兄弟を取り巻く人たち【ウィル】1
レオたちに与することにして以来、ウィルはパーム工房とロジー鍛冶工房をひときわ注意深く観察するようになった。
その悪事を暴こうと思っているわけではない。ただ状況を把握し、考察するためだ。
そもそもレオたちが彼らの悪事を知りつつも野放しにしているのだから、その邪魔をするつもりは毛頭なかった。
両工房を泳がせている理由も、ウィルには分かっている。
彼らがいなくなると、魔研の連中の行動が見えなくなるからだ。
あくまで本命は元・魔法生物研究所の研究員たち。
だからこそウィルは、奴らが工房に接触してくるのを待っていた。
(一度、魔研の人間を直接確認してみたいんだが……)
見た目だけで判断できるわけではないが、その視線運びや表情、仕草には性格が現れる。性格からは大体の思考系統を推測できる。
初見の印象は、人物分析の大きなウエイトを占めるのだ。
ウィルは仕事終わりの帰り道、それらしい人間がいないかと、いつものようにパーム工房の店舗を外から覗いた。
(……あれ?)
そこで見えた、予想外の変化に首を傾げる。
何故か昨日まで店頭に置いてあった商品が、ごっそりとなくなっていたのだ。
おかしい。
……まさか、もうジラックへ逃亡するつもりか?
店主である男を昔から知るウィルは、彼がジラックに逃げるだろうと予測していたけれど、それはまだだと思っていた。
それが何故かと言えば、拝金主義の店主は閉店前にアイテムをどうにかお金に換えようと、売り出しをするはずだと踏んでいたからだ。店頭にあったのは冒険者ストアでも買い取らないような粗悪品ばかりだったし、どこかに一度に売り払ったとも考えづらい。
この予想外の行動の早さ、思いつく理由はひとつしかない。
ジラックで事を急ぐべき何かあったのだ。
もしかして闘技場絡みだろうか。ウィルは近々レオたちがそれを潰しに行くつもりだとは聞いていた。
しかし、まだ王都まで事件の情報は来ていない。どうやって知ったんだろう。
(……もしや、魔研の人間が転移して来たのか)
その可能性は高い。
だとすると、店主は捨て駒として最後の仕事をしに行くようなものだ。きっと正しい情報ももらっていまい。
店舗を失い、闘技場も失った彼らは、もう他に利用価値がないからだ。
このままでは、店主たちはウィルが想像した通りの結末を迎える。
そう考えて、彼は少しだけ逡巡をした。
愚行は目に余るが、それでも彼らは自分の幼なじみの親だ。昔からの顔見知りでもある。このまま見殺しにするのは心苦しかった。
せめてレオたちの邪魔にならない程度の、多少の忠告はしておきたい。
ウィルはそのまま店舗から裏口の方に回った。
そこにはまだ荷馬車が置いてあり、建物の中にも人がいる様子だった。まだ発っていない。良かった。
躊躇いなく裏口の扉を開け、ウィルはごそごそと物音がする方に声を掛けてみる。
「すみません」
「……誰だ?」
抑揚はないけれど凜とした声に、奥にいる人間が反応した。聞き覚えのある声音、パーム工房の店主だ。
彼は面倒そうな顔で裏口に現れた。
「……お前、誰かと思えばウィルじゃねえか。何の用だ。俺は忙しいんだよ」
息子たちと仲が良かったウィルを、男はうざったそうに見る。
そんな反応を気にせずに彼の出てきた部屋の奥を見ると、やはり突然の出立の予定なのだろう、住居の荷物はまだ全然まとまっていなかった。
「おじさん、お久しぶりです。店舗が空っぽになっていたんで、どうしたのかと思って声を掛けました。どこかにお引っ越しされるのですか?」
訊ねたウィルに、店主は面倒臭そうに頷く。
「ああ。だからお前に構っている暇なんてないんだ。とっととどこかに行け」
「ずいぶんと急なことのようじゃないですか。何かありました?」
「……仕事の取引先に依頼されてのことだ。お前に関係ない」
依頼か。
会話をしながらウィルは男を観察する。無理な言い訳をしているわけではない。とすると、やはりジラックで何か事件が起こったという呼び出し方はされていないようだ。
「パーム工房を閉めてしまうんですか? 長く続いた名店だったのに」
「ふん、他にもっといい仕事があるんだ。こんな店にしがみつくこともあるまい。ジラックでは領主様も俺を歓迎して、すぐにでも拠点を移せと言ってくれている」
少し優越感の混じる科白に、本来なら内緒にするべき人物の存在が零れた。本人はそれに気付いているのだろうか。
内情を知っているウィルには、不法であるジラックの闘技場に領主が一枚噛んでいることを暴露したも同然で。
そして、領主様『も』ということは、実際彼らを呼び出している人間が別にいることも知れる。
それこそが、魔研の人間だろう。
「……きちんとした仕事絡みでしたら、こんなに急ぐ必要はないと思うのですが」
「先方から明日の早朝に発てと言われているんだから仕方あるまい」
店主の言葉でウィルは確信する。
やはりジラックで、彼らを捨て駒にする必要のある何かが起こったのだ。おそらくは十中八九、闘技場の崩壊。
その情報が王都まで伝わってからでは、彼らは関与の発覚を恐れてジラック行きを見送るに違いない。その前に出立させ、ジラックに入らせるつもりなのだろう。
まあ、領主には歓迎されるのは間違いない。体よく罪を擦り付けることができる相手が来るのだから。
「……その性急さがおかしいと思いませんか? ジラックで、何かあったのかも」
その結末が分かっていても、ウィルは行くのを止めた方がいいなどとは言えない。やんわりと彼の思考を誘導する。
この男は他人の、ましてや年下の助言など聞かないタイプだ。そして疑り深いくせに金が絡むと簡単に動く。金を使わずに説得するのは至難の業なのだ。
この性急な呼び出しも多分、大金を餌として提示されている。となれば、それに対抗するには身の危険を自分で察してもらうしかない。
ウィルはそのために有効な言葉を探した。
「……何かあったとはどういうことだ? 妙なことを言うのは止めてもらおう」
しかしその時後ろから別の男の声がして、ウィルは会話を止め振り返った。
……見たことのない男が立っている。歳は40代後半くらいか。目の下に濃い隈がある、魔術師らしきローブを着た男だった。
不気味な闇を感じる見た目。ウィルは表情を変えぬまま、来た、と内心で合点した。
「ジア……導師様! このたびは良いお話を持ってきて頂き、ありがとうございます! 前回の仕事は上手くいきませんでしたが、今回はお役に立ちますので!」
「ああ、お前なら役に立ってくれると信じている。明日の出立には間に合いそうか?」
「もちろんです! 何としても間に合わせます!」
店主のこの態度、間違いない。この男が元・魔研の人間……所長のジアレイスだ。
前回の仕事とはおそらく魔工爺様のアイテム資料を盗むこと、そして今回の仕事は……捨て駒だ。
店主は気付いていないが、ジアレイスの浮かべる笑みは蔑みに歪み、声音には皮肉が乗っている。向けられた冷淡な視線で、彼を同等の人間だと思っていないことが分かる。
高慢な選民主義。それがウィルがジアレイスに抱いた第一印象だった。




