兄、地下30階で殺戮熊と戦う
幾分体調が戻ったので再開します。
よろしくお願いいたします。
地下1階はどこかの村のようなフロアだった。
人影はないが、牧場の柵があったり、レンガ造りの家があったり、木で出来た納屋があったりする。
太陽はてっぺんにあって、のどかな昼下がりの様相だった。
「……な、何か思ってたのと違う……」
不死者が出るゲートだというから、もっとおどろおどろしいものを想像していたのに。覚悟していた分、少し拍子抜けだ。
ユウトがきょろきょろと辺りを見回していると、後ろからネイが答えた。
「資料によると、ここから1階下るごとにじわじわと太陽が傾いてくるらしいよ。んで、50階で太陽が沈む。そこからはホラーだって」
「ホラー……」
正直、そのジャンルはあんまり得意じゃない。日本にいた頃もそれ系の映画を友達に見せられて、夜眠れなくなった覚えがある。
魔物の解体すら未だに直視できないというのに、スプラッタとか、ゾンビとか、そういうのが無いといいけど。
「今日の到達目標は地下30階だ。序盤は食料になりそうな魔物と使えそうな素材の魔物以外は無視して行くぞ。エルドワ、階段はどっちだ?」
「アン」
レオに訊ねられて、エルドワは一軒の家の裏を鼻先で指した。
ずいぶん近い。
「降りた場所のすぐ近くに階段があるんだね」
「まあ、そういうこともあるだろう。ゲートはフロアの形状は変わらないが、階段の場所はランダムだからな。今回はたまたま運が良かったわけだ」
「そうなんだ」
今日は30階も下るのだから、敵に遭遇せずに進めるに越したことはない。遠くに巨大な猪の魔物が見えるが、それは無視してみんなで階段を降りた。
ランクSSのゲートとはいえ、このあたりのフロアにいる雑魚敵はまだランクAくらいらしい。それでももちろん強敵なのだけれど、レオとネイはサクサクと敵を倒し、素材を剥いでいく。
いつの間にかエルドワも参戦して、知らないうちに特上魔石と上位魔石を取ってきていた。
はっきり言って、ユウトの出番がない。
まあ後半は出ずっぱりになるから、今は温存しておこうということなのかもしれないけれど。
結局特に何の問題も無く、初日のパーティは目標の30階へと到達した。
「30階は、野営をするために全魔物を倒すぞ」
「りょーかい。この階には宝箱もありそうですよ。ランダム配置ですけど、探します?」
「そうだな。敵を倒しきってから探してもいいだろう」
「宝箱かあ……! これだけランクが高いゲートだと期待しちゃうね!」
「もゆる、その前に魔物退治だ。敵が来たぞ」
魔女っ子名で呼ばれて、慌てて身構える。
ユウトが兄の視線の先、森の奥を見ると、そこには巨大な熊の魔物がいた。金色に輝く目が6つある。
殺戮熊だ。以前ユウトが見た五ツ目よりはるかに大きい。
「大っきい……」
「六ツ目ですか。この辺からは特Aランクかな? 表は夜だから、フロアは昼でも忍び足で近付くような知恵が付いてるようですね」
「多少の知恵が付こうが問題ない。あいつは俺ひとりで行ける。貴様はもゆるとエルドワを護っていろ。……こいつの攻撃パターンは分かっているな?」
「大丈夫です。任せて下さい、ソードさん」
ネイがエルドワをユウトに抱かせ、下がらせる。
こちらに気付かれたことを覚った殺戮熊は足を止め、その場で仁王立ちした。
四足歩行の時点でも小山のようだったのに、立ち上がると4・5階建てのビルくらいある。とにかく大きい。
「もゆるちゃん、俺の後ろにいてね。六ツ目は遠距離攻撃もしてくるから」
「遠距離攻撃?」
「目からビームが出る」
「えっ、うそ、カッコイイ!」
特撮のような映像を思い浮かべて、ユウトはちょっとテンションが上がってしまった。もちろん食らいたいわけじゃないけれど、少しだけ見てみたい、かも。
……いや、今はそれどころではないか。
「戦闘に入ると、おそらく周囲の敵も気が付いて寄ってくる。分かっていると思うが気を付けろ」
「もゆるちゃんの魔法もあるから平気ですよ。エルドワもいるしね」
「アン!」
「では、行くぞ」
レオは眼鏡のブリッジを押し上げ、あっさりとした号令と共に即座に殺戮熊目掛けて突っ込んだ。もえす装備とはいえ、相変わらずスーツ姿とは思えない動きだ。
一気に距離を詰め、その足下に辿り着く。
「まずは一撃」
走り込むスピードに抜刀の勢いを乗せ、体幹は保持したまま絶妙な角度で刃を打ち込む。
その一撃は大きな殺戮熊の足の骨を断って、易々と振り抜かれた。
「グギャアアアアアア!」
立ち上がったばかりの熊もどきが、地響きと共に再び四つん這いになる。周囲の森が震動し、そこかしこで魔物の咆吼が上がった。
この一撃だけで、レオたちの存在がこのフロアの魔物たちに知られたのだ。
「さすがソードさん、すごい腕力と技術だねえ。俺だったら絶対通らないもんね、あの攻撃」
しかし一気に辺りの魔物が騒がしくなったというのに、ネイは慌てた様子もない。
「ネイさ……じゃなかった、先生、他の魔物も襲ってきそうなんですけど……」
「うん、来るだろうね。でもここで一番強いのは六ツ目だから、そんなに心配しなくても大丈夫。もゆるちゃん、まだエルドワは抱いててね」
ネイは周囲に気を配りながらも、レオと殺戮熊に目を向ける。
いつの間にかその片手には出席簿を模したシールドを持っており、反対の手はユウトの肩に置いていた。
そして、四つん這いになった熊もどきは今、その片足と腕で身体を支えながら、牙と爪でレオをがむしゃらに攻撃している。
未だに頭の位置が高く、あれでは首を落とすのも大変そうだ。
「僕も少し魔法で助勢した方がいいかな?」
「ああ、大丈夫。ソードさんはやろうと思えば行けちゃうのよ。ただ、周囲にたくさん敵がいる時は、効率重視でこういう戦い方するんだよね」
「効率重視って?」
「少ない労力で一網打尽、ってこと。……ほら、他の敵のお出ましだ」
ネイに言われて周囲を見ると、森や家屋の陰から魔物が現れた。
動物系の魔物ばかりが大体10体ほど。ウィルが作ってくれた攻略資料に載っていた、ランクAの魔物だ。
「暴れ猪と銀狼、頭突き牛か。近距離タイプばっかりで助かるなあ」
威嚇するように低い唸り声を上げる魔物たちは、派手に動くレオの方に照準を合わせている。しかし、自在に動き回るレオに的を絞りきれず、突進出来ないようだった。
「うまく近くに集まってきた。そろそろいいかな。もゆるちゃん、今から敵を呼ぶけど動かないでね」
ネイは頃合いを見て、それだけをユウトに告げて、いきなり指笛を吹いた。
途端に、そこにいた魔物全ての注意がこちらに向く。
それと同時に、ちらりとこちらを見たレオが、バックステップで殺戮熊との距離を取って、なぜか剣を収め、足を止めた。
何か狙いがあるのだ。ユウトは言いつけどおり、エルドワを抱いたままじっと身を固くした。
そうして止まっている2つの的に狙いを定めた魔物たちが、それぞれ近い方に飛び掛かろうと身を低くして構える。
その瞬間、足を切断されているせいでとっさにレオを追えない熊もどきが、6つの金色の瞳をぱちりと瞬かせた。
視線をそこからはずさないまま、レオが声を掛ける。
「来るぞ!」
「分かってますって!」
それが合図になったように、周囲にいた魔物が一斉に飛び掛かってくる。
ユウトは思わず一瞬目を閉じたけれど、しかし、こちらには何の衝撃もないままに敵だけが悲鳴を上げた。
妙な熱の伝播と焦げ臭いような臭いに、何が起こったのかと目を開ける。
すると、殺戮熊が6つの目から無差別に高熱の光線を放っていた。その視線はぐるぐるとそれぞれ別々の動きをし、ランダムで一所に留まらない。縦横無尽に走るビームに、ランクAの大きな身体を持つ魔物たちは避けきれず、その身を焼き切られた。
ずしん、と重い音を立てて、悲鳴の咆吼と共に何体ものモンスターが地に伏せる。すごい威力だ。想像してたのと違うけど。
そんな中、レオはその光線をうまく縫いながら再び殺戮熊に接近し、ネイはシールドで光線を上手に跳ね返していた。さすがだ。
「もゆるちゃん、ソードさんが熊の首を落とすまで、ちょっと我慢してね」
「はい、先生」
「うわあ、その返事、何かいいなあ~」
あまり緊迫感の感じられないネイに、ユウトも幾分落ち着く。
おかげで少しだけ、前方にいる兄の様子を見る余裕が出来た。
レオが正面から近付いているせいで、殺戮熊の視線のうちの3つが彼を追い始めているのが分かる。
距離が近くなれば避けるのも難しいだろうに、それでも兄はまっすぐ進んでいた。
……そうか、首を落とすには敵が大きすぎて、その身体を伝って上るしかないからだ。
ユウトはそれに気が付いて、自身のポーチを漁った。
今ならこれが役に立つ。クズ魔石で作った足場だ。
魔力が低すぎて敵からターゲットにされることはないし、自在に移動させられる。
レオが殺戮熊の頭の後ろまで駆け上がるのに、おそらく3枚もあれば十分だろう。
ユウトはネイの背後からこっそりと足場を飛ばした。
小さな足場を収束した光線から逃がしつつ、兄の前に回り込ませて階段状に配置する。
「兄さん、足場!」
ユウトの声で、レオは即座に足場へジャンプした。熊もどきの視線が追いつく前にそのまま駆け上がり、一息に光線の届かない後頭部に向かって飛ぶと、同時に抜刀する。
そこからは一瞬だった。
切っ先が燦めいたかと思うとその光が弧を描き、殺戮熊の首の後ろを通り抜ける。その刹那、光線が止まり、途端に周囲が静まりかえった。
タン、とレオが地に降り立ち、素早くその場を離れる。
それから数秒遅れて、身体から切り離された熊もどきの首が地上に落ち、次いで小山のようだった身体も大きな地響きと共に突っ伏すように崩れ落ちた。もちろん、もうピクリとも動かない。
……すごい。あんなに大きいのに、こんなにあっさり倒すなんて。
ちょっと呆気に取られていると、ネイが振り返って微笑んだ。
「ここからは俺たちでいこうか。もゆるちゃん、エルドワを放して。生き残りを倒しちゃおう」
「あ、はい、先生」
「ほんと、いいお返事だわ~」
何だかご満悦なネイに指示されて、残った魔物を魔法で倒していく。エルドワは勝手に歩き回って、こちらもまだ生きてる魔物から魔石を剥ぎ取っていた。普通に尻尾をぴるぴるして可愛い顔のまま、肉ごと引き千切っているのを視界の端で見て、ちょっと見ぬ振りをしたのは内緒だ。
結局、ユウトはほとんど魔力を使わないまま、フロアが制覇されてしまった。
「もゆるの足場のおかげで、こんなに早く決着が付いた。お前は本当に気が利くな。ありがとう」
側に戻ってきたレオは、ユウトの頭を優しく撫でる。
弟は兄の甘い評価に苦笑した。
「でもあんまり役に立った気がしないけど……」
「もゆるちゃんはまだそれでいいんだよ。下の方に行ったらどんどんキツくなるから、体力温存しておいて」
「そうだな。ヴァルドを呼び出したり、エルドワに与えたりするのに血も必要だし、体調に気を付けろ」
「アン!」
「うん、分かった」
ユウトが頷くと、レオはその頬を軽く指の背で撫でてから周囲を見回した。
「では、倒した魔物の素材を剥いでから、宝箱を探しに行くか」




