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従者やります。

前回のあらすじ


 従者にならないかと勧誘されるエミルでしたが、至極真っ当にブチ切れた挙句に女神に魔法をブッパしました。

 

 暴風の中を悠然とたゆたう女神の姿を、エミルはつぶさに観察する。


 必殺の意思をもって放ったはずの魔法は、憎き女神を細切れの肉片以下の塵と霧に変えるはずだった。

 だが現実には女神には傷一つついていない。あらゆるものを切り刻む死の風に晒されながら、余裕綽々といった態度だ。

 回避しているわけでも防御しているわけでもない。そもそもそんな必要さえないのだ。

 魔力による風の刃も高速で吹き付ける石つぶてもまるで女神に届いていない。ましてや女神がゆったりと纏う、妙にひらひらとした衣すらも風の影響を受けていないとなれば、もはや答えは一つである。


「実体じゃねーな……。オマエ、幻影か」


 女神は答えない。

 だが、その美貌に浮かんだ愉悦の嘲笑は言葉より遥かに雄弁だった。


 見せたい時に、見せたいものを、見せたい相手にのみ見せる。

 人界の全てを見通す目を持つ女神は、わざわざその場に姿を現す必要すらない。

 女神トーラの得意とする演出魔法はただの布教用の魔法ではない。対象の目を、耳を、鼻を、肌を、完璧に騙し抜いてしまう最高峰の幻影でもあるのだ。


 そして、魔法によって作られた幻影を攻撃することなど、この世の誰にもできはしない。


 ハメられた。

 エミルがそう考えたときには既に、逃れえない死の竜巻の中にいたのは、エミルのほうだったのである。


 エミルの歯がギリリと音を立てた。怒りを振り払うかのように、ローブの裾ごと乱暴に腕を一振りする。それだけの動作で、精緻な殺人ミキサーと化していた竜巻は幻のように消えてしまった。

 同時に凄まじい風も止み、浮き上がっていたルージュのお尻が勢いよくぺたんと地面に落ちた。尻を抑えるルージュのジト目を無視して、エミルの怒声が無風の静寂を切り裂く。


「流石はニンゲンどもの崇めるクソ女神だなッ! 腐り切った性根で鼻が曲がるぜ!」

『フッフッフッフ。いったい何を言っているのです? 最初に対話の機会を蹴り、あろうことかわたくしに手をあげたのはあなたではありませんか! アーッハッハッハッハ! ァアーッハッハッハッハ!』

「あっ、やっぱり女神さまって魔族水準でも結構が性格がアレなんですね」

『おまえは魔族をなんだと思っているのだ? あのレベルの女狐が平均水準の世界とか100年と経たずに滅ぶに決まっておるわ』

「確かに。魔界の魔王の言葉と考えるとなんかもの凄い説得力がありますね」

『ルージュ。あなた、いったい誰の味方なのです?』


 機嫌よく女神二段活用式高笑いをキメていた女神だったが、思わぬ勇者の裏切りには振り返らざるを得ない。


「エミル。少しは我の話を聞く気になったか?」

「……バロール」

「見ての通りだエミルよ。人界の女神は極めて下種で下劣で性根の腐り切った女狐だが、腐っても女神だ。こいつを力づくでどうにかすることなどできん。それができるのであれば、とうに我がやっておるわ」

「……げ、幻影だったなんて」

「『知らなかったから』か? おまえは昔からそうだったよな。人の話も聞かずにいつもいつも勝手に先走りおってこのアホが! 女狐の安い挑発に乗せられて、我の言葉を遮って独断で突っ走った結果がこのザマだ。それとも心にも響かない我の言葉など、耳を傾ける価値もなかったか? あぁん?」

「アホって言うな! バロール。オマエも相変わらずそういうことネチネチと根に持つよな!」

「うるさいぞ!」


 昂る感情に任せて声を荒げるエミルだったが、その内心を占めていたのはどうしようもない郷愁だ。

 エミルは魔王軍ただ一人の生き残りとして、長い時をこの島で孤独に過ごして来た。

 聞こえてくるのが耳に痛すぎる事実で、口から出てくるのが本心とはかけ離れた罵倒だったとしても、こうして魔王と再び言い争うことができるのが、どうしようもなく懐かしくて嬉しかったのである。

 それがもうじき、今生の別れになるのだと思うと尚更だった。


「はぁ。もういい。そこに座れエミル。話の続きをするぞ」

「……は? 続けるのか?」


 ぽかんとするエミル。


「俺はクソ女神にぶっ放したんだぞ?」


 女神の言う通り、最初に交渉のテーブルをひっくり返したのはエミルだ。

 従者になるかどうかであるとか、序列がどうのという話をする以前の問題だ。

 ましてや女神は幻影。エミルは女神に文字通り指一本触れられないのに、女神からもそうだとは限らない。


 そしてエミルは、大義名分を手に入れたこの性悪女神が、自分をただで済ますとは到底思えなかったのである。


 案の定、魔王の言葉に女神は激烈に反応した。


『話の続きですって? 自ら対話の機会を蹴り、あろうことかわたくしに手を挙げた狼藉者とこれ以上話すことなどありません。この魔族に相応しいのは対話ではなく極刑です。女神トーラの名の下に、神罰をもって極刑に処します』

「ほれ見ろよ。バロール、このクソ女神はどうやら俺をここで始末する気だぜ」


 そう言い放つエミルだが、決して余裕があって言っている訳ではない。

 この状況がエミルにとって詰んでいるだけである。

 相手側だけが手出しできて、相手がこちらを始末する気が満々であるこの状況。

 この場に留まれば、まず自分の命はない。エミルは強くそれを確信する。


 だが、だからと言って逃げ出すという選択肢もまた、エミルの中には無い。

 何故ならここには、死に別れ、もう二度と出会えないと思っていたバロールがいる。

 孤独なサバイバル生活の中で、いったい何度過去の思い出に溺れ、涙を流したか数え切れない。

 そのバロールを置いて、一人で逃げるなどありえない。

 もう一度、ただ一人でのうのうと生き延びるなど、死んでもご免だったのである。


 そんな悲壮な覚悟を決めるエミルだったが、なぜか魔王はのほほんとしている。勇者もだ。女神に魔法をぶっ放したことを怒るでもなく、女神がエミルを手にかけようとするのを止めるでもなく、次第に迫り上がってくる死の恐怖に懸命に打ち勝とうとするエミルをどこか真剣な表情で見つめているのみだ。心なしか頬がほんのりと染まっている理由は、エミルにはまったく分からなかったが。


 一つ言えることがあるとするならば、それはエミルだけが知らないということだ。

 落ち着き払っている勇者や魔王と違い、この状況に緊張を強いられているのはエミルだけだ。

 つまりエミルだけが、この後いったい何が起こるのかを知らないのだ。


 未知とは、即ち不安だ。

 平静を保てなくなった竜の心臓がけたたましく騒ぎ立てる。

 この状況で落ち着けというほうが、どだい無理な話だった。


「あー。まあ、安心しろエミルよ。だいたい何を考えているのか分かるが、おまえがここで死ぬことになるようなことにはならん」

「なんだと? どこかに連れ去って拷問でもしようってのか! クッ、いっそ一思いに殺せ!」

『いいでしょう。魔族よ、その潔さに免じて慈悲を与えましょう。……聞こえていますね、ルージュ』

「はいはい。聞こえてますよ、女神さま」


 女神が問うて、勇者が答える。

 女神は満足そうに頷くと、スッと自然な所作で右手を高く掲げた。

 エミルにはそれが、自らを縛った断頭台に落ちる鋼鉄の刃に見えた。

 フッとエミルの瞳からハイライトが消える。


 女神も、勇者も、魔王も、誰も動かない。

 懸命に目を凝らす竜王だったが、かすかな魔力の流れさえも知覚することができなかった。

 いったい、自分はこれからどのようにして殺されるというのか。

 神罰とはいったい何なのか。

 わけが分からないままに殺されるというのがこんなにも怖いものだとは、竜王は夢にも思わなかった。


 長い長い一瞬だった。

 エミルはその永劫にも似た刹那の時を、歯を食いしばって懸命に耐えた。

 死にたくないと心から願っていた。

 するものかと決めていたはずの後悔の念が押し寄せてきた。

 だが、バロールが見ている。その一念で、エミルは無様に命乞いをしそうになる自分を抑えることができた。


 これが自分の最後の意地であり、誇りなのだ。

 これに耐え切ったとき、自分は胸を張り、魔王に殉じた魔族の一人として誇りを持って死んでいけるのだ。


 そう信じた。

 そして。


『さあ――』


 女神の右腕が緩やかに、されど無慈悲に振り下ろされた。














『――勇者よ。罪深き魔族をここに、断罪するのです!』

「ヤです」


 女神が肩ごと振り返った。

 無慈悲な女神の神罰である『勇者への啓示(やってしまいなさい!)』が、勇者の放ったたった三文字によって完全に打ち砕かれた瞬間であった。


『えっ…………ルージュ。今なんと? わたくしの啓示は聞こえましたよね?』

「だからヤですって。なんで私がそんなことをしなくちゃいけないんですか?」

『えっ……えぇ……? でも、わたくし、この腐れ魔族から魔法を……』

「無傷ですよね? それに先に煽ったの女神さまじゃないですか。見てましたよ私は。

 そもそもですよ、私はりゅうお――エミルきゅんとお話がしたくてここに来たのに、断罪とか、そんなことするわけないじゃないですか。そもそも神罰って言ったって、女神さまだって(・・・・・・・)自分から攻撃なんて(・・・・・・・・・・)できないじゃ(・・・・・・)ないですか(・・・・・)。啓示だとか何とか言って、なんでもかんでもそうやって私にやらせようとしないでください!」


 勇者はぷりぷりと怒っていた。

 魔族をその手にかけろという、ある意味勇者冥利に尽きる女神の指示に対して、まるで『おまえちょっとその宝箱開けてみろよ。頑丈なんだから罠とかあっても平気だろ』と言われた戦士職みたいなノリでさも当然と拒否。ざっくりと切り捨ててしまったのである。


 女神のほうは、いま、どんな表情を浮かべているのかエミルには見えない。振り返っていて後頭部しか見えないからだ。だが、その表情はきっと千々に彩られており、今のエミルのように無一色ではないのだろう。


 死の決意や覚悟といったものを木っ端のように吹き散らす、女神と勇者の暴風の如きやり取りを、エミルはただ、呆然と眺めていた。無の表情で。


「……バロール」

「なんだ、エミルよ」

「俺、なんでオマエがそんな目で俺を見るのかようやく分かったよ」

「そうか」


 バロールは痛ましいものを見るような優しい目つきをしていた。

 

「結局さ、あの女神ってなんなの」

「ただの幻影だ。実体もここにはおらん。こと人界に限れば見えぬ場所などないようだし、ニンゲンの心も読めるらしい。地上のニンゲンどもに声を届ける音の魔法なども使うし、勇者の魔力を用いて死者の蘇生さえも行う。ただ、あれが直接何かを攻撃したりすることはない。というより出来ないようだ。だからあの女狐は直接我らと戦わず、勇者などという代理を立てて戦うのだ」

「……じゃあ、神罰ってのは」

「仰々しい言い回しで勇者に……あのルージュにやれと言うだけだ。だがルージュは女狐の言いなりではない。納得のいかんことには絶対にうんとは言わん。相手が女神だろうと魔王だろうと気に入らなければ袖にするのだ。恐らく人界で最も図太い奴。それがルージュなのだ」

「……」


 やがて女神と勇者の戦いにも決着がついたようだ。


「あーもう! 女神さまはちょっと黙っててください! 《B.G.M》!」

『あっ! ちょ!』


 そんなやり取りを最後に、煩かった女神の声がぱたりと止む。

 女神はぱくぱくと口を開閉しているのだが、声が出ていないのだ。


「いや、これは我らに聞こえていないだけか! ハッハ! これはいい! だいぶ静かになったなあ女狐よ! ハッハッハッハ!」

『――! ――!』


 聴きたくない、あるいは聴かせたくない音はノイズとして排除する。これもまた、ルージュが女神から得た魔法《B.G.M》の使い方の一つであった。


 女神のありがたい啓示をしてノイズ扱いされるという事案にゲラゲラと笑う魔王に対し、なにやらハンドサインで返す女神。どんなハンドサインなのかはモザイクの向こう側に隠れて見えない。言うまでもなく女神の演出魔法(じさくじえん)である。同様に口元にもモザイクがかかっており、女神の艶やかな唇からどんなワードが飛び交っているのか、実に想像力を掻きたてる光景だ。


「さて!」


 ルージュは何か、やりきった! という清々しい顔で汗を拭うと、改めてたき火の前――今は既に見る影もないが――の切り株に腰を下ろすと、エミルにも対面に座るように促した。

 エミルは無となってそれに従った。


「ちょっと不幸なすれ違いはありましたが、改めてお話の続きをしましょうか! えっと、確か序列って言ってましたよね!」

「あ、いいです」

「えっ?」

「俺、従者やります」


 偉大なる魔王、そして悪辣なる女神にもどうにもならないという当代の勇者を前に、エミルの心は屈服した。



 ルージュ > 魔王 > エミル > 越えられない壁 > 女神



 恐らく今後入れ替わることのないだろう不動の序列を認めさせられてしまったエミルはこうして、死んだ竜のような瞳でルージュに下ることを受け入れたのであった。


難産でした。


当初歌う予定だったルージュは中々歌ってくれないし、女神は『楽には殺しませんグッヘッへ』とスプラッタ系台詞を連呼し始めるし、エミルきゅんは死の恐怖に怯える描写が続くしで最終的にがっつり書き直した結果、エミルきゅんはこうして死んだ竜のような目になりました。おまえらもうちょっとエミルきゅんに気を遣えよ! 癒しは魔王だけだったぞマジで!


脳内プロットでは「ルージュがエミルの心を開かせるために女神の曲に歌詞をつけて歌い始めるのだが、幻視した森の中からルージュのBL妄想が具現化したバロールが現れて掘られそうになってギブアップして仲間になる」というものだったのですが、改めて書き出してみるとどっちが酷いのかは意見が分かれそうですね。

ルージュの歌姫フラグが華麗にへし折れた音が聞こえた気がしますが、どこかで活かしたいところです。


王国編もそろそろ大詰め。

エミルを連れて王都に戻る前に、ルージュはちょっとした寄り道をします。

なるべく早めに更新します。

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