強襲! 白イタチ! (2)
一週間後──
彩佳市の森の中では、恐ろしい怪物が座り込んでいた。
「ホーホッホッホ、大介の奴、現れるのかねえ」
言いながら、ドロイはちらりと猫耳小僧を見る。
猫耳小僧は縛られ、地面に転がされていた。その顔には、諦めの表情が浮かんでいる。
「さてと……大介が来なかったら、お前はアタシのものさね。さて、どう可愛がってあげようかしら」
「待て!」
不意に響き渡る声。ドロイは、にやりと笑った。
「ほう、やっぱり来たかい……さすがね」
大介は、険しい表情で歩いて来る。タンクトップ姿の上半身は分厚い筋肉に覆われているが、同時に傷だらけでもある。彼がこれまで潜って来た修羅場を物語っていた。
その後ろからは口裂け女、送り犬、真太郎と続き……さらに父親の大門勇太郎が付いてきている。
ドロイの目が、スッと細くなった。
「なんだいアンタ、勝ち目ないからって助っ人を呼んだのかい?」
「違う。こいつらは、単なる立会人だ」
そう言うと、大介は目をつぶる。深く息を吸い、思い切り吐き出した。
同時に、カッと目を見開く。空手の呼吸法・息吹だ。
「行くぞドロイ! 人間の力……見せてやるぜ!」
「おやおや、また中二くさいセリフが飛び出したもんだ。じゃあ見せてもらおうかね、その人間の力って奴を」
せせら笑うようなドロイの言葉だが、大介はそれを無視し猫耳小僧の方を向いた。
「おい猫耳小僧、お前は前に言ってたな……正拳突きなんかやって強くなれるとは思えない、と。今から、その答えを見せてやる。基本の正拳中段突きでも、磨き抜けば必殺技になるんだ!」
そう言うと、大介はドロイに向き直る。
直後、乾いた音が響き渡った──
空気が破裂したかのような音、そして大介の拳……ドロイには、何が起きたのか把握できていなかったのだ。
「なんだい、今のは?」
驚愕の表情を浮かべるドロイに、大介は落ち着いた様子で語り始めた。
「ドロイ、俺はあんたに感謝している。あんたという強者に出会わなかったら、俺は自身の未熟さに気付けなかった。また、未完の秘技を完成させることも出来なかった」
「何を……」
言いかけたドロイの耳に、またしても破裂音が響く──
大介の拳が、前に突き出されている。確かに彼は、正拳突きを放ったはずだった。しかし、その動きが全く見えなかったのだ。
「この技は、世界最強の漢に捧げる予定だった」
大介は、そこで振り返り勇太郎を睨み付ける。
「すなわち、あんたに叩き込むつもりで磨いてきたんだよ! 親父!」
言われた勇太郎は、不敵な笑みを浮かべて頷く。
その表情を見た後、大介は再びドロイの方を向く。
「しかし、なかなか完成させることが出来なかった……ところが、あんたのおかげで完成できたのさ。あんたのディフェンス技術は、人間を遥かに凌駕している。そんなあんたに攻撃を当てるには、音速を超えるしかないからな!」
言うと同時に、大介は再び突きを放つ。
破裂したかのような音が響き渡った。
「いい音だろう。これは、物質が音速の壁を超えた瞬間の音さ。俺の突きは今、音速を超えたんだ!」
そう……心を空にし、体で大地の気を吸収する。そのふたつの融合が真空の渦を作り出し、音速の壁を破る突きの連打をを生み出すのだ。
そして、大介は低い姿勢で構える。
「今の俺の最高傑作だ。ドロイ、あんたに捧げたい」
「フッ、そうかい。アタシが初めての相手ってわけかい。光栄だねえ……でも、そんなもんじゃアタシは倒せやしないよ!」
叫ぶと同時に、ドロイは一気に間合いを詰める。白い前足が、鉈のように降り下ろされた。
しかし、大介はその場で構えたままだ。
直後、声を発した。
「天・地・人! 真空・ハリケーン突きいぃぃ!」
鋭い気合いと共に、マシンガンのごとき連続的な破裂音……次いで、肉を打ち抜く鈍い音が響き渡る。
一瞬遅れて、ドロイの白い毛が大量に宙を舞った──
「今のは何だワン!?」
「何したのか、全然見えなかった!」
送り犬と真太郎が叫ぶ。ふたりの目には、前足を降り下ろしかけたドロイが、僅かな間ではあるが小刻みに痙攣したように見えたのだ。
「突き、だ」
重々しい口調で、勇太郎が言った。真太郎は、その言葉に反応する。
「突き、ですか? 何も見えなかった──」
「真空の渦を発生させることにより生み出された、音速を超えた速度の突き……その突きの連打が、ダース単位でドロイの胸に命中したのだ。その威力は、北極熊ですら葬れるだろう。真空ハリケーン突きとはな……大介め、やりよるわい」
勇太郎のその言葉を裏付けるかのように、ドロイの巨体が大きくぐらついた。
だが、すぐに体勢を整える。もっとも、その表情は歪んでおり、ダメージを隠せていない。
「さすがね、坊や。今のは凄く感じたわ……でもね、アタシはまだイってないのよ!」
吠えると同時に、ドロイは全体重をかけた一撃を放つ。しかし、大介の突きの方が遥かに速い。
またしても、音速を超えた拳が炸裂する──
ドロイは、悲鳴にも似た声を上げる。それと共に、口から大量の血を吐き出した。誰の目にも、ダメージは明らかである。事実、これだけの数の突きを受ければ、恐竜ですら立っていられないはずなのだ。
しかし、ドロイは倒れない。白い体を血に染めながら、紅い瞳で大介を睨み付けている。その瞳からは、闘志が消えていない。
すると、大介の顔に戸惑うような表情が浮かぶ。
「何が……何があんたを支える? 意地か? 面子か? あんたは、俺を一度は敗北させているんだ。ここで負けても、一勝一敗の五分だろうが」
尋ねる大介を見て、勇太郎がチッと舌打ちした。
「相変わらず甘い奴だ。そんなことでは、この父を乗り越えることなど永遠に出来んわ」
そんな父の言葉は、大介には聞こえていない。なおも、ドロイに向かい語り続ける。
「その信仰心にも似た妖力に支えられた肉体も、あと一撃で確実に滅する。あんただって、わかっているはずだ! 負けを認めろドロイ! でないと死ぬぞ!」
その言葉に、ドロイの表情が変わる。
「アンタに猫耳小僧が大切なように、アタシにも大切なものがある。アタシは森を守らなきゃならないんだ……森を汚す奴らは、絶対に許せないんだよ」
そう言うと、ドロイはにやりと笑い手招きした。
「来なよ坊や。その最後の一撃とやらで、アタシを滅せられるかどうか、試してごらん」
直後、ドロイは両手を高く挙げる。その姿は、大切な何かを必死で守ろうとしているかのようだ。
「さあ、いらっしゃい。思いっきり突いて、アタシをイかせてみな」
その言葉に、大介の顔が歪む。目をつぶり、悲痛な表情で叫んだ。
「ドゥォロォイィィィ!」
叫ぶと同時に、大介は渾身の突きを放つ──
彼の拳は、白い巨獣の体を捉えた。
にもかかわらず、ドロイは立ったままだ。両手を大きく上げ、もっと打ってこいと言わんばかりの姿勢は崩れていない。
しかし、その瞳の光は消えていた。
「どうなってんの……」
呟くように言った口裂け女に、勇太郎が答える。
「あれが、大釜立ちだ」
「おかまだち?」
「ああ……本物を見るのは初めてだが、ここまでとはな。見事だ」
勇太郎のその言葉には、心からの感服の思いが込められている。
「なんだいそりゃあ?」
尋ねる口裂け女に、勇太郎は苦笑した。
「そうか、お前は昭和の妖怪だったな。知らないとしても不思議はない」
・・・
時は戦国。地方を治める大名である花形藤兵衛のひとり息子である守之助は幼き時、猟師の罠にかかったイタチを見つけた。
まるで雪で染めたかのように、真っ白な美しい毛並みの白イタチ。だが罠にガッチリ足を捕られ、衰弱しきっていた。守之助は、あまりに見事な毛並みに心を打たれ、罠から解放し傷の治療をした。さらに家に連れ帰ると、食べ物と水を与えて介抱したのである。
やがて体調の回復した白イタチは、元気に山へと帰って行った。
途中、名残惜しそうに何度も振り返りながら……。
それから一年後。
花形家にて謀反が起き、幼い守之助は外にいるところを、百人近い男たちに襲われた。謀反の首謀者は、まず守之助の首を獲り味方の士気を上げようと考えたのである。
二人の従者は斬り殺され、守之助の命は風前の灯火であった。
その時だった。森の中から、白い巨獣が姿を現したのだ──
それは、六尺を超すイタチであった。イタチは熊のように立ち上がり、一瞬にして数人を倒したのだ。さらに守之助を抱えると、近くにあった山小屋へと逃げ込む。
山小屋には、子供がすっぽり隠れられるくらいの巨大な釜が置かれていた。白イタチは大釜を持ち上げ、守之助に被せる。
だが、釜の脇には穴が空いていた。これでは、中に入っている守之助が丸見えだ。
すると、白イタチは後ろ足で立ち上がった。穴の前で仁王立ちになり、凄まじい雄叫びを上げる。
それは、近づいた者は殺す……という意思表示であった。
だが、敵も死に物狂いだ。白イタチに向かい、一斉に斬りかかっていく──
騒ぎに気付き、手勢を引き連れ駆けつけた藤兵衛。だが、そこには異様な光景があった。
全壊し、もはや山小屋としての体をなしていないガラクタの山。周囲には、おびただしい数の死体が転がっていた。さらに、その中心には巨大な何かが立っている。全身から針のようなものが突き出た、奇怪なものだ。銅像にも見える。
その「何か」の足元では、守之助が泣きじゃくっている。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、足のあたりにすがり付いているのだ。
藤兵衛は恐る恐る近づき、その正体を知る。巨大なイタチが、二本足で立ったまま息絶えていたのだ。針のように見えたのは、全身に刀や槍さらには矢が刺さっているからだった。それでもなお、戦う意思を捨てていない。近づいた者は殺す、という気迫に満ちている──
さらに守之助から事情を聞いた藤兵衛は、無言のまま両膝を着いた。
白イタチに向かい、深々と頭を下げる。
守之助に巨大な釜を被せ、我が身を敵に晒し守り抜いた白イタチ。この名もなき妖怪は、漢の鏡として花形家に代々語り継がれることとなる。
生まれ育ちは違えども
心通いし友のため
その身を妖怪へと転じ
一生一度の恩返し
純白の身を血に染めて
一歩も退かぬ白イタチ
ついに命が尽き果てて
されど倒れぬ大釜立ち
命の炎は消えるとも
意地は潰えぬ大釜立ち
・・・
「以来、花形家では白いイタチを神として祀っているとのことだ」
語り終えた勇太郎だったが、口裂け女の目は、大介へと向けられていた。
その大介はというと、猫耳小僧を抱きしめている。送り犬と真太郎も、笑いながらふたりを見ている。
「ニャニャ! は、離せニャ!」
「嫌だ! 俺はお前を離したくない!」
そんなふたりを、口裂け女は羨ましそうに見つめる。すると、勇太郎が彼女に手を伸ばした。
一瞬で、その体を抱き抱える。さすがの口裂け女も、焦った様子で叫んだ。
「ちょっと! 何すんだい──」
「口裂け女よ! 女として自己を高めよ! 喰らい尽くせぬ女であれ!」
勇太郎は意味不明なことを叫んだかと思うと、次の瞬間には口裂け女を放り投げたのだ。
派手に飛ぶ口裂け女。だが、彼女をキャッチしたのは大介だ。彼女を抱き止めたまま、勇太郎を睨み付ける。
「親父! 何しやがんだ! クチサケさんに手を出すんじゃねえ!」
吠える大介に、勇太郎はニヤリと笑った。
「ふたりとも、幸せにな」
その言葉を残し、勇太郎は去って行った。
一方の大介は、唖然となりながら勇太郎の去り行く後ろ姿を見つめる。猫耳小僧らも、同様であった。
「お前の親父、なんだか無茶苦茶だニャ……」
猫耳小僧が呟くと、大介は顔をしかめて頷いた。
翌日、大介たちは並んでベンチに腰かけ弁当を食べていた。傍らには、ゴミの詰まった袋が置かれている。四人は今まで、森のゴミ拾いをしていたのだ。ドロイの住む森を、少しでも綺麗にしてあげよう……という思いから始めたボランティア活動である。
「唐揚げ弁当、おいしいニャ!」
「そうか!」
「幕ノ内弁当も、おいしいワン!」
「それはよかった!」
仲良く笑い合う彼らを、大木の陰にて地団駄を踏みながら見ているのは口裂け女だ。
「ちくしょう、あいつらだけで楽しそうにしやがって……大介の奴、何故あたしを誘わないんだ! 大介に、あたしの手作り弁当を食べて欲しかったのに! 女子力を見せるチャンスだったのに! くそう! くそう!」
さらに別の大木の陰では、巨大な白イタチが身悶えしていた。
「大介……もう一度、アタシにあの突きを打っておくれよ。突いて突いて突きまくって、アタシをイかせとくれ……」




