第57.5話 拳 vs 拳(後編)
後編です!
「おらおら! どうした!!」
ラーブは拳打を放つ。
エルナンスはサイドステップをして回避した。
背後にあった壁に巨拳が突き刺さる。
隙間なく埋められていた堅牢な独居房の壁も、猛牛の一突きを思わせるような拳打に為す術がない。
独居房に広がる闇を見ながら、ラーブは口角を歪める。
次はお前の頭がこうなるんだぞ……。
見せつけるかのように拳を引き抜き、構えを取った。
やや大げさに頭を突き出し、再び突進してくる。
大きなエルナンスの身体を覆い尽くさんと連打が襲ってきた。
すべてが速く、かつ一発が重い。
まともに受けては、防御していても仰け反ってしまいそうになる。
相当人間を叩いてきたのだろう。
背中から腕の先まで、拳闘に必要な筋肉が丸太のように太くなるまで絞り込まれていた。エルナンスと別の意味で、自然に出来た人を壊すための筋肉だ。
ラーブの戦法は単純だった。
接敵し、その膂力と制圧力で相手を圧倒する。
厄介なのは、攻撃の時間が長いことだ。
体力に自信があるのだろう。
無酸素運動を繰り返しているのに、拳打の重さも速さも変わらない。
おそらく【狂人化】のような能力強化スキルの恩恵だろう。
対し、エルナンスはそうしたスキルを全く身につけていない。
「このッ!!」
ラーブは体勢不十分な状態から無理矢理振り下ろす。
渾身の力を込めた右ストレートは、あっさり若い騎士にいなされた。
一旦退き、息を整える。
(なんだ。こいつ……)
まるでスライムでも叩いているかのようだった。
すべての攻撃がいなされ、無力化されている。
しかも、全く攻撃してこない。
徹底して相手を観察し続けている。
頭の中まで覗かれているようだった。
「もっと打ってこいよ! 男の子だろ!?」
溜まらずラーブは自分の胸を叩く。
挑発にエルナンスはまるで動じない。
両拳の奥からじっと相手をうかがっている。
怖じ気づいているような様子は微塵もない。
自分の戦い方に絶対の自信がある。
そんな雰囲気を纏っている。
「(そろそろいいですか……。ヴォルフさん)」
息を切らす相手を見ながら、エルナンスは心の師に問いかけた。
◇◇◇◇◇
「戦いの基本は先手必勝だ」
ヴォルフはまずエルナンスに説いた。
だが、人に個性があるように、戦闘の形も個々による。
だから、すべての人間が、基本に当てはまるわけではない。
エルナンスがまさしくそうだ。
自分のペースに相手を引き込むのが上手くない。
だから、あっさり相手に懐を奪われ、敗北してしまう。
これは仕方ないことだ。
戦闘のペースというのは、経験によって培われるもの。
その点において、エルナンスは圧倒的に不足している。
ならば、どうすればいいのか。
当然、若い騎士は疑問に思った。
「何も難しいことじゃない。ペースを作れないならば、相手のペースを乗っ取ればいい。平たくいえば、“後の先”をとるやり方だな」
「相手に攻撃をさせるということですか?」
「そうだ。まずは相手を見極める」
経験があれば、相手の力量に一定の当たりをつけることが出来る。
先手を取りながら、思わぬ反攻を食らったとしても、相手の力量をあらかじめ予測しておけば、被害は少なく済む。
しかし、何度もいうが、エルナンスには経験がない。
相手の能力を見極める時間が必要になる。
そのために、まず攻撃をさせる。
そして、そのためには優れた防御術が必要になる。
ヴォルフがエルナンスにまず叩き込んだのは、自分が培ってきた防御術だった。
だが、師が弟子に“後の先”を勧めた理由は他にもある。
それは――――。
◇◇◇◇◇
「うおおおおおお!!」
裂帛の気合いが、狭い廊下にこだました。
ラーブが突っ込んでくる。
再びエルナンスとの距離をつぶしにかかった。
今までの彼なら防御を固めていただろう。
しかし、今回は違った。
拳の奥の瞳に殺気が宿る。
ラーブは気づいたが、遅い。
すでに飛び込みの右拳を放った後だ。
エルナンスは1歩踏み込む。
相手の直拳をからめとるように、左の鉤突きを合わせた。
ぐしゃ……。
見事、ラーブの頬に突き刺さる。
一方、エルナンスを襲った右拳は、頬の前で止まっていた。
ヴォルフが“後の先”を進めた理由がここにある。
つまり、エルナンスの恵まれた体格だ。
武器や体格の大きさは、戦闘の要素すべてに関与する重大なものだ。
特に拳闘において、体格の差は絶対といってもいい。
そこに優劣が決まるなら、エルナンスほど拳打に優れた闘士はいないだろう。
例え、後出ししたところで、相手の抜く速さを見誤らなければ、リーチが長い方が勝つからだ。
ラーブの視界が歪む。
脳を揺らされては如何な【狂人化】状態でも、復帰は易いものではない。
パタパタと足をもつれさせ、ラーブは後退する。
それを見逃すほど、エルナンスは優しい騎士ではない。
さっきまでの守勢が嘘のように突っ込んでくる。
歪む視界の中で、ラーブは防御を上げた。
腹ががら空きになるが、胴当てがある。
鉄製の頑丈なヤツだ。
しかし、構わずエルナンスは打ち抜いた。
「ッッッッッッッッッッ!!!!」
破城槌でも打ち込まれたようだった。
思わずラーブは反吐を吐く。
胴当ては破れこそしなかったが、大きく凹んでいた。
殺しきれなかった衝撃は、内腑を歪め、肋骨を砕く。
堪らず身体をくの字に折った。
凹んだ胴当てが内臓を圧迫し、うまく呼吸が出来ない。
立っているのがやっと……。
いや、立っている自分を誉めてやりたくなる。
痛みに堪えるのが精一杯だった。
もはや戦時であることなどラーブの頭の中にはない。
それを思い出させてくれるかのように、エルナンスの拳打が飛んでくる。
「やめ――」
お手本のようなアッパーが、ラーブの下がった顎に突き刺さった。
巨体が一瞬浮き上がる。
倒れるかと思われたが、壁に手を突き、難を逃れた。
いや、むしろ倒れた方が良かったのかもしれない。
彼は唯一の好機を逃してしまった。
「今のは、先輩の分です」
エルナンスは心のない殺人兵器のように向かってくる。
ラーブは慌てて手を振った。
「こ、こうさん、だ……。も、もう戦えねぇよ」
膝を突き、毎日の拝礼と同じように祈りの姿勢を作る。
「痛いですか?」
「あ? ……ああ。いたい……。いたいよぉぉぉ。だから、もうやめ――」
「でも、セラネはもっと痛かったと思うんです」
「は?」
「セラネは泣いていました。どうしようもない絶望の中で、1人戦っていた彼女はずっと傷つけられていたと思うんです」
「おまえ……。なにぃを、いっへ……」
「わかりますよ。僕も似たような場所にいましたから。だから、次の一撃は彼女の痛みだと思って下さい」
「ひぃ……。ひぃぃぃぃいいいいい! 許し――」
ゴンンンンンン!!!!
およそ人体を撃ち抜いたとは思えない音が、暗い廊下に響き渡る。
エルナンスの拳は、ラーブの心臓の上にあった。
当然、そこも鎧に守られているが、騎士の顔は苦悶に曲がる。
すでに意識を失っていた。
どろりと、口、鼻、耳から血が噴き出す。
断末魔の叫びを上げることなく、その場に崩れ落ちた。
「許しなら、あなたが信じる神の前で請おうて下さい」
エルナンスの言葉が闇に落ちる。
気づけば、拳が震えていた。
背中に冷や汗が浮かぶ。
恐怖が死神の鎌のように唐突に襲ってきた。
強敵との戦いに今頃恐れが遅れてやってきたのかといえば、そうではない。
人を殺してしまった恐怖。
そして痛みに、純粋な騎士の心は震えていた。
顔を上げる。
「これが……。セラネが負っていた痛みなんだな」
深い井戸の底に落ちた一滴の雨粒のように、エルナンスは呟くのだった。
おっさんもいいけど、
普通に修行して、普通に強くなっていく少年の成長物って、
いつか書いてみたい……(^_^;)
あとエルナンスって実はモデルがいるんだけど、
名前からわかる人ってどれくらいいるのだろうか?









