レオとネイは全く心配していないようだった。
小さくて可愛い子犬、という点で認識が一致しているはずなのに、2人はその頭に『すごく強い』という形容詞を付けているのだ。
もしかして心配している自分の方がおかしいんだろうか。
ちなみに、エルドワはゾンビには無反応だ。腐った肉には興味が無いらしい。
「アン」
「あ、お帰りエルドワ。おっ、珍しい! それ、スケルトンのドロップアイテムじゃん!」
「百発百中の弓か。ずいぶんレアなものを手に入れたな。周りに弓使いがいないのがもったいないが」
戻ってきたエルドワは、戦利品の弓をくわえていた。威力はそこそこだが、命中率が100%の武器らしい。
かなり珍しいものなのか、ネイはエルドワが地面に置いたそれを手にとって眺めた。
「ソードさん、これ使わないならもらっていいですか? ウチの真面目くん、本来はメイン武器が弓なんですよね。アイテム合成して強化すれば、めっちゃ使えます」
「真面目の武器が弓? 初めて聞いたが」
「それがね、連射力や曲射の技術はあるんだけど、命中率がいまいちで。急所を貫ける確率が80%くらいだから仕事ではあんま使えないんですよ」
「……ど真ん中を80%ってだいぶすごいと思いますけど」
「俺たちに求められる仕事の精度からするとちょっと心許ないんだよね」
ネイはそう言って肩を竦めた。さすがは国王付きの精鋭、基準が厳しい。
「まあ、他に使用者がいないし、俺は構わん。取ってきたエルドワとその主のもゆるが良ければ」
「アン」
「僕も構いませんよ」
「ありがと!」
全員の了承を得て、ネイは弓をポーチにしまった。
そこから再び、みんなで歩き始める。
真っ暗でだだっ広いフロア、本来だったらここを下り階段を探してうろうろしなくてはならないのだろうけれど、エルドワがいるおかげで迷うことはない。
どうやらゾンビやスケルトンは墓の近くに行かないと地中から出てこないらしく、想像以上にすんなり進んでいく。
ただ罠は多く、そこかしこでエルドワが足を止めた。
「覚醒の罠が多いなあ。1個でも引っかかったら大変だ」
「覚醒の罠ってどういうものなんですか?」
「周囲の一定範囲のモンスターを目覚めさせるんだよ。ゾンビたちが一斉に襲ってくるから面倒なの」
ネイが言いつつ罠に連動する配線を切る。
それを眺めながらレオも補足した。
「いい素材が取れる魔物を集めるには美味しい罠なんだがな。あいにくゾンビは、ランクもそれなりで接触型ドレインをしてくる面倒臭い敵のくせに、取れる素材が腐った肉とボロ布という最悪な魔物なんだ。正直、相手をしたくない」
「腐った肉とボロ布……」
「腐った肉は魔物を罠に掛ける猛毒の餌の材料、ボロ布はたいまつやかがり火の材料にしかならないんだよ。俺たちには全く不要なのよね。まあ、売ればそこそこの値段にはなるけど」
それを聞いて、ユウトははたと思い立つ。
だったらそれだって欲しい人にあげればいい。きっと喜ばれるに違いない。
「それって、テムの村に届けたら役に立つよね。どっちも使うし。途中で手に入れたらもらっていい? 馬車と一緒に持っていく」
「ああ、まあいいんじゃないか。あの村は街から離れていて自衛しなくちゃいけないし、そういうものがいくらあっても困らないだろう。どうせ最短を行っても、ゾンビとは何度も戦う羽目になるから腐るほど手に入る」
「うん、もう腐ってるけど」
テムの役に立つと考えれば、ゾンビとの遭遇もさっきほど億劫にならない。ユウトは少し気楽になった。
それから再び歩き出して、特筆するような問題も無くパーティはどんどん深部へ進んだ。
ちなみにゾンビのバリエーションが人だけでなくワニやら牛やらに増えたが、取れる素材は一律腐った肉だった。何とも芸がない。
そうして到達した地下70階。
ここまでと同じ夜のフロアだが、その景色が変わった。
今まではどこかの村と墓場を模したような光景だったのに、そこは大きな屋敷の中のようだった。
真っ赤な毛足の長い絨毯が敷かれた一室。肖像画がいくつも飾られていて、大きな鏡もあった。クロスの掛けられたテーブルには金の燭台が置いてある。まるで宮殿の一部屋のようだ。
「すごい貴族のお屋敷みたい……。ヴァンパイア・ロードの宮殿ってことなのかな」
「だろうな。ゲートの中の世界は大ボスが思い通りに組み上げるものだ。これを見る限り、ボスはだいぶ虚栄心が強い奴なのだろう」
「でも、建物自体は屋敷っつーか、塔っぽいですね。窓から外を見るとここ、高すぎて下が見えませんよ」
ネイの言葉に窓を覗くと、確かに闇と靄で地面は見えなかった。
「ここからはこの塔を1階ずつ下りていく感じなのかな。窓から出て壁を伝って下りれば、地下128階まで行けちゃいそうだけど」
「それは無理だ。繋がっているように見えるが、フロアは階層ごとに空間が区切られているからな。この窓は開かない」
「やっぱり1階ずつしか進めないのかあ」
まあ仕方がないか。ユウトはすぐに切り替えてレオを見た。
「ところで、ここからヴァンパイアが出るんだよね? ヴァルドさん呼ぶ?」
「……そうだな。5時間あれば80階まで到達できるだろうし、今日は1回の呼び出しですむだろう。頼む」
「うん」
ユウトはピアスの針を指に刺し、零れた血をブラッドストーンに塗り込んだ。途端に足下に魔方陣が浮かび、そこに魔力が渦巻く。
やはり今回も感じる彼の歓喜。
以前と同じように詠唱をして真名を呼べば、目の前に漆黒のマントを纏って恭しく跪くヴァルドが現れた。
「召喚をお待ちしておりました、我が主」
「ヴァルドさん、今回もよろしくお願いします」
「お任せ下さい。あなたのためにあらゆる力を尽くしましょう」
相変わらず艶のある笑みを浮かべたヴァルドは、立ち上がってユウトの左手を取ると、血の零れる指を口に含んだ。前と同様に、僅かに血を吸い、傷を塞ぐ。
それを見たレオも、前と同様に怒りを露わにした。
「貴様、また……! 勝手に俺の大事な弟の血を味わうな! いや、断りを入れても許さんが!」
「私を使役する場合、これは仕様だと諦めて下さい。このくらいの量は血を頂かないと、5時間保ちません。……とはいえ、もちろん主が嫌だとおっしゃれば控えますけれども」
「え? 必要なら僕はそれでいいですけど。傷も治してもらえるし、何の問題も無いです。兄さん、気にしすぎだよ」
「くっ……! 今度貴様を呼び出す時は、もゆるの指にわさびを塗っておいてやる……!」
ユウトにたしなめられて、レオが妙な対抗策を企てる。
ヴァルドはその言葉に軽く首を傾げた。
「もゆるとは……?」
「あ、僕たちこの格好をしてる時は別パーティ扱いで……。僕がもゆるで兄さんがソード、ネイさんは先生っていいます」
「世を忍ぶ仮の姿と名前というわけですか、なるほど。では、その格好でいらっしゃる時は、私もそうお呼びすることにします、もゆるさん」
「はい、お願いします」
「ふふ、そのお姿も可愛らしい」
真の姿の時のヴァルドは悠然としている。レオがすごい目付きで睨んでいるが、彼はまるで意に介さずに部屋を見渡した。
「さて、ここは不死者の王の屋敷を模したフロアのようですね」
「不死者の王?」
「ヴァンパイアの始祖です。それが住んでいた居城が、こんな作りの部屋でした。ご存じかもしれませんが、あの大きな鏡に正面から姿を映すと金縛りに遭うので気を付けて下さい」
「……ご存じじゃないなあ。ヴァルド、その鏡は魔物なん?」
「魔物が潜んでいるだけで、鏡自体はただのアイテムです」
言いつつヴァルドは鏡の前へ行く。しかし鏡に彼の姿は映らなかった。
どういうことだろう。
そんなこちらの疑問を余所に、ヴァルドは細長い銀の杭のようなものを取り出すと、そのまま鏡を割ってしまった。すると甲高い悲鳴のような声がして、白い靄のようなものが抜けていく。
どうやら霊体を持つ魔物が潜んでいたようだ。ころりと結晶化した魔石が床に転がった。
「……お前はその鏡が平気なのか」
それを見ていたレオが訊ねる。
その問いに、何故かヴァルドは自嘲めいた笑みを見せた。
「ヴァンパイアは鏡に映りませんのでね。その血が入っていると、魔物が反応しないのです。……そんなことよりも、さあ、行きましょう、皆さん。ヴァンパイアを殺しに」




