兄、1%を当てる
確率回避の魔法は、こちらの技術でどうにかなる類いのものではない。ヒットするのも確率判定ならば、ヒットした時の効果も確率判定になるのだ。
例えば攻撃の当たる確率が5%だったとして、さらにそこからノーダメージ、通常ダメージ、クリティカルダメージへの確率判定がある。その割合も、通常ダメージが5割、ノーダメージが3割、クリティカルダメージが2割。
つまり目に見えた効果のあるクリティカルダメージを与える確率は1%だ。
100回に1回当たると考えればどうにかなりそうな気もするが、それほど簡単ではない。その手数を振る労力もさることながら、95%以上が無駄振りになるのが精神的にキツい。それでもいつ来るか分からないクリティカルの手応えを逃さないためには、一撃も集中を切らすわけにはいかいなのだ。
体力と精神力、その両方を摩耗する戦い。
それでもレオは、ユウトに100発の魔法を撃たせるより全然マシだと考えていた。
「っ、くそ!」
懸命にイライラを抑えながら剣を振るうレオを嘲笑うかのように、ナイトメアは攻撃をすかし、走り回る。攻撃範囲から離脱されている間は何も出来ずに時間ばかり過ぎるのが、さらにレオの焦燥を倍加させた。
「これ、30分は厳しいなあ……」
ユウトを護りながらその様子を見ていたネイが、眉を顰めて零す。
その言葉の意味が分からず、ユウトは彼を見上げた。
「兄さんも言ってたけど、その30分って何ですか?」
「さっきの定期再生魔法の縛りだよ。あいつ30分おきに回復すんの。だからその前に一気に倒しきらないといけないわけ」
「え、そうなんですか!? じゃあ、あんなに走り回られると時間が足りないですね」
「首に縄くっつけて逃げないように出来りゃいいんだけど。半幽体だからすり抜けられちゃうし、上にも乗れないしなあ……よっと」
再びこちらに向かって走り込んできたナイトメアを、ユウトはネイに抱えられるように回避する。
ようやく敵を射程に入れたレオが攻撃を再開した。
「兄さんの攻撃エリアに留めておければいいんですよね。……ナイトメアって半幽体なんだし、聖水とかで行動制限できないんですか?」
「できないことはないけど、聖水撒いてる間に逃げられちゃうしなあ」
「……つまり逃げられる前に一気に囲っちゃえばいいんですよね? だったら僕が魔石に聖水の瓶を括り付けて操れば、できるかも。4カ所くらいから同時に垂らして、円を描くようにして閉じてしまえば……」
「あ、なるほど、それなら短時間で聖水結界陣を作れる! もゆるちゃん賢い!」
ユウトの提案を受けて、ネイは4つの聖水を取り出した。その瓶の縁に魔石を括り付け、蓋を開ける。
「不死者対策に聖水たくさん買って来といて良かったわ。もゆるちゃん、行けそう?」
「4つくらいなら全然平気です」
魔石に魔力を通し、ユウトはふわりと聖水を浮かす。それをナイトメアと戦うレオの前後左右に、距離を取って配置した。
レオたちは聖水の上を自由に行き来出来るから、閉じ込めるのは魔物だけだ。できるだけ狭く、しかし狭すぎると円を描ききる前に内側から逃げられてしまう。慎重に、正確に、素早く。
適度な位置を見極めて、ユウトは聖水の瓶を一斉に傾けた。
土の上に零れた水で一息に曲線を描く。
それぞれの始点が違うだけで、動きは全部同じだ。連動させれば難しいことはない。
この行動に気付いた馬の魔物がその外に出ようとしたけれど、ユウトはそれより先に瓶を回しきり、何とか円を閉じた。聖水結界の完成だ。
「よくやった、もゆる!」
弟が何をしたかすでに分かっているらしい兄が、少し声に元気を取り戻す。対して、ナイトメアが憤慨したようにいなないた。
半幽体の身体には、聖水が劇薬か何かに相当するのかもしれない。魔物が聖水に僅かに触れただけで、白い煙のようなものが出た。
「これでこいつはここから出られない。もゆる、お前はしばらく下がっていろ」
「ソードさん、俺も加勢します? もゆるちゃんに直接攻撃が行く心配なくなったし、魔法攻撃だけ気にしてれば問題なさそう」
「……早期決着のためには仕方ないか。貴様も加われ」
「了解」
レオの了承を得て、ネイも短剣を取り出す。そして出席簿を模したボードも取り出して、ユウトを振り返った。
「もゆるちゃん、奴の魔法が来たら俺が防ぎに来るつもりだけど、万が一の時のためにこのボードも持ってて。こっちの面が魔法反射。上手く跳ね返せなくても、構えればダメージの打ち消しくらいはできるから」
「ありがとうございます、先生。じゃあ僕はその剣に属性付けますね」
「うん、よろしく」
ユウトの魔法でネイの短剣の刀身も燃え上がる。
それを逆手に構えると、彼はすでに攻撃を再開しているレオに加勢した。
「後で頭部を狙いやすいように、両前足を潰すぞ」
「了解」
狭まった行動範囲に激昂して暴れるナイトメアを、2人は器用にかわしながら攻撃をする。その大半はやはり回避されてかすりもしないのだけれど、逃げ回られていたさっきより手数が増えたおかげで、その瞬間はまもなくやってきた。
「……来た!」
ようやく待ちに待った手応えを感じたレオが、剣を振り抜く。
ゴッ、と骨を断つ硬い音がした。
そのダメージに大きくいなないた魔物が、一度後ろ足で竿立ちになる。それからずしんと着地すると、前のめりに身体を傾がせた。
「……こっちも来たあ!」
ナイトメアがかろうじて身体を支えたもう一方の前足を、今度はネイが断ち落とす。動きを制限できると、手数の分母が増える分成果が出るのも早い。
切り離された足が煙と化して消え、魔物の上体が地に落ちると、2人は一旦大きく息を吐いた。
「もう一息だ。首を落とせないまでも、とりあえず気絶させるぞ」
「了解で……うわっ、っと」
再び攻めかかろうとするレオたちの前に、今度は氷柱が落ちてくる。
蹴りが出来なくなったナイトメアが、攻撃を魔法にシフトしたのだろう。ユウトには構わず、レオとネイだけに執拗に氷の魔法を仕掛けてきた。
「うわーウザい! かわしてもかわしても追ってくる!」
「っ、こいつ、もしかして回復までの時間稼ぎをする気か!」
「先生、先生、出席簿返そうか?」
「跳ね返す方が労力掛かるから、もゆるちゃんが持ってて大丈夫!」
魔法自体は大して威力の無い下位魔法。ただ、当たると一瞬フリーズするのが厄介だ。剣でたたき壊してもすぐに次の魔法が来る。これは時間稼ぎだと考えて間違いあるまい。
「小賢しい真似を……!」
レオが炎をまとった剣で一気に周囲をなぎ払い、ナイトメアの頭を目掛けて刺突する。しかしこの一発で仕留められるはずもなく、すぐに襲ってきた氷柱の連発に後退した。
「やばい、ソードさん! そろそろ30分になる!」
「くそっ……!」
前半、走り回るナイトメアにだいぶ時間を取られた上に、この氷魔法攻勢のせいで決定打が出せない。ここからユウトの魔法に頼っても無駄撃ちになる可能性の方が高いし、一度仕切り直すしかないのか。
最初から聖水結界がある分次は追い回す必要がないが、正直、本意気で剣を振り続ける集中力を保たせるのがキツい。
ネイは集中力はあるが、次もとなると逆に体力が保たないだろう。
「あ、ナイトメアの身体に、薄緑の膜が張り始めた……! また回復しちゃう!」
ユウトの声に、レオはもはや打つ手無しと、もう1ターン戦う覚悟を決める。
次は弟の魔力も空になる寸前まで借りるしかない。
とても貴重なものだが魔力が最大まで回復出来る薬があったはずだから、ユウトには後でそれを飲ませよう。
かなりうんざりとした気分でそう考えた時だった。
不意に氷柱の隙間をころころの毛玉が通って行ったのを見て、レオは目を疑った。
今のはもしかして、もしかしなくても。
「エルドワ! 危ないから家の中で待っててって言ったでしょ!」
後ろから慌てたユウトの声が聞こえて、やはり今の毛玉が子犬であったことを理解する。
危ないから来ては駄目だと言い含めていたのに、一体、エルドワは何をするつもりでここに来たのか。
……そう、本当なら、子犬の危険で勝手な行動を怒らなくてはいけないはずなのに。
その時レオの心に湧いたのは、エルドワなら何かをしでかしてくれるのではないかという、根拠のない期待だった。




