弟、抱き枕にされる
3人と1匹でユウトの愛情料理を食べ終えると、みんなで2ルームテントのリビングに入る。先程エルドワが手に入れてきた特上魔石について、資料を調べるためだ。
外は日没直前で微妙に暗いため、ランプを付けて資料を捲る。
「ウィルさんが書いてくれたモンスターデータには、やっぱりナイトメアが回復するなんていう話は載ってないよ」
「ということは、今回俺たちが遭遇した以前のナイトメアは、この特上魔石を持っていなかったということだな。……まあ、魔物が特上魔石を作るはずもない。人間が持ち込んだものをナイトメアが飲み込んだと考えるのが自然だろうな」
「ってことは、直近でこのゲートにアタックしたパーティが原因かなあ」
ネイは過去にここの攻略に挑戦したパーティの資料を手にした。
「一番最近のアタックはもう13年前ですね」
「何階まで攻略している?」
「50階。ここまでです。ナイトメアとの戦いで、味方の戦士たちが操られて同士討ち始めて、散々だったみたいですよ」
「その人たちが特上魔石を持ってたのかな」
「かもしれんな。ランクSSに挑めるパーティなら、それくらい稀少なアイテムを持っていても不思議じゃない。……しかし、報告が上がっているということは、それでも生還した者がいたということか」
レオはネイからそのパーティの資料を受け取り、何気なく目を通した。が、そこに思いも掛けず、知った名前を見つけて目を丸くする。
なぜ、このランクSSゲートの攻略メンバーの中にこの名前が。
「魔導師・マルセン……!?」
「え!? マルさん!? ……や、でも、名前が同じ別の人じゃないの? だって、マルさんってランクAだし」
確かに、ランクが違う。しかし、ランクAからSやSSに上がるのは任意だ。もちろん資質がなくて上がれない者がほとんどだが、実力があっても面倒で上がらない者もいる。
そういう人間は、時折上位冒険者のパーティに請われて参加することがあるのだ。
ライネルも一目置くような術知識を持つ魔導師、マルセン。あの男が過去にそういう立場であった可能性はある。
「……まあ、王都に戻ったらこの魔石を見せて訊いてみれば分かることか。もゆる、この魔石はお前が持っていろ」
「……これって自動回復だよ? 今のうちは前衛で戦う兄さんか先生が持ってた方が良くない?」
「いいんだよ、もゆるちゃん。俺もソードさんもそうそう攻撃に当たんないし、もゆるちゃんが持ってくれてる方が俺たちも安心」
「そういうことだ」
「アン」
「エルドワにまで賛同された……。んー、じゃあ、僕が持たせてもらいます」
少し不本意そうだが、ユウトは素直にそれをポーチに入れた。
それを見届けて、レオは別の攻略資料を手に取る。
今度は明日から潜るフロアの確認だ。
「明日の3日目からは、不死者ゾーンに入る。全フロアが夜になるから、俺の暗視眼鏡とエルドワの鼻が頼りだ。俺とエルドワで先頭を行く。もゆるはあまり離れずに俺たちの跡をついてこい。ジャージ狐は後ろを警戒しつつもゆるを護れ」
「了解」
「次のフロアからは、武器に属性付けるんだよね。最初から付けておく?」
「そうだな、一度掛ければ30分ほど保つようだし。明日のフロアに出るモンスターは炎が効く奴がほとんどだ。事前に炎属性を付けてもらう」
剣は鞘に入れておけば炎が漏れることもないから、夜のフロアでも悪目立ちはしない。エルドワの誘導で最短を行けば、ユウトにそれほど負担を掛けることもないだろう。
「ソードさん、明日の目標階は?」
「80階だ。……ただ、78階で敵にやられて引き返したパーティのデータがあるからな。そこで足止めを食う可能性はあるが」
「あー、あの脳筋が書いたクソみたいな報告書の……。何にやられたとか、どんな敵がいたとか、全く分かんないんですよね。俺の部下だったらあんなの許さねーんですけど」
本人の言う通り、ネイたちの報告書はきっちりしている。基本はネイとオネエがメインで書くが、真面目はもちろん、コレコレやチャラ男もネイの教えを受けて、しっかりとした報告書を作る。
そういう人間からしたら、その報告書は余程クソだったのだろう。
「まあ、警戒する指針程度にはなる。その先はどうせ未知なんだし、気を緩めずに行くまでだ。吸血鬼が出始めたらヴァルドを呼ぶことになっているし、逆にここまでより楽になるかもしれん」
「だといいですけど。ただ、ドレイン系を使う魔物出てくるのがなあ」
ため息を吐いたネイに、ユウトが首を傾げた。
「ドレイン系……体力とか魔力とか奪われる感じですか?」
「そんくらいなら後で回復出来るからいいんだけどね。ステータス吸われることもあるし、一番面倒なのが、経験値っつーか熟練度っつーか、そういうのを吸い取られた時。ランクがひとつ下がるくらい身体が動かなくなるのよ。吸った魔物はすぐに逃げるから、追いかけて倒さないと力が戻ってこないし」
「このゲートをクリアすれば、ドレイン系無効の素材が手に入る。そうなれば何の脅威でもない」
「だからこのゲートをクリアするためにそれが欲しいんですって~。何なの、このジレンマ!」
確かに、ドレインは厄介な魔法だ。命中率は低いが、当たるとかなりの痛手となる。反射もできないから、とにかく発動前にいち早く敵を倒すか、ドレインを食らった後に逃げられる前に倒すしかない。
「まあ、ドレイン食らってもエルドワがいれば敵を追えるかもしれない。普通の攻略に比べたら段違いのやりやすさだと思うぞ」
「それは確かに……。うん、エルドワいて良かったわ。お前、ほんとお役立ちだよね」
「アン」
エルドワはドヤっている。
「とりあえず、明日は早めに起きて攻略開始しよう。データが少ないから、慎重に進まないといけないしな」
「そうですね。今日はナイトメアのせいで精神的にも肉体的にも結構疲れちゃったし、もう寝ましょう」
レオの言葉に、ネイは立ち上がった。自分のテントに戻るのだ。
それにつられてユウトも立ち上がった。
「お休みなさい、先生。今日はお疲れ様でした」
「うん、お休み」
ネイがユウトとその腕の中にいるエルドワの頭をぽんぽんと撫でて出ていく。疲れがあるのか、やはりちょっと怠そうだ。
だがそれは自分も同じ。レオも緩慢に立ち上がった。
「兄さん、先に寝室行ってていいよ。僕がテントの入り口閉じてランプ消してく。スーツの上着とベストとネクタイ、そこに置いといて。ハンガーに掛けておくから」
「頼む」
兄の様子に敏い弟は、レオを先に休ませる。ユウトを甘やかすのは自分の楽しみのひとつだが、こうして世話をしてもらえるのも嬉しい。
レオはユウトをリビングに残し、寝室のシュラフに潜り込んだ。
1枚の幕を隔てた向こうで、弟がぱたぱたと動いている気配がする。それが他の誰かなら鬱陶しくて仕方が無いが、ユウトであるだけで安心出来る。その物音を聞きながら、レオは彼がこちらに来るのを待った。
リビングのランプが消え、先にエルドワがシュラフに入り込んでくる。兄がもう眠ったと思っているのか、弟は子犬の後から静かに寝室に入ってきた。
そのまま、エルドワを挟んでシュラフの向こう側に潜り込む。
その手が昨晩のお返しのように、労りをもってレオの頬を撫でた。自分のものよりも小さな手のひらから、心地良い温もりが伝わってくる。これだけで今日の疲れが癒されるようだ。
……いや、それにはまだ足りないか。
レオは間にエルドワがいるのに構わず、腕を伸ばしてユウトの身体を引き寄せた。
「わわっ……! 兄さん、起きてたの?」
「……今日は抱き枕にしていいか?」
問いに答えず問い返す。間で挟まれてもぞもぞ動くエルドワのもふもふがこそばゆい。
「兄さん、疲れてると僕を抱き枕にしたがるよね」
「疲れてなくてもしたいが、疲れてる時は癒され度合いが違う」
少し呆れた様子の弟に返すと、彼は「気のせいだと思うけど」と控えめに苦笑した。
それでも間に挟まれたエルドワを持ち上げて、レオと反対側に下ろす。
「ごめんね、エルドワ。今日は場所代わって」
「アウン」
素直に了承した子犬はそのままシュラフに潜った。そしてユウトも、レオの側に潜る。
兄はその体温をありがたく腕の中に収めた。
ずっと以前、ユウトと会う前は他人の体温なんか知らなかったし、それを欲することもなかったというのに。ハグをして他人と密着するなんて、考えただけでストレスでしかなかったというのに。
一度この温もりの幸福感を覚えてしまったら、手放せなくなってしまった。
もちろん、弟以外だと何者に対してもこんな感情は抱かないけれど。
腕の中で落ち着いて、こちらの胸に額を寄せるユウトの体温を感じながら目を閉じる。
大事なものを今日も護れている安心感、そして今この温もりに護られている安心感。
過去には王族の火種となりうるこの剣聖の力を疎んだこともあったけれど、弟のために振るえるのならばこの上ない幸甚だ。
どんな時でもユウトを護り甘やかせる最強の兄たるために。
そして弟をしがらみから自由にするために、明日も全力を尽くそう。
そう誓って、レオは深く幸福な眠りに落ちた。




