第304話 マイナスの魔法
「マイナス階梯……」
耳慣れぬ言葉に、ハシリーは眉を顰めた。
魔法は通常『第一階梯』『第二階梯』という風に、数が増えるごとに構築難度と実用性、そして威力が上がる。
しかし、ガダルフが使ったのは『マイナス階梯』……。階梯の数字が〝正〟から〝負〟から変わる――その意味するところを、この時ハシリーは掴み切れていなかった。
直後、ガダルフの暗い声が続く。
【影竜・召喚】!
現れたのは、黒い竜だ。
ガダルフの周りを回り、守護するようにハシリーとレミニアの前に立ちはだかる。
黒い竜は2人を威嚇すると、ガダルフの指示通り襲いかかった。
「『マイナス階梯』というから、どんな魔法かと思えば、結局闇属性系の魔法ですか。元3賢者と言われた方にしては、芸がないですね」
ゆったりとした竜の動きを見て、ハシリーは回避しようと動き出す。
「えっ?」
走り出そうとした1歩目、ハシリーの身体がガクリと揺れる。
一瞬身体の力が抜けた。
(なんだ? 一体? 疲れ? 疲労……?)
確かに連戦続きだ。
ガダルフを倒し、ヴォルフやレミニアとも戦った。そして今目の前にいるのは、またガダルフ。蓄積した疲れが、極限の緊張感の中で現れてもおかしくはない。
「ハシリー!!」
ハシリーは飛び込んで来たレミニアに押し倒される。直後、その上を横切ったのは、例の黒い竜だった。黒い牙によって2人を食いちぎらんとするが、レミニアによって回避される。レミニアの咄嗟の判断がなければ、黒い竜に食われていただろう。
「レミニア、すみません。助かりました」
「仕方ないわよ。慣れていないと、きついと思うし。ぐっ……」
レミニアは膝を突く。その顔は苦悶を浮かべていた。
「レミニア!?」
「大丈夫。それよりハシリーは知らないのね」
「『マイナス階梯』の魔法ですか? 知りませんでした。ガダルフが使えることも。……おそらく信用されていなかったのでしょう」
「……通常、魔法ってのは体内の魔力を使って構築するでしょ?」
「じゃあ、『マイナス階梯』は……!」
「体内ではなく、体外から魔力を吸収して放つ魔法のことよ」
「体外から……!」
「別に驚くことじゃない。誰でもやっていることだからね」
通常の人間は魔力を体内で構築し、魔力を放つ。消費した魔力は体外――つまり大気中に含まれる魔素を摂取することによって回復する。人族はおろか、ほとんどの生物が息を吸うのと同じぐらい、この動作を自然に行っている。
「ガダルフがやっているのは、その生理行動を強化したものよ。まさに裏技――『マイナス階梯』の魔法のことを〝裏魔法〟なんていう人もいるわ」
「そんな魔法まで網羅してるとは……。やっとあなたが天才に見えてきました」
「遅すぎるでしょ。……ともかく気を付けなさい。体外から吸収することができるということは、使える魔力は無尽蔵ということよ」
「その通りだ」
ガダルフが纏う黒い竜がさらに大きくなっていく。
リヴァラスの上で、蛇神のように巨大に膨れ上がった黒竜は、レミニアとハシリーに襲いかかった。
「いけ! 影竜!!」
『ジャアアアアアアアアアアアアア!!』
けたたましい嘶きとともに、黒き竜は再び襲いかかってくる。
「あんまり調子乗るんじゃないわよ。今に見てなさい! 串刺しにしてやるわ!!」
【天縛・剣の陣】!
それはかつてレミニアが、グランドドラゴンを磔にした大業だ。
光の剣が巨大魔獣を地面に磔にする。その威力はかの災害級の魔獣ですら、逃れられないものだった。
しかし――――。
「嘘でしょ……」
光の剣は一向に現れない。
詠唱ミスを疑ったが、天才であるレミニアが誤唱するとは思えない。いや、それどころかうまく魔力を練ることすらかなわなかった。
瞬間、肥大した影竜がレミニアに襲いかかる。
寸前のところで、手を引っ張り、救出したのは、勿論ハシリーだ。
「大丈夫ですか、レミニア」
「これで貸し借りなしね」
「そんなことを言ってる場合ですか。それにあなたに貸しならいくらでもありますから、後で覚悟してください」
「怖い部下ね。それにしても」
「ええ。魔法が構築できません」
「特に強く、魔力を練る必要がある魔法はダメだわ。その場で魔力が吸い取られる」
「あの黒い竜がいる限り、大魔法は使えない?」
「使えて、第三階梯といったところでしょ」
2人は戦慄する。
ただ魔力を吸収するだけかと思ったが、発動して以降、魔力を吸い上げていく魔法なんて魔法使い殺しもいいところだ。
「おおもとを断つしかないわね。ハシリー……」
「全部言わなくてもわかりますよ。ぼくが黒い竜を受け持ちます」
「さすが相棒! わかってるじゃない」
「相棒になった覚えはありませんが、あなたの部下に任じられた覚えはあります」
「相変わらず、口の減らない部下だわ」
レミニアとハシリーは目を合わせる。
言葉以上に、気の通じた2人はそこですべての打ち合わせを終えた。
それぞれの獲物へと直接走って行く。
天上族と人族のハーフであるレミニアとハシリーの身体能力は、普通のそれとは違う。魔法や強化魔法の恩恵がなくても、非凡と言わざるを得なかった。
「こっちだ!!」
ハシリーが影竜を引き出す中、レミニアは聖剣を握り、ガダルフに接敵する。
剣を薙いだ瞬間、持っていた聖剣が消えた。
「忘れてないか、【大勇者】。その剣もお前が召喚した聖具であることを」
「――――ッ!!」
「食らえ」
マイナス階梯魔法【絶喰】
黒い影がほとばしる。
それは一直線にレミニアに襲いかかると、小さな身体を食い破る。
瞬間、レミニア・ミッドレスの身体から赤い鮮血が飛び散るのだった。









