第42話 ヴォッさん、誕生
「(お……? なんだぁ? あ?)」
ウィラスの視界が歪んでいく。
やがて焦点が右斜め方向へと傾いていった。
「(俺、もしかして……。たおれる、のか?)」
次の瞬間、背中に衝撃が走る。
愛槍が手から離れると、盛大な音を立てて転がった。
それでもウィラスは戦闘相手から目をそらさない。
だが、無情にも男は背を向けて離れていく。
ウィラスは手を伸ばした。
「(おい! 待てよ、まだ勝負は終わってねぇ!!)」
ヴォルフ・ミッドレスに負けられない理由があるように、ウィラス・ローグ・リファラスにも負けられない理由が存在する。
それは武に対して費やした時間。
大公の子息でありながら、儀礼や教養も身につけず、ただ一心不乱に槍に打ち込み続けた。
ウィラスが唯一胸を張って誇ることが出来る成果なのだ。
それを田舎から来た冒険者の前に敗れ去る。
我慢なんてできるはずがない。
看過なんて一切しない!
槍はウィラスの血と骨そのものなのだ。
その大骨が折れる時、それは即ち死に他ならない。
「(それによ! 俺に槍を教えてくれた大将に申し訳がたたねぇ!!)」
おお、と歓声が上がる。
ヴォルフは振り返った。
顔が驚愕に歪む。
まさかとは思ったが、ウィラスが立っていた。
額から血を流し、足元をふらつかせている。
愛槍を握ってはいるが、焦点がまるであっていない。
「おらぁ、負けるわけにはいかないんだよ……」
槍を投擲する体勢を作る。
ヴォルフは呆気に取られたまま何もせずただ立ちつくしていた。
しかし、ウィラスはそれ以上動かなかった。
様子がおかしいと感じた審判役がそろりと近づく。
その意識を確認しようとした。
次の瞬間、ウィラスの槍が振り下ろされた。
演武台の周りで悲鳴が起こる。
直後、甲高い金属音が鳴り響いた。
ヴォルフが刀を抜き、ウィラスの槍を止めていた。
その穂先は審判役の胸の前でぶるぶると震えている。
あと少し遅ければ、審判は絶命していたかもしれない。
「意識を失ってなお、闘志は消えずか……。大したヤツだな」
勝者からの賞賛。
ウィラスの意識があり、聞いていたのならば、きっと喜ぶことはなかっただろう。
槍に入った力が抜ける。
ヴォルフに持たれかかるように、副長は倒れた。
「勝負あり! 両者とも見事であった!!」
ムラド王が宣言し、拍手を送った。
戦いに圧倒された観衆たちは、そこでようやく我に返る。
思い出したかのように手を叩いた。
小雨の粒のような音が、次第に大きくなり、万雷の拍手へと変わる。
貴族も、家臣も、騎士も、身分の低い給仕や庭師に至るまで、全力を尽くし戦った2人の健闘をたたえた。
割れんばかりの拍手の中で、ウィラスは担架によって運ばれていく。
すでに意識が刈り取られているにも関わらず、その瞳からうっすらと涙が流れているように見えた。
◇◇◇◇◇
「ああ! くそぉ!! 負けだ! 負けだ!」
治療院のベッドでウィラスは叫んだ。
頭に巻いた包帯を乱暴にほどく。
側にいた治療師は慌て、その様子を病室の扉付近で見ていたヴォルフは、ふっと息を吐いた。
「その調子だと怪我は大したことはなさそうだな」
ヴォルフは側にあったサイドテーブルに、自分が処方した薬を置く。
だが、どうやら無駄骨になりそうだ。
見立ての通り、ウィラスは元気だった。
結局、彼が諸に受けたのは最後の肘鉄一発だけ。
それが脳を激しく揺らす結果となったわけだが、あれほどの戦いであったのにも関わらず、会心の一撃はそれだけというのは、ある意味驚愕の出来事だった。
ルーハスにも勝ったことがあるヴォルフに、たったの一打しか与えなかった。
それほどウィラスは強かったのだ。
「てめぇ、何をしにきたんだよ」
「見てわからないのか。お見舞いだよ」
「けっ! 敗者への施しはいらねぇよ」
横を向く。
ヴォルフは見舞いの品に紛れていた林檎を取ると、器用に皮を剥いた。
四つに分けると、ウィラスに差し出す。
初めは拒んでいたが、身体は正直らしい。
くぐもった音が腹から聞こえてきた。
お礼もいわずに皿の上の林檎を口に入れる。
シャクシャクと小気味よい音が、病室に響き始めた。
「あんた、つぇえなあ……」
「そうでもない」
「嘘つけ。まだ本気を出してない癖に」
「……本気だったよ」
「ああ。そうかよ」
また林檎を口の中に放り込む。
やがてベッドにごろんと寝転がった。
「約束は約束だ。うちの騎士団を煮るなり焼くなり好きにしろ」
「別に騎士団を使って何かをしたかったわけじゃない」
「じゃあ、なんで競技会なんて開いたんだよ?」
「昔、ここの騎士よりも下品で荒くれ者の集団と生活していたことがあってな。皆、立場も素性も、もちろん身分も違った。だから、そういうヤツらをいうことを聞かせるためには、一番誰が強いかはっきりさせる方が手っ取り早いんだ」
「ちっ! 俺たち騎士団は冒険者と一緒かよ。たまんねぇなあ」
「ああ、そうだ。一緒さ。強くなろうって思う意志はな」
ヴォルフはその意志を1度は捨てた。
引退し、村に隠棲し、娘を育てた。
けれど、その炎はくすぶり続けていて、今は燃え上がり、この年齢になっても冒険者をやっている。
「ウィラス……」
「あん?」
ヴォルフは手を差し出した。
目だけを動かし、大きな手を睨む。
「これからもよろしく頼む」
ウィラスは上半身を起こす。
逆立った毛を掻きむしった。
どうやら照れる時に頭を掻く癖は、ヴォルフと一緒らしい。
ウィラスは頭を掻いた手を掛け布団で拭う。
やがて自分に差し出された手を握った。
思いの外、熱い。
握っていて、ひどく安心感を覚えた。
「改めて挨拶だ。ウィラス・ローグ・リファラスだ。よろしくな、ヴォッさん」
「ヴォッさん?」
「ヴォルフとおっさんで、ヴォッさん。悪くないだろ?」
「お前……。まあ、どちらとも事実だから仕方ないか。【剣狼】とかかしこまられるよりは百倍マシだからな」
「そういう硬いことはなしの方がいいだろ。だから、よろしくな。ヴォッさん」
ようやくウィラスは笑みを浮かべるのだった。
◇◇◇◇◇
競技会の後、ヴォルフの求心力は強くなっていった。
特に彼自身が田舎の出であることから、農民出身者などに慕われ、武具の使い方などを教授して欲しいと請われることが多くなった。
本人が苦労人だったからだろう。ヴォルフの教え方はわかりやすく、実戦に則していて好評だ。貴族出身者の中にまで、教えてほしいというものが現れた。
結果、ヴォルフの悪口をいうものはいなくなりはしたが、やはり根絶には至らない。特に客将のいうことを唯々諾々と従うウィラスに至っては、「客将の腰巾着」「狼にたかる死肉漁り」というものがいた。
しかし、当の本人は全く気にせず、自分の責務を全うし続けている。
一時的にツェヘスから騎士団を引き継いだ時には、何か迷いのようなものを感じた。彼自身、どうしたら集団をまとめられるのかわかっていなかったのだろう。ただ騒ぎを起こさないように努めていた。
だが、競技会ではっきりした自分の立ち位置。
そしてヴォルフの存在が、ウィラスに自信と1つの道を指し示したらしい。
前よりも言動ははっきりし、たくましく成長したような気がした。
そんな中、ヴォルフは再びマダローとエルナンスの2人を目撃する。
どうやらまた喧嘩しているらしい。
といっても、マダローが一方的にぶっ叩いているだけだ。
相変わらずエルナンスは、懐に入られるとパニックになる。
それがわかっているマダローはどんどん前へと出て、結果エルナンスの鳩尾を打つ、そのまま倒れた。
「ちっ! こんなヤツをいたぶってもなんも面白くねぇ」
地面に伏したエルナンスに砂をかける。
マダローはどこかへ行ってしまった。
結局、ヴォルフは注意することなく、全部見ているしかなかった。
マダローもマダローだが、エルナンスもエルナンスだ。
いじめられるとわかっているなら、自分やウィラスに報告すればいい。
「(ま……。こういう場合、なんか事情があるんだろうが)」
ヴォルフはエルナンスに近づいていく。
擦り傷と、数カ所の打撲で身体はボロボロだ。
半分意識が飛んでいるらしく、ヴォルフを見ても、ぼんやりと焦点の合わぬ目で見つめていた。
薬袋から例のソーマを取り出す。
半分ほど飲ませた。
「にっが!!」
一気に意識が回復する。
同時に身体に出来た無数の傷もなくなった。
「大丈夫か、エルナンス?」
「あ、はい。す、すいません、ヴォルフ様」
「様なんてつけなくていいぞ」
「そそそそんな! ぼ、ぼぼぼぼくは、農奴の子だし」
「俺だってそう変わらないさ」
「そ、そうなんですか……? あ、その……ごめんなさい」
「謝らなくていいって。ところでお前――」
「あ、いや、その……。ごめんなさい。ぼ、僕行かないと――」
「は? どこに?」
「すみません。すみません」
すると、エルナンスは練習用の角材を持って、どこかへ行ってしまった。
最後の最後まで、コミュニケーションが取れなかった。
ヴォルフは腕を組む。
(これは、なんとかしないとなあ……)
【緩募】
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皆様が口にする時のタイトルネームを教えてくださいm(_ _)m









