第298話 それぞれの大事なもの
「ふぅ……」
ヴォルフは汗を拭う。
周りを見渡すと、なりそこないの気配はない。
あるのは、勇猛果敢に戦った仲間たちだけだ。
民間人の避難も終わったらしく、場にいるのはヴォルフ、ヒナミ、エミリー、クロエ、アンリとその『葵の蜻蛉』、そしてヒナミが率いたワヒトの刀士だけだ。ボルネー王国軍も退いたらしい。
「ひとまず安心――――」
「ヴォルフ!」
「ヴォルフはん」
「ヴォルフ殿」
「ヴォルフ様!」
ヴォルフは4人の乙女に押し潰される。
敵に回せば間違いなく、なりそこないより厄介な女性たちは、ヴォルフを押し倒した後で、言葉責めを敢行した。
「遅かったではないか! 待ちくたびれたぞ!! ヴォルフ!!」
「エラい久しぶりやな。なんや1年ぐらい会ってなかったような気ぃするわ。うちを残して、どうしてはったん?」
「ヴォルフ殿、ご無事で何よりでござるよ」
「ヴォルフ様、わ、私と結婚してくれるまで逃しませんからね」
さしもの【剣狼】もタジタジだ。
横でミケが「ししし」と笑う。主人の助けてくれ、という目の訴えに顔を洗って誤魔化した。
「心配させてすまなかった。と、ともかくどいてくれ。本当に死ぬ」
「クロエ、どくのだ。ヴォルフが重いと言っておるぞ」
「何を言うてはりますの。うち、こう見えて着痩せする方なんやで。エミリーの方がよっぽど重いわ」
「な! せ、拙者でござるか?」
「ヴォルフはんと会えないからて、やけ食いしてたやないの」
「そ、それはヴォルフ殿が心配で」
「そういう時は普通喉も通らないのではないのか、エミリー」
「アンリ殿に言われたくないでござる! いつも拙者より食べるくせに」
「私はあの量が普通ですからね。余計なカロリーは全て鍛錬で落とします」
「ぬぬぬ……。卑怯でござるよ」
エミリーはアンリの立派に育った身体の一部を凝視する。
『おい。お前たち、そのへんにしろにゃ。ご主人が息をしてないぞ』
ミケの言葉を理解できるものは今いなかったが、何を言いたいのか理解できるほどには女性陣は賢かった。
「「「ヴォルフぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅううううう!!」」」
ヴォルフの腹の上で、4人の娘たちが叫ぶのだった。
◆◇◆◇◆
「なっ! ハシリーが……」
ヴォルフはここに至るまでの経緯を話す。
流石に時間はなく、かいつまんでのものだが、聖樹の森と同様に異常事態であることは、全員に伝わった。
「にわかに信じられんな。余の目から見ても、ハシリー・ムローダは忠臣のように映ったが」
「俺もそう思う。ハシリーには何か考えがあるんだ」
「それはそうだと思うが……」
ヒナミは珍しく考え込む。
その姿を見て、クロエは声をかけた。
「王様、何か気になることでもあるのか?」
「気づかんか、クロエ? この森に漂う妙な気配……。ボルネー王国軍でも、ましてそのハシリーの気配でもない。寒々しい悪意を」
「言われてみればそうだな」
ヒナミの言葉に、ヴォルフは頷く。
「俺もその気配が気になっていた。……それにもう1つ、ここに来て気になったことがある」
「なりそこないだな、ヴォルフよ」
「そうだ」
仮に聖樹の森になりそこないを放ったのがハシリーなら、なぜハシリーはヴォルフとの戦闘でなりそこないを使わなかったのだろうか。
確かに使役した獣は凄まじい強さを秘めていた。
だが、あれはあくまでハシリーが生み出した魔力生物。なりそこないとは違う。
「ハシリー殿もまた何者かに操られている可能性はないでござらんか?」
「あり得る。となれば、ヴォルフよ」
「ああ。ハシリーも、レミニアも危険だってことだな」
意見の一致を見た直後、ざらりとした殺気が森に満ちる。
地面から湧き出てきたのは、黒い影だ。
次々と現れ、ヴォルフたちを囲んだ。
「なりそこない!」
「さっきより多いんちゃうか?」
ヒナミ以下、乙女たちは武器を構える。
「ヴォルフ殿、先に行くでござる!」
「し、しかし……、エミリ!」
「レミニア殿が待っているのであろう! 拙者らには気にせずに」
「だが、エミリーたちをおいては――――」
反論したところで、エミリーはヴォルフの襟を掴む。
強引に引き寄せると、そのまま唇をヴォルフのに重ねた。
「おお!」
「おやおや」
「ああ!!」
戦場で行われた接吻を見て、他の女性陣が声を上げる。
一方、エミリはヴォルフから手を離す。
耳たぶまで真っ赤になったヴォルフを見て、可憐に笑った。
「続きは次に会った時にするでござるよ」
「エミリ……。すまん」
ヴォルフはエミリを抱きしめる。
それは刹那であったが、優しく強いものだった。
「ヒナミ!」
「みなまで言うな! 大事な娘を助けに行け!」
「クロエ! アンリ様!」
「心配せんでええよ。雑兵が集まったところで雑兵やし」
「レミニア様とはまだ腕相撲での決着がついてませんからね。親子で戻ってきてください」
「……ありがとう!」
ヴォルフは踵を返す。
そのまま1度も振り返ることなく、ミケと一緒に聖樹リヴァラスの方へと向かった。
「ええなあ。うちもヴォルフはんが帰ってきたら、ハグしてもらわれへんやろか」
「接吻ではないのか、クロエ」
「そこまで贅沢は言わへんよ」
「エミリ様、ずるいです!」
「ふふん。アンリ殿、これは役得というものです」
「兜の緒を締めよ、各々。ヴォルフでも誰でもいい。そなたらそれぞれ大事なものを浮かべよ。そして――――」
生き残るのだ!
「「「おう!!」」」
その声は戦いの狼煙となる。
各々が思い描く大事なものをかけて、乙女たちの戦さが始まった。









