序 王配
シオナ初陣の秋から五年。
その年の秋は、少し早くやってきた。
王宮の庭園では、赤く、黄色く、彩られた木々が陽射しに輝いている。
騎士服姿のコトナギ公爵息女シオナは約束通り東屋にやって来たが、待っていたのは約束の相手ではなかった。
「ごきげんよう、ロキス。どうして貴方がここに居るの?」
会うのはファレア王女のはずだったから、シオナは遠慮なく聞く。
王女の婚約者であるクレワ侯爵子息のロキスは、癖のある茶色の髪を品よくまとめた背の高い美男子だ。頭がよく、教養もあり、人当たりもいい。
だが次代の女王であるファレア王女が、この完璧な婚約者である公爵令息の一番頼りにしているところは、彼の腹黒さである。
シオナはファレア王女本人からそう聞いた。その本音をロキスに言っているのかどうかは知らない。
シオナにとっての彼は、今のところクレワ侯爵家と王家の両方につながっている人物だ。クレワとコトナギの間に確執はないが、忌憚なく話せるのは彼が正式に王配となり、クレワ家との間に一線引かれた後だと思っている。
とは言うものの、王家と公爵家、侯爵家のあいだではたいていみんな顔見知りで、歳が近ければ皆幼馴染みだ。
腹黒紳士のロキスとは、仲が良い方だ。もちろん友達として。
ロキスが、シオナにお茶の準備が整った席を勧めながら、肩をすくめた。
「まぁ座って。ファレアはね、今日最後の公務が急になくなったんだけど、代わりに、王都警護長官に捕まってしまったんだ。まだ会談中。」
あぁ、とシオナは力なく言って、勧められた場所に座った。
「ターブン長官って、話、長いわよね。」
「そう。だから先にお茶を飲んでよう。」
控えていたメイドがシオナのためにお茶を用意してくれる。
ロキスはいつからいたのか知らないが、すっかりくつろいでいて彼の前にはすでにカップがある。
「ファレア殿下が来たら、ロキスは消えてね?」
「どうしてそんな意地悪を言うのかな。婚約者といえども、なかなか会えないんだよ。邪魔しないで欲しいな、シオナ。」
「意地悪だとか邪魔だとか、私を悪者にしないでくれる? ファレアが約束を取り付けてきたのに、私だって、王都に来るのは五カ月ぶりよ。」
「でも1どうせたいした用じゃないんだろ。愚痴の言い合いとか。」
「秘密。」
確かに会話の内容の半分は愚痴だが、まずは王女が、愛する婚約者の惚気を一方的に話すのが二人お茶会のいつもの在り方だ。
シオナは、ロキスと結婚した王女が、いつ頃から夫の愚痴を言い始めるか、密かに楽しみにしている。
お茶が淹れられ、女官たちが離れた場所に退いたところで、ロキスが聞いてきた。
「何でドレスじゃなくて、コトナギ公爵家の騎士服なんだ?」
シオナはお茶のカップをとりながら、答えた。
「ここに来る前に、カシオル殿下とお会いしてたから。」
ここ、リカナ王国の国王には、三人の子がいる。
シオナと同い年で十九才の王太子ファレア王女、二つ年下でどこか捕えどこがない雰囲気を持つエニア王女、そして、八才のカシオル王子だ。
末っ子王子のカシオルは、前回シオナに会った時、がっかりしたように見えた。だから少々粘り強く理由を聞き出したのだ。
「英雄には、ドレスじゃなく、格好いい騎士服でいて欲しいんですって。」
すると、ロキスが少し目を眇めた笑顔を見せた。
「近衛騎士になってと強請られなかったか?」
近衛の制服とシオナが来ている制服のデザインは、リカナ王国で統一されているため同じだ。ただ盛装以外の色だけは、各家によって違う。近衛は濃紺、コトナギ公爵家は、暗めの臙脂色だ。
「カシオルは聞き分けてあきらめてくれてるわ。私はコトナギの騎士だから、近衛騎士団には入りません。貴方、変な勧誘をしないでよ。」
「王家の侍女になって欲しいんだけどなぁ。」
「無理。」
即答で返す。けれど諦め悪く、美形のロキスは少し困ったような顔をした。ご令嬢たちは、これにつられてつい『はい』と言うようだが、シオナは騙されない。
ロキスは小さくため息をつくと、背もたれに寄り掛って、急に上から目線になって来た。
「それで、ガイとはいつ婚約解消するんだよ。」
今度はシオナがため息をつく番だ。
「何度も言ったでしょう。お互い、何の落ち度もないのに解消なんてできないって。」
「あの婚約は、シオナの爺さんが強引に決めたことだろ。爺さんは死んだんだから、反故にしちゃえよ。」
「たとえ、コトナギ公爵家の誰ひとりとして納得していない婚約だったとしても、代替わりしたからと云って、簡単には無かったことには出来ないわ。他にも祖父がした約束はたくさんあるのよ。その全部が有効か無効か、多くの人に混乱を招くようなことはできない。そんなことくらい貴方にもわかるでしょう。」
「凄い自己犠牲だね。」
ロキスは呆れたように言う。バカにされているかと思ってしまいそうな口調だ。けれど、幼馴染みで、ファレア王女と共にずっと気が合って、好きなことを好きなように言いあってきた間柄だから分かる。
彼は心配してくれている。
シオナの婚約者ガイ・ナバルは、子爵家次男だ。ナバル家は、当然長男が継ぐ。だからシオナ達の子どもは、貴族の地位を持たない。そのこと自体は、よくあることで、大きな問題ではない。
ロキスがこの婚約を気に入らないのは、ガイ・ナバルは、剣を振るうのは一流でも、指揮官向きの人物ではないからだ。
「あいつ、馬鹿だろ。よく我慢できるな。」
シオナの弟と同じ事を言う。
そう、確かにコトナギ公爵家軍を任せるのは、二十年経っても無理だと思う。
「けど、新兵の教育者としては悪くないわ。」
とりあえずの良いところをシオナが上げると、ロキスは、今度は気の毒そうに言った。
「一生、新兵の訓練担当かぁ。」
無視した。ガイはまだ二十一才だ。当面は騎士として働いてもらう。その後については、シオナの兄が決めるだろう。
「シオナの爺さん、死ぬ前に結婚式の日取りまで決めたんだろ。本当迷惑だよね。」
シオナは沈黙を守って、お茶を飲んだ。
祖父は、リカナ王国の北の国境を守るコトナギ公爵として、豪放磊落な外面を保っていたが、実際は小心者だった。
シオナが十四才の時、武術の才があると知っていた祖父は、戦に出すと決めた。シオナの父は、娘に戦場を見せたくなかったから、最後方の部隊に配属した。
その事で、祖父はずっと怒っていたが、運命は皮肉な結果を生んだ。落ち延びて来た敵数人をシオナが打ち取り、捕縛した。それが敵の頭だったのだ。
ここで祖父は小心者の顔を露わにした。血に濡れた手を持つ孫娘に、嫁入り先などないに違いない、と。
実際にはそんな事はない。自分だったらそんな女は怖いという思い込みだ。シオナの両親は持ち込まれる縁談を示し、言葉を尽くしたが届かなかった。
否定されると意地になって頷かないのが祖父だ。
結局、同じ部隊にいた幼馴染み二人のうち、剣の腕が立つ方、ガイ・ナバルに責任を取らせるといって、祖父はナバル家と話をつけてしまったのだ。
「シオナは本当にこのままガイと結婚していいのか?」
真面目な顔でじっと見られた。これも何度もしてきた会話だ。シオナの返事もいつもと同じ。
「変な癖もないし、あの顔は気に入ってる」
そう、騎士らしく鍛えているガイ・ナバルは美形だ。深く物事を考えないところは、経験を重ねる事で、時間が解決してくれると信じることにしている。子供っぽいところは、結婚したら、シオナの父が矯正するだろう。
ロキスとの会話は、いつもなら、ここから、シオナの顔が中の下だとか、女性騎士の化粧だと中の中にしかならないとか、ドレス装着時の化粧ならなんとか中の上だとかいう方向へ向かうのだが、今日は違った。
「ナルク・モレラとか、良いと思うんだよね。公爵家の後継ぎだし。」
何を言い出すのかと思いながら、シオナは返す。
「彼は、去年、婚約者を亡くしてから、しばらくは何も考えないって宣言してるじゃない。」
「しばらく、だろ。もう一年だよ。そろそろ新しい出会いを受け入れてもいいと思う。」
腹黒ロキスは親切心でこんな話はしない。考えつつシオナは、確かめるように言う。
「モレラ侯爵の領地は王都の南西だったわね。」
「そう。西は海で陸地の国境地帯みたいな危機感ないだろ。その分、王家からの独立心が強いんだよね。しっかり頭押さえときたいんだ。」
ロキスは、未来の王配の顔をしていた。
シオナも概ねその意見には同意するが、モレラ侯爵は、頭を押さえなくてはいけない家ではない。たぶん、ロキスが見ているのはその南に領地を構える貴族たちだろう。彼らをしっかり見張れる足場が欲しいのかもしれない。
けれどロキスは、王配としての顔をすぐに崩した。
「だからさ、シオナ。ガイは捨てて、ナルク・モレラにしようよ。彼も美形だよ。歳は二十三、悪くないだろ? ガイよりずっと、まともな会話が出来るよ。」
「いや、無理でしょ。」
シオナは苦笑いをした。
「ナルク・モレラの亡くなった婚約者って、すごい美人さんだったじゃない。向こうが私を相手にしないわ。」
「大丈夫!」
ロキスはこぶしを握って身を乗り出してくる。
「シオナには、他国の大将軍を倒した実績がある。」
シオナはぐったりとソファに体を投げ出した。
「それって、全く対抗出来ていないから。全然違う話だから。」
「そうかな。いけると思うんだけどなぁ。」
ロキスが腕を組む。
からかわれてる。これはからかわれてるわねとシオナは思い、どう反撃しようかと思っていると、ロキスが真面目な声で言った。
「俺は、本当に、シオナに王家の侍女になって欲しいんだ。ファレアの事、俺は大事にするし、守るつもりでいる。けど味方は多いほどいい。」
シオナは気持ちを切り替えて、静かに彼に言った。
「コトナギ家は、北の国境を守ってる。私が王家の侍女になったら、王家が、コトナギ公爵家を怪しんで人質を取ったと、そう見る人も出てくるわよ。疑心暗鬼を生むことになる。」
「だから早く、ガイとの婚約を解消して、別の家の奥方になってほしいわけだよ、俺は。」
「思い通りにならないのが、世の中よね。」
結局いつも通りの堂々巡りの会話に終わってしまいそうだ。
シオナは座りなおして、焼き菓子を頂いた。
「苦悩している友人を前に、よく菓子なんか食べられるな。」
ロキスの八つ当たりに、シオナは一応返事をする。
「ナレク・モレラは、良い人に巡り合えるといいわね。」
なんとなく沈黙が出来たその時。
「ファレア殿下がお見えになります。」
先触れがやってきたと思ったら、王女はすでに視界に入って来た。楽しそうに足早にやってくる。
シオナは立ち上がって王女を待った。
婚約者のロキスは彼女を迎えに行く。
ふたりが嬉しそうに笑みを交わし、こちらを見ながら何か会話をしている。
見目麗しい王女と頼りがいのある腹黒貴公子。
彼らが、この国の将来を担う。
「待たせてごめんなさいね。シオナ。」
「ご機嫌麗しく、お喜び申し上げます。」
シオナは、礼儀正しく言ってから、いつも通りの口調に戻る。
「ファレアの仕事が大変なのはよくわかってるわ。疲れたんじゃない?」
そう聞くと、ファレアは良い悪戯を考えついた顔をした。
「疲れたわ、とってもね。ターブンの話は無駄に長いもの。でもね、良い案を出してくれたわ。」
「王都の警護対策?」
「違うわよ。」
ロキスが、ファレアの隣でにやついてる。先に話を聞いたのだろう。
ファレアは、おもむろにお茶を一口飲んでから、にっこりと笑って言った。
「王家の侍女でなく、食客になってもらえばいいって。」
「は?」
話が見えない。首を傾げたシオナに、ファレアが焦じれったそうに言う。
「だから、シオナの事よ。ターブンに、貴女を王家の侍女にしたいけど、しがらみが多いって言ったら、食客はどうかって。」
王都警護長官のターブンにまでそんな話をしているなんて、これは、最北の領主から人質を取るのでなく友人が欲しいの、と国家の重鎮一人一人に話していそうだ。こんなふうに外堀を埋めるような真似までして、シオナを王家の側に置きたいと思っているとは、正直、この時までシオナは考えていなかった。
王家の侍女の話は、三人だけのお茶会の話題だと思っていたのだ。
「食客だったら、侍女みたいに規則にも縛られないし、シオナが好きな時にコトナギの領地にも帰れるわ。」
良い考えに気分をよくしている王女とその婚約者を見ながら、シオナは、王家の侍女話は、ただの言葉遊びだと思っていたのは自分だけだったと、自分の馬鹿さ加減にショックを受けたが、意地でも顔には出さない。
素早く、考えを巡らせる。
この話題が出始めたのはいつだったか? 一年前ほどからだ。
では何故?
傍に味方が欲しい理由は何?
考えながら、シオナはいつも通りの平然とした顔を保ち、お菓子にまた手を伸ばした。
「ねぇ、コトナギ公爵に聞いてみて?」
笑顔の王女に、いつも通り面倒そうにシオナは答える。
「はい、王女様。」
何気なく見たロキスは、王女に笑みを見せている。
いつも通りの光景。
シオナは、自分が気づいていないことは何かという問いを、胸の内に仕舞う。
とにかく今は、楽しいお茶会の時間。
ロキスを締め上げてやると思いつつ。
シオナは『コトナギの騎士』以外の何かになるつもりはない。
五年前のあの日、逆賊とはいえ王家縁の者に逃走を諦めさせ、大将軍に負けを認めさせたのは『コトナギ』の名だ。シオナの力ではない。
だから彼らのために『コトナギ』であり続けたい。ガイとの結婚なら、爵位は自分の方が上だから『コトナギ』と名乗り続けることを受け入れさせられる。
権力とか権威とか、誇りとか、無念とか。考え始めると切りがない。
いつか、コトナギでなくてもいいと思える日がくるのだろうか。
シオナにはないようにしか思えない。
それはそれとして。
シオナは、まずはいつロキスと話せる機会を作れるかを考えなければと考えた。
明日には領地に帰る予定だからだ。
冬になるかしらと思った。
しかし、それがロキスに会った最後となった。
続く冬、ロキス・クレワは、崖崩れに遭って命を落としたのだ。
2017.2.10 サブタイトルを変更しました。(旧:序 王配)
2017.3.19.サブタイトルを元に戻しました。迷走してすみません。




