表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/44

11 街と魔物と中年と2 前編



 食事を終えて店を出た頃には、夜の帳が下りていた。

 辺りはすっかり暗くなっているが、だからこそ街明かりが美しく輝いていた。


「わあ!」


 ティルシアが感嘆の声を上げる。夜景を見るのは初めてなのだろう。レスティナも遠方から見たことくらいはあるのだろうが、これほど近くで、それも街中を歩きながらのことはないはずだ。


「ディナードさん、綺麗ですね」

「人の営みってやつの現れさ。ときにこうして贅沢をし、誰かと時間をともにする。そして働く人々は、その手助けをするんだ。大勢の人が寄り集まって、この景色が作られているのさ」


 ディナードは特に芸術に関して興味があるわけでもないし、そんなものよりもおいしい食い物でも見ていたほうがよほど幸せな質であるが、賑やかな様子は嫌いではない。


 レスティナは思うところがあるのだろう、夜景を見ながらも、どこか遠くに思いを馳せているようにも感じられた。


 けれど、ディナードは聞かない。

 いい男に秘密があってもいいように、綺麗な女にも隠し事があっていい。誰しも自分のすべてをさらけ出すことはできやしないし、そうした見えない部分があるからこそ、表に出てくる部分が綺麗であり続けられるのだ。


 なにも、すべてを知る必要なんてありゃしない。聞いて欲しくなったなら、そのときに向き合えばいいだけなのだ。


 だからディナードはレスティナの帽子をぽんぽんと撫でた。狐耳が隠れているため、人とは感触もやや異なる。


「夜は冷える。風邪引かないうちに、宿に行くぞ」

「あ……」


 レスティナはそこではっとした。

 妖狐の里で生活していたときは、洞窟などで丸くなって寝ていたが、今はそんなわけにはいかない。


 仲間の妖狐がいないため、野生動物が襲ってきても気づかないだろうし、人に見られては、捕まえられてしまうかもしれない。毛皮にする者もいるというから。


 しかし、宿に泊まるには金がいるし、ままならないものである。


 どうしていいのかと困っているレスティナの手を、温かく大きな手が握った。


「満足していただけるかどうかはわからねえ……いや、ボロだから期待されても困るんだが、とにかく夜露をしのげるところに案内するぞ」


 なかば強引な優しさに引かれて、レスティナは歩き出した。


 肩の上のティルシアを片手で支え、もう一方の手でレスティナと繋ぐ。そんなことをしていたディナードは、


(世の旦那方は、心を繋ぎとめるのに腐心しているのだろうな)


 などと思うのだった。

 そんな彼であったが、ふと気がつく。ゴブシがいない。すっかり忘れていたのだが、いったいどこに――。


 視線を動かしてみると、出店のところで品を眺めているゴブリンと、困惑した店主の姿がある。


(なるほどなあ。子供が二人いると、苦労するわけだ)


 ディナードはそちらに行くと、ゴブシに声をかける。


「ゴブシ、迷惑かけるなよ。置いていくぞ」


 そう言われて、ゴブシは本当に置いていかれそうになると、慌ててやってくるのであった。


 やがて街明かりに乏しくなってくると、夜の静けさが心地よくなってくる。騒々しさがなく、澄んだ空気が心地よい。


 見上げれば、夜空には星々が浮かんでいる。こういうときに気の利いたことを言えればいいのだが、生憎とディナードにはそんな知識などなかった。


 ここらでは、すでに夢を見ている人々も少なくないのだろう。

 そんな家々の中の一軒の前で彼は足を止めた。


 見るからにおんぼろの宿で、すきま風が入ってくるかもしれないような有様だ。


「というわけで、お嬢様に満足していただけるような場所ではございませんが、今日の宿に到着したぜ」

「あの、ディナードさん。やっぱりその、お金が……」

「そこまで貧しそうに見えるかね?」


 ディナードは苦笑せずにはいられない。

 けれど、身嗜みをきちんとしていないおっさんがこんな宿に来れば、そう思うのも無理もないかもしれない。ただ、食い物以外にはあまり興味がないだけなのだが。


「心配するな。部屋に鍵はかかるし、風呂もある。といっても、薪は自費だがな」


 彼も若い頃は、格安の宿に泊まっていたことがある。

 集団で寝泊まりするようなもので、ベッドが足りなくなれば床で雑魚寝するような男で溢れる場所だ。


 しかし、寝首をかかれかねないことや、取り間違えなのか盗難なのかはわからないが、荷物を紛失した経験もあって、今は個室に泊まることにしている。


「立派な宿なんですね!」


 レスティナが言う。ティルシアもゴブシも風呂と聞いてわくわくしている。

 ディナードは、


(はて。女性に好まれるような宿ではないが)


 などと思うが、そもそも彼女たちは妖狐。人の感覚とは違っている。

 おんぼろの宿に入った彼は、宿屋の主人に告げる。


「お客さんが増えちまったんだが、個室は空いてないか?」

「申し訳ございません。ただいま満室となっておりまして……」


 さて、どうしたものか。


「ディナードさん、決して邪魔にはなりませんので、隅っこで丸くなっていますから、置いておいてください!」


 勢いよく答えるレスティナ。


「おいおい、いくらなんでも外聞が悪すぎることを言わないでくれよ」


 連れてきた女に、ここまで言わせる男はさすがに見栄えが悪い。狐のつもりで言ったとしても、誰もそうは受け取るまい。


「すまないが、寝具を追加で用意できないか?」

「かしこまりました」


 客室に入ったディナードは荷物を下ろし、それから風呂場に向かう。


「あの……包丁、置いていかないんですか?」

「大事なもんではないが……これに代わるもんを見つけるのには苦労するんでね」


 風呂場の更衣室まで持ってきたディナードである。それから彼は風呂の湯を魔法の炎で温める。そして温度がちょうどよくなった辺りで、ティルシアを肩から下ろした。


「さてと、それじゃあ風呂を楽しんでくれ」

「……ディナードさんは入らないんですか?」


 さも当然のように尋ねてくるレスティナ。

 いくら妖狐とはいえ、そういう仲でもないから、まずかろう。ディナードは女と風呂に入ったのはいつだろうか、などと思いながら、ゴブシを持ち上げた。


「あとでこいつと入るさ」


 そう言い置いて、彼は部屋に戻った。

 それから彼はひたすら包丁や鍋などの手入れを行う。戦いや食事と、命を預けるものなのだ。十分すぎることはない。


 ゴブシは退屈そうにそれを眺めていたが、やがて居眠りし始める。


 そうして明日の準備を終えた頃、レスティナとティルシアが戻ってきた。彼女たちは人化することで仮の衣服を作り上げているため、着替えも楽ちん。寝衣に着替えてきていた。


 ティルシアもずっと人化していたため、よたよたと歩けるくらいには慣れていたらしい。レスティナに手を引かれながらやってくる。


「遅くなりました」

「それじゃあ、こいつと入ってくる」


 ディナードはゴブシを持ち上げて脱衣所に行くと、衣服を脱ぎ捨ててゴブシも脱がし、浴室にて湯を浴びる。


「ゴブブ!?」


 湯を被ったゴブシが声を上げる。まだ居眠りしていたらしい。


(この図太さ、大物かもしれねえな)


 ゴブシは目を丸くして辺りを見回して、それから風呂に来たのだとわかるとほっとする。


 ディナードはゴブリンを隅々まで洗っていく。錬金術師曰く、綺麗好きのゴブリンだということだが、野生のゴブリンなのだ。間違いなく汚い。


 そうして綺麗になったゴブリンを湯船に放り投げ、自身も体を洗い終えると湯に浸かる。


「ふう、今日はいろいろあったな」


 今日一日で、魔物三体を連れて歩くことになった。


(なんでこんなことになったちまったのかね)


 という思いもあれば、


(随分と賑やかになったもんだ)


 と頬を緩めたりもする。

 そうして悩んでいると、隣からぶくぶくと音が聞こえてきた。見れば、ゴブシの頭がない。


 湯船の底にゴブリンが沈んでいた。のぼせたのか、あるいは寝てしまったようだ。


「……本当に、なんなんだこのゴブリン」


 変なものを拾っちまった、と思いながらディナードはゴブシをすくい上げ、風呂をあとにするのだった。


 そうして部屋に戻った彼を待っていたのは、ベッドの上ではしゃぐティルシアの姿だ。子供がベッドで喜ぶのは無理もない。


 なにしろ、彼が風呂に行く前と今ではベッドの大きさがまるで違うのだ。


(主人め、なんて勘違いしてやがる)


 床でも寝られるよう別の寝具を用意してくれとお願いしたのだが、特大サイズのベッド一つに置き換わっているのだ。


 ティルシアはその上を走り回って楽しげだが、レスティナは手を焼いているようだ。


「あ、ディナードさん。お帰りなさい」

「ゴブリン、綺麗になったぞ」


 ぐったりしたゴブシを、近くの籠に入れておく。主人が用意したものらしい。どうやらゴブリンは荷物として認識されたようだ。


 けれど逞しいそいつは少しすると、スピーと寝息を立て始めた。


「では、寝ましょうか?」


 美しいレスティナに誘われると、ディナードは一瞬戸惑った。けれど、ティルシアが、


「ねる!」


 と勢いよく毛布の中に頭から突っ込んでいくと、彼も一息ついた。

 それから三人並んで一つのベッドに入る。このような経験など一度もなかったため、ディナードはなかなか寝付けなかった。


 そして翌日。

 ディナードはぬくぬくとした暖かさに心地よくなっているが、よくよく考えてみると、そんな高級毛布があった覚えはない。


 ふと目を開けると、そこには大きな妖狐が抱き枕になっている。レスティナは寝ているうちに、人化を解除してしまったのだろう。そして子狐が彼の上に乗っかっている。


(そういえば、妖狐だったな……)


 ディナードはそのことを改めて思い出しながらも、まだ寝ているならこのままでいいか、とふわふわの毛で温まる。そんな彼の耳に、


「ゴブシッ!」


 とくしゃみの音が聞こえてきた。


(あいつに毛布かけるの忘れてたな)


 けれど起き上がるのも面倒くさい。ディナードは、もう一眠りするのだった。

いつもお読みいただきありがとうございます。

入浴中の溺死は年間5000人ほどと多く、その大半は高齢者となっておりますが、お若い方々もこの寒い季節、居眠りにはお気をつけてお入りくださいませ。


また、おかげさまで週間ランキング1位になりました。

ブクマ・評価ありがとうございます。とても嬉しいです。

今後ともよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ