第306話 奇襲
聖樹リヴァラスの頂上で笑い声が響き渡る。
ケダモノじみた声に、レミニアもハシリーも戦慄した。
語られたガダルフの哲学にもはや同情の余地は一変もない。人類の破滅はおろか、世界そのものの破壊など気が狂っているとしかいいようがなかった。
「ぐっ……」
しかしレミニアにしても、ハシリーにしてもどうしようもない。ただ息を吸っているというだけで、魔力が吸い取られていく。愚者の石で復活したはずの魔力は、すでに3分の1以下になっていた。数分もすれば、回復した前に逆戻りだ。
「ハシリー……!」
「わかってます。止めましょう、レミニア!」
互いに魔法によって虚空から剣を取り出すと、目の前の狂人を睨め付けた。2人は大笑するガダルフに向かって走り出す。それまで喧嘩していたとは思えない上司と部下コンビは、ほぼ同時にガダルフに向かって剣を振り下ろした。
ギィン!!
ガダルフは一刀で弾き返す。同じ天上族と人間のハーフであるレミニアとハシリーは、魔力のみならず身体能力的にも他の種族を圧倒している。小さいながらあのグラーフ・ツェヘスをレミニアは魔法なしで追い詰めたことからも明らかだろう。
しかし、2人はたった一振りで吹き飛ばされると、聖樹リヴァラスの頂上――その縁の付近まで吹き飛ばされてしまった。
身体能力という観点からいえば、元天上族であるガダルフも負けていない。むしろあの天上族ですら恐れた厄介者である。思想込みで狂信者である彼は決して剣技においてもレミニアたちに引けを取らなかった。
「魔法に頼ってきたツケが回ってきたわね」
「何を言っているんですか。剣術の修業も怠ってこなかったでしょ。暇つぶしといって」
「上司をからかっている時間があるなら、何かいい方法を考えてよ。仮にもあなた、わたしの部下でしょ」
「逆でしょ。あなたはボクの上司なのですから、指針というものを示していただかないと」
互いに悪態を吐きながら、次なる手を考える。あからさまな遅延行為――つまりは時間稼ぎなわけだが、見逃してくれるほど敵は油断していない。
「影竜よ!」
黒い竜が大きく顎門を開いて動き出す。
バリバリとリヴァラスの頂上付近を壊しながら進むと2人に迫った。剣で受け止めるのは難しく、魔法での防御は魔力を吸い取られ黒い竜の餌になるだけ。回避だけが強いられるのだが、黒い竜の動きは決してのろくはない。2人の退路を断ち、キツく縛り上げた。
「「ギャアアアアアアアアアアアア!!」」
【大勇者】と、その部下の悲鳴が絶望の調べとなって、聖樹リヴァラスに響き渡る。激しい痛みとともに、2人の魔力が吸い取られていく。ついに意識を失ったのかという時、黒い竜に木の根が波のように襲いかかった。刹那、竜を串刺しにする。
「チッ! リヴァラスめ。まだそんな時間があったか?」
ガダルフは舌打ちする。
レミニアたちは虫の息だ。それを確認した後、怒りの矛先を横たわっていたコノリへと向けた。
「まずはお前の可愛がっていたドブネズミから消滅させてやる。案ずるな、リヴァラス。お前も同じところに送ってやる。まあ、〝無〟の世界だがな」
『愚かですね、ガダルフ。私はただ勇者たちを助けたとお思いですか?』
「何?」
『あとは頼みますよ…………』
ヴォルフさん!!
ガダルフの後ろに影が飛んだ。
一瞬燕にも見えたそれは、烈火の如くガダルフに迫る。
対峙したのは、1人のアラフォー冒険者だった。
「ヴォルフ・ミッドレス!!」
「おおおおおおおおおおお!!!!」
ガダルフの意識は完全にリヴァラスに向いていた。それを狙った絶妙な奇襲。黒い竜もリヴァラスが抑えたことによって、動けない。
今をおいてガダルフに迫る好機はない。
シャンッ!!
ヴォルフは【カグヅチ】を振り下ろす。
ガダルフは咄嗟に防御したが、やはりワンテンポ遅い。掲げた手は手首ごと斬られてしまった。
「ぐおおおおおおおおお!!」
ガダルフの悲鳴が響く。
戦いが始まって、初といっていい致命の一撃。さらに痛み以上にガダルフを困惑させたのは、手に持っていた愚者の石を落としてしまったことだ。赤い光を讃えながら、リヴァラスの奥底へと落ちていく。
「くそっ!!」
ガダルフは取りに行こうとしたが、遅い。すでにヴォルフは臨戦態勢で立っていた。この機を、獣のように息を潜めて待っていたのかもしれない。娘が傷つく瞬間を、リヴァラスになだめられながら、ずっと爪と牙を隠していたのかと思うと、ヴォルフの頭に渦巻く怒りは多少のことでは消せやしない!
「覚悟しろ、ガダルフ!!」
当然、一撃に終わらなかった。
ガダルフはすぐに黒い竜を手元に戻そうとしたが……。
「「天縛・剣の陣!」」
詠唱と共に落ちてきたのは、大きな光の剣だ。剣は黒い竜を串刺しにして、その動きを止める。今黒い竜を縛っているのは時属性の魔法だ。いくら魔法で召喚された生物でも時の理に反することはできない。
ガダルフは視線が一瞬黒い竜を拘束したレミニアとハシリーの方へと向いた。視覚で捉えることはできても、呪詛の言葉を吐くことはできない。そのガダルフにも危機が迫っていた。
「ガダルフ、どこを見ている!!」
「うるさい! お前に構ってる暇は――」
ガダルフは今度こそヴォルフの剣を止めた。しかし片手だけでは受けが弱い。あっという間に押し込まれると、ヴォルフは一瞬引いて二の剣を繰り出す。ガダルフの足首付近を切り裂くと、なおも連撃を食らわせた。
「いけぇえええええええええええ!! パパぁぁぁぁぁああああああああああ!!!」
「ヴォルフさん、勝ってください」
レミニアが声援を送れば、ハシリーは静かに祈る。
その声援に後押しされながら、ヴォルフはさらにガダルフを押し込む。その広い背中には無数の手があった。後押ししたのはこれまでヴォルフがかかわってきたすべての人間たちの手だ。
「うおおおおおおおおおおお!!」
【剣狼】は吠える。
世界の命運をかけた戦いは、ついに決着の時を迎えようとしていた。









