第60話 虚神を斬る狼牙(前編)
前後編です。
ウィラスは騎士団を率い退却を指示した。
納得はしていない。
戦場に残り、ヴォルフと一緒に戦いたい。
敵に背を向けてなお、その想いは胸を焦がし続けている。
それにかつてレクセニル王国軍が退いたことによって、英雄の命が失われた。
あんな想いはもう2度とごめんだ。
そんな後悔の念も残っていた。
それでも、退却を指示した。
騎士団としての使命を果たすためだ。
騎士の責務は、正体不明の生物や魔獣を駆逐することではない。
君主を守り、国を守り、民を守るためにある。
その使命を忘れた軍隊は、単なる暴力集団でしかない。
副長と似た想いは、エルナンスやマダロー、セラネも感じていた。
彼らだけではない。
他の騎士もそうだ。
多くの団員が、たった数十日程度暮らした客将に対して大きな借りがある。
それは一生返せるかどうかわからない負債だ。
皆、後ろ髪を引かれる思いだった。
それでも最後は客将の命令と副長の決断に従った。
気がつけば、戦場に男1人が立っている。
相棒は腰に差した一振りの刀のみ。
しかし、決して孤独の狼ではない。
様々な人間の想いを、広い背中に乗せ、男は立っていた。
一方、マノルフは動かなかった。
騎士団が退いていくのを黙って見つめている。
その口元は歪んでいた。
「優しいんだな、大司祭殿。騎士団が退くのを待っていてくれるとは。それも聖天の慈悲なのか?」
「家族との別れを済ます時間ぐらいは与えて良いでしょう。いずれ皆、等しく聖天の御許へと送られるのです。これもまた善行……。ああ、また1つ私は善行を積んでしまった」
「そんなに善行が好きなら、その力を民のために使ったらどうだ?」
「魔獣や野盗、貴族階級、奴隷制度! この世界には様々な理不尽が存在する。だが、私が神になることにより、人々を聖天の御許へ送る。そして人間は安らかに暮らすことができる。これ以上の善行などないでしょう」
もはや人の思考ではない。
まさにマノルフは人外となっていた。
歪んだ思考はおそらく生来のものだろう。
皮肉にもその異常な魂が、愚者の石の膨大なエネルギーを受けてなお、人格を保たせていた。
ラムニラ教とラーナール教団。
その2つの組織のつながりを知る生き証人。
本来であれば、生かしておきたいが、もはや四の五をいっている場合ではない。
斬る……。
ヴォルフは改めて覚悟を決め、戦闘態勢を取った。
「おろかな……」
マノルフは眉をひそめる。
すると、再び周囲の物を飲み込み始めた。
教院の周りに生えていた街路樹を食い、噴水を水ごと吸い込んだ。
「これが聖天のさばきだぁぁぁああああ!!」
枝に鏃のような石が生成される。
叫声と同時に黒い矢は飛ばされた。
その数は万の矢に匹敵する。
たちまちヴォルフの視界は黒く染まった。
「ちっ!」
さすがの【剣狼】も顔を歪める。
【カムイ】を抜き放ち、飛んでくる矢を撃ち落とす。
重い!!
思わず唸った。
矢の長さは普通の長弓につがえる物とそう変わらない。
だが、元が鉱石ゆえに1発がとんでもなく重い。
加えて硬く、単なる鏃として処理すれば、身体が吹き飛ばされそうになる。
「善行! ぜんこう! ゼンコウ!! ZENKOU!!!!」
マノルフは狂ったように「善行」という言葉を繰り返す。
その度に矢の勢いが増す。
かろうじて耐えていたヴォルフの身体が、一瞬浮き上がりそうになった。
矢の効果はそれだけではない。
地面に刺さった鏃は、それだけで硬い石畳を削る。
たった10本刺さっただけで、畳はめくれ、ヴォルフの体勢が崩れた。
わずかな変化。
ヴォルフは一歩足をさばくだけで、姿勢を整える事が出来る。
そのわずかな間隙を、マノルフは狙う。
異質な音をヴォルフの耳が捉えた。
反射的に【カムイ】を振る。
矢と同じ対応をしたのがまずかった。
「ぐぅっ!!」
ヴォルフの肩を何かが貫く。
透明な液体を見て、【剣狼】は悟った。
(水か……!)
おそらく先ほど吸い込んだ噴水の水だろう。
それを人間の肉体を貫くまで圧力を加え、射出した。
効果はご覧の通りだ。
ヴォルフの顔が歪む。
傷は治るが、厄介なのは無数の矢による攻撃が収まらないことだ。
短時間とはいえ、肩が回復するまで片手で対処しなければならない。
不可能ではないが、余計に体力を削られる。
「どうしました、【剣狼】。止まっていては、私を傷つける事はできませんよ」
「心配無用……。俺は後の先を取るのが得意でね」
相手の攻撃を受けながら、ヴォルフは勝ってきた。
アダマンロールを斬り、勇者を打倒した。
焦りはない。
じっくり打開策を練る。
「神を名乗る割には、攻撃が単調だな。この程度で【剣狼】の歯牙を折ることは出来ないぞ」
「小癪な……。ならば、この善行はどうです」
マノルフの顔が増える。
主幹や枝に人の顔が浮かぶ。
ヴォルフは思わず「気持ちわる!」と叫んだ。
「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」
突然、呪唱を始める。
風属性の第4階梯魔法。
ヴォルフの強化された肉体からすれば、取るに足らない低レベルの魔法だ。
しかし――。
「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」「風精霊エリアよ。その右手に持つ刃。我に宿りて、力と成せ」
あちこちから呪唱する声が聞こえる。
輪唱するように響き渡った。
同時に風が渦巻く。
嵐を帯びた槍が、孤独に戦う狼へと照準を向けた。
「「「「「「「「「風成るものの戯刃」」」」」」」」」
射出――。
ヴォルフを取り囲むように風の刃が襲いかかる。
全天を覆う魔法攻撃に、さしもの【剣狼】も受けるしかなかった。
着弾する。
轟音と同時に、大気が渦を巻いた。
第4階梯の魔法とて、千や2千となれば、その威力は倍の第8階梯に比肩する。
巨大な砲弾を撃ち込んだような衝撃が、王都に伝播し、近くにあった貴族の屋敷の壁が捲り上り、屋根を飛ばした。
残ったのは大きな爆心地だった。
跡形もなく吹き飛ばされ、舞い上がった瓦礫の一部が落ちてくる。
人の気配もなければ、生物らしき反応すらない。
むろん、【剣狼】の姿もそこにはなかった。
「少々やり過ぎましたか。だが、これは天罰です。聖天の御許で悔い改めなさい。……それがあなたの善行です」
さて、とまだ無傷な王都をマノルフは見下ろす。
おそらくムラドは自分の姿をすでに確認しているだろう。
聖天に背いた老王を、どのように裁くか思案する。
すると、それは風を切りやってきた。
何か飛来する音を聞いた瞬間、マノルフは上を向く。
夜空の闇に隠れて、男が刀を大上段に振り上げていた。
ヴォルフだ。
「はあああああああああああああ!!!!」
腹から力を込めた声とともに、愛刀【カムイ】を振り下ろす。
マノルフの主幹に叩きつけた瞬間、その大柄な身体は弾かれた。
空中で何度も回転を繰り返しながら、体勢を整え着地する。
高所からの着地は、もう手慣れたものだ。
顔を上げる。
「(硬い……)」
予想はしていたが、射出された矢と比べれば、雲泥の差だ。
感触としてアダマンロールよりは柔いだろうが、その次ぐらいには硬い。
よっぽど集中しなければ、斬るのは難しいだろう。
だが、今回の相手は動かない敵ではない。
万の矢を飛ばし、千の魔法を詠唱する相手。
ベストコンディションで斬るのは、なかなかに骨が折れる。
「さすがは狼……。しぶといですね」
「俺には聖天様とは違う【大勇者】がついているからな」
レミニアによって強化された属性耐性がなければ、今頃身体はバラバラになっていただろう。
おかげで風に乗り敵を強襲できたものの不発に終わった。
ヴォルフは今一度、【カムイ】を鞘に収める。
「(あれをやるか……)」
ぺろりと舌を出した。
後編なのですが、明日12時までに更新します。
ちょっと書き直したい部分が出来まして……。
中途半端で申し訳ない。









