兄、決意を新たにする
翌日の昼、ネイがレオのところにまとめた報告書を持ってきた。
他の人間が皆、昼食のためにリビングに移動するタイミング。わざわざそこで呼び止めたのはもちろん意味があるのだろう。
ユウトが一度こちらを振り向いたが、大事な話があると察したのかエルドワを抱いてそのまま移動していった。可愛い上に空気が読めるできた弟だ。
「……報告書はできあがったのか」
2人だけ残った部屋で、ネイに訊ねる。
「もちろんです。その報告書にも一応記載したのですが、レオさんにも言っておこうと思って」
そう言ったネイは、ちらりと扉の向こうを気にした。
密偵たちを気にしたわけではないだろう。彼らに情報が渡ったところで特に問題は無い。
だとすれば、ユウト絡みか。
「手短に報告しろ」
「はい。実は、ヴァルドが禁書を探しているようなのですが、それがどうやら陛下に先に届けた一番ヤバそうな禁忌魔術書らしいのです。一応本人には告げていませんが」
「……何だと? どうして分かった?」
ヴァルドの探していた禁書があそこにあったというのか。一体どういう本だったのだろう。
「エルドワが匂いで判別していたんですが、チャラ男がすり替えた本に残った魔力の残滓に反応したんです。おそらくあれがその禁書……。ちなみに、すり替えられた本の中身がエロ本だったので、その場が微妙な空気になりました」
「クソどうでもいい」
「ありがとうございます」
「死ね」
若干かみ合わない会話をしながら、レオは眉を顰めた。
とりあえずユウトにこの話をするわけにはいかない。弟は嘘を吐くのがとても苦手だし、身内に対しての警戒心が薄いのだ。
もし伝えるにしても、その禁書の内容がどういうものなのか、まずは解読をしないと。
「それから、こちらは魔研の話なのですが」
「魔研だと?」
レオはさらに顔を顰める。
「俺が忍んで行った時、ジアレイスたちが王都に降魔術式を仕掛けて失敗し、その代償として部下を食われていたようなんです」
「部下を食われた? 魔手にか? 降魔術式自体は人間には効かないはずで、動けなくなるだけだと聞いたが」
「俺はそのあたりは門外漢ですから、よくわからないんですけど。ただ、それでジアレイスが『王都に聖属性を持つ何者かがいるのが分かった』みたいなこと言ってました。『魔尖塔が未だ現れないのもそのせい』だとも」
「なっ……!?」
ネイの告げた内容に、レオは言葉を失った。
王都が聖域になってしまったことが知られるのは仕方が無い。聖属性については個人が特定されたわけではないし、術者自体はマルセンなのだからユウトが見つからない限りは躱しようがある。
それよりも、奴らが魔尖塔が現れることを期待して降魔術式を使っていたということが衝撃だった。もしかしてとは思っていたが、ジアレイスたちはこの世界に生きる人間でありながら、本当にこの世界を滅びに導こうとしているのだ。
「奴らの最終的な目的は世界の滅びなのか……?」
「世界の滅び!? あいつらがそれを? ……いや、無理でしょう。降魔術式に2人食われたみたいで、もうジアレイスと部下2人しかいなかったんですよ?」
「残り3人か……。だが、人数が少ないからと言って楽観は出来ない。兄貴やマルセンと話をする必要があるな」
レオは深くため息を吐いた。
最初はユウトと国のしがらみから外れたところで平凡に生活が出来ればいいと思っていただけなのに、そのための邪魔を排除し始めたらどんどん深みにはまってしまった。
もはやこの危機に関する全てが収まらないことには、そんな生活をすることは望めないだろう。
ただ弟との穏やかな生活のためだけに、兄は決心をするしかないのだ。何としても世界に平穏をもたらすと。
「この件について、お前たちの間で情報の共有は?」
「まだしていません。レオさんのご指示を仰いでからにしようと思いまして」
「だったら、魔研の奴らがこの世界を滅ぼす動きをしていることだけ共有しておけ。人数が減った分、他の人間を誑かして利用する可能性は高い。怪しい動きをする者はチェックしろ。……もしかすると、反国王派の後ろにもいるかもしれん」
「あ、それはあるかも。ジアレイスが、陛下を『地獄に叩き落としてやる』と言っていました。陛下に並々ならぬ憎悪を抱いているようでしたから、その地位から引き摺り下ろそうと画策していても不思議じゃありません」
ジアレイスがライネルに憎悪を抱いている。
それはそうだろう。
5年前、魔研が崩壊するきっかけを作ったのはライネルだった。彼のクーデターにより前国王が討たれ、安泰だった地位を追われ、粛正により爵位を失い、身を隠す羽目になったのだ。
さらにその前国王が親友だったとなると、その所行の善し悪しはどうあれ、気持ちは分からないでもない。
しかしそれを言うならば、レオとてジアレイスに激しい憎悪を抱いている。
魔研でユウトに施された非人道的な実験の数々は、到底許せるものではなかった。
小さな身体はあちこちが投薬のせいで黒ずみ、魔道具で感情を封じられ、満足に食事を与えられずに酷いやせぎすだった。元々は羽があったようだったが、それも切り落とされていた。
厭世家であったレオが、自身よりはるかに不遇である存在に愕然とし、その子どもの姿を蔑んで笑っていた男たちに吐き気がするような嫌悪を抱いたことを、今も覚えている。
そんな奴らに、好きにさせてたまるものか。
滅びるのはあいつらだ。
この憎悪は、同じだけの質量を持ってユウトへの庇護欲へと転化する。
魔研を叩き潰してユウトを護る、レオはそのためなら何でもする覚悟なのだ。
レオはユウトを抱え、王宮の地下の自室に転移した。ユウトの腕の中にはエルドワがいる。どうやら無事に一緒に飛べたらしい。
2人と1匹は螺旋階段を上り、ライネルの部屋に出た。
「ライネル兄様、こんにちは」
午後仕事として、ライネルは自室で書類を捌いていた。
しかしユウトが控えめに挨拶をするとすぐに立ち上がる。
どうやら我々の到着を待っていたらしい。
「いらっしゃい、ユウト、アレオン。その子犬は?」
「5人目の半魔だ」
「ああ、報告にあった、闘技場で捕まってた半魔の1人か。魔研の連中はこんな小さな子犬まで餌にしようとしていたのか、全く……。ふふ、それにしてもユウトが抱いてると可愛くて和むな。犬耳犬尻尾のローブを着ているから、兄弟みたいだ。その子の名前は?」
「エルドワです」
「そうか。エルドワ、よろしくな」
ライネルが頭を撫でると、エルドワは『アン』とひと鳴きした。めっちゃ尻尾振ってる。
「他の半魔たちはもう着いてるか?」
「ああ。ついさっきだがな。今は食堂で食事をしている。……チャラ男とコレコレからざっくりとした事情しか聞いていないが、詳細は?」
「狐から報告書を預かってきてる。目を通してくれ。チャラ男たちはもうジラックに戻していい。半魔たちは安全が確認できるまで王都に置いておくしかないな」
「あ、ここに半魔さんたちがいるなら、エルドワも一緒にした方がいいよね」
「ん? ああ、そうだな……」
ユウトの言葉にレオは僅かに逡巡した。
すでに他の者の昼食の時間は過ぎているし、食堂には半魔たちしかいないだろう。……だったら、ちょうど良いかもしれない。
「ユウト、エルドワを半魔たちのところに届けて、ついでに彼らの事情を色々聞いてきてくれないか。俺たちには警戒して話せないことも、お前になら話してくれるかもしれん」
「え? 僕が? ……王宮の中、歩いて良いの?」
「俺の姿を見られたら困るが、お前なら平気だ。ルウドルトが一緒にいれば怪しまれることもない」
今回の降魔術式が彼らにどんな影響を与えたか、その数をどのくらい減らしたのか、そのあたりは気になるところだ。同じ半魔のユウトになら、いくらか腹を割って話してくれるかもしれない。
それと同時に、レオはユウトに聞かせられない話をライネルとしなくてはいけなかった。弟に少し席を外してもらうにはちょうどいいと考える。
「……そうだな、ユウトが話を聞いてくれるとありがたいよ。私たちができるだけ力になるということも伝えて欲しい」
レオの思惑を察したライネルも加勢する。
それに、兄たちを疑わないユウトは素直に頷いた。
「うん、分かった」
「ルウドルト、ユウトを頼む」
「かしこまりました」
いつも通りに扉のところに控えていたルウドルトが請け合う。
彼もこのやりとりでレオたちの思惑に気付いたはずだ。上手いこと時間を取ってくれるだろう。
ルウドルトはユウトの前で胸に手を当て浅くお辞儀をして、扉へと促した。
「ではユウト様、参りましょう」
「はい。案内お願いします、ルウドルトさん。じゃあレオ兄さん、ライネル兄様、行ってきます」
「ああ、よろしくな」
「頼んだよ、ユウト」
兄2人を残し、ユウトは部屋を出て行った。




