第301話 我がまま上司とお節介部下
「レミ……ニア…………」
レミニアの胸の中で、ハシリーが冷たくなっていく。
傷は深く、レミニアの服にはべったりと血の痕がはり付いていた。
そのレミニアが見ていたのは、4つの愚者の石。
少し離れたところには、なりそこないが立っている。
レミニアに与えられた選択肢は2つに1つ。
1つは4つ愚者の石を、賢者の石に変換し、リヴァラスと一体化して、ストラバールを延命させるか。
2つめは1つの愚者の石を使い、自分の魔力を回復させて、ハシリーの傷を癒やすか。しかし、1つ愚者の石が使用されれば、リヴァラスを救うことはできない。
1人の命か……。世界の命運か……。
【大勇者】と呼ばれる彼女の前に、大きな岐路が示された。
レミニアは知らないが、ヴォルフもまた似たような選択肢を迫られたことがある。レイルから抽出された愚者の石を、瀕死の人工天上族エラルダに与えた時だ。
ヴォルフは純粋にエラルダを救うために選んだが、彼女は暴走してしまった。
結果、ストラバールに深い爪痕を残すことになる。
レミニアは迷わなかった。
あの時のヴォルフのように。
落ちた愚者の石を拾い上げると、その1つ口の中に飲み込む。
膨大な魔力が一気にレミニアの体内に流れ込む。まるで血管を無理やり広げられたような痛みが走り、レミニアは一瞬意識を失いそうになった。
だが、効果は絶大だ。ついにレミニアの体内に魔力が戻ると、すかさず魔法を唱えた。
「運命の女神シノルよ。その撚り糸の歯車を回せ。不滅の絆、永遠の縁。断ち切られし刻の糸を繋ぎ直せ」
【運命回帰】!
レミニアだけが使える第10階梯の回復魔法。致命傷の者ですら完全回復させてしまう高位の回復魔法は、一瞬にしてハシリーの傷を治した。
苦悶の表情を浮かべていたハシリーの表情が安らぐ。やがて瞼が持ち上がると、その瞳は自信ありげに微笑む元上司の姿を捉えた。
「レミニア……。あなたという人は……」
「言ったでしょ。わたしはこの世界が嫌いだって。ハシリーもどうしようもないくらい、いじわるで嫌いだけど、世界を救うよりはずっといいわ」
「ふふ……。【大勇者】の称号を与えたレクセニル王国のムラド陛下、その他の貴族たちが聞いたら、きっと呆れるでしょうね」
「もういない人のことはどうでもいいわ。わたしが気にするのは、さっきから余裕の笑みをかましてる、そこのなりそこないよ」
レミニアは振り返り、なりそこないを睨む。ハシリーもまた、不意に現れた異形の方を向いた。
そのなりそこないもまた愚者の石を掴んでいた。石は真っ黒な肉体の中に沈んで行く。すると、赤黒く光を帯び始めた。
それまで不定形だったなり損ないの身体が徐々に人間らしい姿になり、固まる。
「一体何が始まるんですか、レミニア」
「あれはさなぎよ」
「さなぎ?」
「多分、愚者の石を使って、何者かが復活しようとしている」
「そんなことができるんですか?」
「わたしができたんだから、できるんじゃない?」
以前、レミニアはルネットを生き返らせたことがある。あの時は魂魄石という石にルネット自身が自分の記憶と意志を閉じ込めたおかげで、復活を果たすことができた。
それと同じことが愚者の石を使って行われようとしていると、レミニアは推測する。
なりそこないは人間の姿をとってから、動かなくなる。すると、卵のように外殻が剥がれ、魔力が溢れ出す。ともに見えたのは、人の姿だった。
男だ。
短い銀髪に、褐色の肌。
黄金色の瞳は鋭く、細く見える身体はたくましい筋肉の鎧に覆われていた。
2人の女性の前で裸を晒した男は、手に魔力を込めると、濃い緑と白のローブに身を包む。
男の顔には見覚えがなかったが、装備にはレミニアにもハシリーにも覚えがあった。
「まさか……、ガダルフ……」
ラーム、ハッサルに継ぐ三大賢者の1人。
そして愚者の石の研究者にして、作製者。
この世の衰退を望み、唯一無二の神を目指す元天上族。
元凶ガダルフがそこに立っていた。
「久しいというわけではないか、ハシリー・ウォート。裏切り者め」
「ぼくは最初からあなたの仲間になったつもりはないんですけどね。話を合わせていただけです」
「お前は何もわかっていない」
「なんですか? 会って早々に説教ですか、賢者様」
「お前のせいで世界を救う選択肢はなくなった。それがわかっていないのか?」
「ハシリーのせいじゃない!」
一瞬、声につまったハシリーを、レミニアが救う。
「選んだのはわたしよ」
「まあいい。少々計画は狂ったが、概ね予定通りになった。……これでこのリヴァラスが朽ちれば、お前たちは終わりだ」
4つあった愚者の石は、レミニアとガダルフが1個ずつ使い、残り2つしかない。
「2つでは弱ったリヴァラスを救うことは不可能だ」
「それはどうかしら。世界は広いわ。まだ賢者の石に耐えうる素体はいるかもしれない。たとえば、ハッサルとかね」
「あいつは死んだぞ」
「どうかしら? 生きているかもしれない。そして、当然今目の前にいるあなたも候補よ、ガダルフ。あなたを素体として賢者の石に再変換すれば可能なはず。ほら、あっさり2個戻ったでしょ?」
「世迷い言を……。お前が人間を素体にして、賢者の石を作るとは思えない」
「ガダルフの言う通りですね。……レミニア、見透かされてますよ」
ハシリーが肩を竦めると、レミニアは口を尖らせた。
「言ってみただけよ。でも、世界を救う方法なんていくらでもある。たった1つなんてあり得ない。そうでしょ、ハシリー」
「そうですね、とは言い難いですが、あなたが言うならそうなのでしょうね」
「目下のところ、わたしたちにとって最大の障害はあなたよ、ガダルフ」
レミニアは手をかざした
虚空に現れたのは、聖剣だ。以前、ヴォルフに送ったものである。
「覚悟なさい、ガダルフ。完全回復した【大勇者】の力を見せてあげるわ」
「どうしますか、ガダルフ。今回ばかりは相手が悪そうですよ。同情はしますが、ぼくはこっちに付かせてもらいます」
レミニアに寄り添い、ハシリーもまた構えをとる。
レクセニル王国の研究所で、切磋琢磨した小さな上司とお節介部下のコンビは、ここに完全復活したのだった。









