幕間 3匹の熊殺し
何度も言いますが、何度もいわせてください。
書籍の方、ツギクルブックス様より7月10日発売です。
よろしくお願いします。
暗い廊下に冷たい靴音が響き渡っていた。
薄暗がりから現れたのは、銀髪を後ろに撫でつけた老爺だ。
長身で痩躯。くたびれた上着を着て、姿勢も悪い。
おまけに頬は痩け、やつれていて、片眼鏡の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。
紳士の老人というイメージは想像したのなら、完全な裏切りだろう。
街のチンピラがそのまま年老いたような雰囲気が、正答だった。
彼の名前はホセベル・ガントー。
【灰食の熊殺し】の構成員の1人で、ハイ・ローの支部を束ねる首魁だ。
その彼が歩いている廊下は、ハイ・ローにある【灰食の熊殺し】のアジト。
街の崖をくりぬき、2、300人ぐらいの構成員を収容できるぐらいのスペースがある。
熊の巣穴のように穴蔵を掘り、アジトとするのが【灰食の熊殺し】の伝統だ。
今では国の土木関係部門も裸足で逃げ出すほどの技術を持ち、構成員を鍛えることにもつながっている。
その証拠に、ホセベルが歩く廊下は平らに舗装され、見事に凹凸1つない。
部下の頭でも捕まえて、髪の毛が抜け落ちるぐらい撫でてやりたいところだが、生憎とそんな気分では無かった。
部屋の入口の前に立ち止まる。
頑丈な鉄の扉を蹴破るような勢いで踏み込むと、部下たちの視線がホセベルに集まった。
慌てて、頭を下げる。
ホセベルは何も言わず踏み込むと、部屋の真ん中にあった布をはぎ取った。
現れたのは、死体だ。
土木によって鍛えられた筋肉には、刺し傷がある。
「心臓を一突きか……。なかなかしびれるねぇ」
人体の急所とはいえ、その部分を刺すのは簡単なことではない。
手前には堅牢な肋骨があり、心臓を守っているからだ。
そもそも心臓自体も筋肉であるため、決して容易なことではない。
この刺し傷はあまりに見事だ。
肋骨の隙間を抜くことはもちろん、筋繊維の隙間を最短最小限の力で貫いている。
そのため破かれた外皮の傷痕は小さい。
ゆっくりと突き刺され、ゆっくりと引き抜かれたように見える。
むろん、そんな生やさしいものではない。
剣――おそらく刀を使う達人クラスの仕業だろう。
「まったく……。心臓が一番の金になるってのによ」
ホセベルは舌打ちする。
たとえ死体であろうと、欲しがる人間はごまんといる。
死体嗜好者、擬装用、違法な魔導実験の素体。
特に心臓は魔導士に高く売れる。
霊薬や仙薬の素材に打って付けだからだ。
もちろん、違法だが……。
「今回もヴォルフ・ミッドレスを名乗ったんだな?」
「へぇ。間違いありません」
部下は頷く。
ホセベルはまた舌打ちした後、遺体に布をかぶせた。
翻り、部屋を出て行こうとする。
「ともかく探し出せ! これ以上、我輩のシマで好き勝手させるな。見つけたらすぐに殺せ! いいな!!」
「頭領……。遺体はどうしますか?」
「決まってるだろ。売れ! 売りまくれ! 脳みそと内臓は美食家に。頭蓋はオブジェに加工しろ。手と足は変態貴族ババアがいるだろう。睾丸と男根はきっちり切除して保存しておけ。闇医者が欲しがってる。あと――」
ホセベルは振り返り、にやりと笑った。
「目玉と唇、あと舌は残しておけ。それは俺の犬の餌用だ」
以上――。
しめくくると、今度は鉄の扉を蹴破り、部屋の外へと出て行った。
◇◇◇◇◇
死体の確認を終え、自分の執務室に戻る。
途端、ホセベルの顔が曇った。
大きくため息を吐きながら、1度銀髪を撫でつける。
片眼鏡の奥から、自分の執務用の椅子に座った人物を睨めつけた。
「本部から大幹部が来ると聞いていたが、お前かルッド……」
「なかなか良い椅子だな、ホセベル」
いよいよ椅子が回る。
現れたのは、仮面を付けた人物だった。
声の調子や、小柄な体躯からして女であろう。
フードから二房まとめられた髪が伸び、魔力増幅器の宝石を首から提げていた。
顔全体を隠す仮面には、拍子抜けするぐらい可愛い絵柄の熊が描かれている一方、その纏う空気と血の臭いは、一流の暗殺者の風采をしてる。
【空掻の熊殺し】ルッド・マンセルズ。
【灰食の熊殺し】を支える7人の大幹部の1人だ。
声こそ若作りしているが、ホセベルの歳を2倍にしても追いつかないほどのババアだと聞いている。
ホセベルはため息を隠さず、盛大に吐き出した。
「挨拶だな、ホセベル。あたしはこれでも大幹部なんだよ。もっと盛り上げてくれてもいいだろう」
「うるさい。我輩はババアに興味がないのだ」
はっきりと言い切る。
大幹部を前にして1歩も引く気はない。
立ち位置こそルッドの方が上役に当たるのだが、ホセベルは古参の構成員だ。
歳は向こうの圧勝だが、組織にいる時間は彼の方が長い。
一時期は、ルッドがホセベルの部下だったこともあり、立ち位置は非常に曖昧だった。
「お前だけなのか? もう1人来ると聞いていたが」
すると、ルッドは親指を立てて、角を指した。
反射的にホセベルは身体を引く。
部屋の角に、何か黒い影が1本立っていた。
人だ。
黒金糸のローブを纏った若い男。
灰色の気味の悪い肌。眉毛も髪もなく、禿頭には熊の入れ墨が彫られている。
全体的に黒目が多い男には、常に小さな蟲が飛び交っていた。
ホセベルは鼻を摘まむ。
「スケングルか……。どうりで蟲臭いはずだ」
【紫蠢の熊殺し】スケングル・エドゥード。
ルッドと同じく大幹部の1人だ。
そのスケングルは挨拶もせずに、常に「くつくつ」と笑っている。
「もうちょっとコミュニケーションの取れる幹部はいなかったのか?」
「あたしがいるじゃないか?」
「ババアと会話するぐらいなら、スケングルと幼少のみぎりに捕まえた蝉の話でもしていた方がマシなのだよ」
「おい。それ以上、ババアっていうと、いくらあんたでも容赦しないよ」
「蝉……。蝉……。ホセベル、蝉好き?」
「そうだ、スケングル。今すぐ目の前の赤ずきんの口に、突っ込んでやりたいぐらい大好きだよ」
「随分な口の利き方じゃないか、ホセベル」
ルッドの雰囲気が変わる。
椅子に座したまま、魔力増幅器を起動させた。
対し、ホセベルはどこからかナイフを取り出す。
目の前の幹部を睨み付けた。
やがて空気は破裂する。
お互いに距離を詰めようとした時、それは起こった。
金縛りにあったかのように両者の動きが止まる。
実際、なんらかの干渉を受けたわけではない。
ただ単に互いの眼球の前に、大きな蜂が針を見せて留まっていたからだ。
「ケンカ、よく……ない」
スケングルの辿々しい言葉が、室内に響く。
ホセベルは「ふぅ」と息を吐き、ナイフを収めれば、ルッドもまた椅子に座り直した。
蜂は羽音を立てて、主の方に戻っていく。
一気に空気が収縮し、両者の殺意は蝋燭の火のように消えていった。
「スケングルの言うとおりだ。今は仲間割れをしてる場合ではない」
「ああ……。――で。ヴォルフ・ミッドレスが現れたというのは本当か?」
「間違いないといいたいところだが、我輩の見立てでは今のところ確信はない」
わかっているのは、刀を使うこと。
そして達人クラスの技量を持つことだけなのだ。
確かに伝え聞くヴォルフ・ミッドレスと特徴は一致する。
だが、ホセベルが確信を持てなかった。
長年の勘が妙な違和感を感じていたからだ。
そもそもヴォルフ・ミッドレスは、王国の公式発表において死刑となったはず。
そんな男がハイ・ローのような場所に現れるならまだいい。
だが、【灰食の熊殺し】を斬りまくる派手な動きをするのが、単純に解せなかった。
「義憤に駆られたからではないか? 随分、お人好しだと聞いているが」
「我輩たちはまだ何もしていないのだよ。多少この街の【妓王】といざこざはあったにせよ。正義の味方がマントを翻して颯爽とやってくるには、早すぎる」
「偽物……か?」
「我輩はそう睨んでいるがね」
ルッドは少し黙考した後、ようやく席を空けた。
「とにかく、我ら【灰食の熊殺し】に刃を向けたのは、確かだ。それが【赤嵐の熊殺し】のアジトを壊滅させたヴォルフ・ミッドレスであろうと、その亡霊だろうと、そして偽物だろうと容赦はするつもりはない」
「忌々しいことだが、お前と同じ気持ちだ、ルッド」
「ふん。ともかく休ませてもらう。少々長旅だったのでな。ヤツを見つけたら、知らせろ。一瞬で喉元を掻き殺してやる」
声には怒りと殺意が込められていた。
荒々しく扉を開け、執務室を出て行く。
「ね、ねぇ……ホセベル。……ぼくの蟲を放とうか? 偽物を見つけることができるかもしれない」
「それは助かる。ただし、蟲に人を食わしたら、てめぇの命はないと思え。食べていいのは、人間以外だ。エルフと獣人もダメだぞ」
「…………」
「そんな顔をするな、スケングル。仕方ないだろう……。もうすぐこの街は我輩たちのものになるのだぞ。つまり――」
このハイ・ローの人間すべてが、【灰食の熊殺し】の商品になるのだ。
こういう悪役らしい悪役、狂おしいほど好きw









