逆さ虹の謎
「暗号が解読できた、ですか?」
気絶から回復した直後、お嬢様から言われた内容をフィオネルはそのまま返した。
楽譜庫の案内魔法が暗号化した事件。棚番号が本来のものではなくなった件について、フィオネルたちは調査を進めていたのだ。
いくつか暗号サンプルを集めたものの、解読についてはサッパリだった。しかし探偵を目指すお嬢様は、執事が気を失っている間に真相にたどり着いたらしい。
謎が解けた興奮に目を輝かせ、フィオネルの主人・アイリーンは言う。
「そう、解けたの。でもまだ仮説の段階なの。実証に付き合ってくれない? フィオネル」
「かしこまりました」
アイリーンの言葉に、フィオネルは恭しく礼をする。こんなに楽しげなお嬢様にお願いされたのだ。うなずかないわけにもいくまい。
彼女が「謎が解けた」と言ったときは、本当に解けたときなのだから――執事として、助手として、フィオネルは立ち上がる。
七色の棚がそびえ立つ、楽譜庫。
そこに仕掛けられた暗号について、アイリーンは言葉を紡ぎ始める。
「まず始めに気になったのは、誤った番号――暗号で振られた棚番号に、どんな法則性があるかだったわ」
魔法で改竄された棚番号の指示は、一見してなんの法則性も見出せなかった。
『橙―1―3』、『赤-2-3』、『青―3-3』。
単体では全く意味のなかった情報に、価値を付け加えたのは楽譜庫の管理人だ。
「暗号の番号だけじゃ、正解には辿り着けなかったの。まあヒントは既に出てたんだけど――そのヒントに気づけたのは、イアンナの証言があったからよ」
「アタシですか?」
アイリーンの視線に、目をぱちくりさせたのはイアンナだ。
楽譜庫の管理人。普段からこの部屋にいるからこそ、楽譜の本来の位置を覚えていた今回のキーパーソン。
彼女が口にしたある証言が、アイリーンの閃きを起こした。
「逆、だったのよ」
『宝石砕き人形』は青の棚にあるはずなのに、黄色の棚に。
『みつばちの行進』は黄色の棚にあるはずなのに、青の棚に。
双方の楽譜の位置が逆になっている、とイアンナは指摘した。
図に書き込んでみると、楽譜の場所は左右で反転している。
まるで何かを軸に、ひっくり返したように。
本来上にかかる虹を、下向きにしたように――。
「楽譜を検索したときに、番号が転写されるメモ用紙。そこに、今回の暗号のヒントになる図が記されていたわ。逆さ虹。本来ここには、楽譜庫のシンボルである七色の虹が『上向きに』出てくるはずなのよね? イアンナ」
「はい。楽譜庫の七色の棚を象徴する、七色の虹です。このメモは楽譜庫のもの、と示すために番号と一緒に出るようにしたものですね」
アイリーンの問いかけに、イアンナはうなずいた。
執事が気絶している間に、お嬢様はそこまで聞き込みをしていたのだ。感心すると同時に、フィオネルはポンと手を打つ。
「そうか、そうすると私が最初に楽譜を探すときに、感じた違和感は」
「おそらくこれでしょうね。いつもは上向きに出てくる虹が、逆向きになっていた――なんて、棚番号だけに注目していたら気づかないでしょう」
アイリーンが最初に「何か変わったことはなかったか」と訊いた際、フィオネルは「あったような、なかったような」と首を傾げた。
あれは、この僅かな違いからくるものだったのだ。正しい図案が手元にない、かつデザインの意味もわからなければ特に気にしもしない。
だから特に記憶に残らなかった。ただ言葉にならない違和感だけが、印象に残っていた――そんな執事に、アイリーンが言う。
「暗号の手法のひとつね。問題の脇に、ヒントとなるデザインや文字を入れておく。人間の世界では『たぬき』というのでしたっけ?」
初歩の初歩ではあるけれども、それ故に分かりやすく、広く使われるもののひとつ。
手がかりを前にしたお嬢様は、「さて」と挑戦的に笑う。
「ここからが本番よ。実際の楽譜の場所を当ててみましょう。フィオネル、『宝石砕き人形』をもう一度探してみて」
「かしこまりました」
今まではただの推論、ここからは実証の始まりだ。
先ほど入力した楽譜の名前を、フィオネルは再度案内板で検索にかける。出てきた番号は『黄―2―1』。先ほどと同じである。
「棚の位置が反転しているのは分かった。けどその後に続く番号は? 私は、そちらも逆になっているのではないかと考えたわ」
『宝石砕き人形』は黄色の棚と表示されるが、本来は青の棚にある。
そう証言したイアンナが指したとおり、フィオネルは青の棚に向かった。棚は上中下の三段に分かれており、そこからさらに左、中央、右の三つに分かれる。
では、『黄―2―1』の逆位置とは――
「『青―2―3』」
アイリーンが告げる番号に、フィオネルは迷わず手をかける。
すると、メモ用紙から金色の光芒が走った。
『正解! 正解! オメデトウゴザイマス‼︎』
「当たった……」
「いいえ。まだよ」
宙を舞う金色の文字群にフィオネルは感嘆の声を上げる。
だがアイリーンは追及の手を緩めない。これまでの曲名と番号を、彼女は次々と述べていく。
「『星々の踊り』、『橙―1―3』は『紫―3―1』。『白鳥の詩』の『赤―2―3』は『黒―2―1』。『みつばちの行進』の『青―3―3』は『黄―1―1』」
アイリーンが指摘するたびに、『正解! セイカイ!』という文字が踊っていく。金の粉が振り撒かれる様子は、魔法も相まって幻想的だ。
ただ最中にいるアイリーンは、憮然とした表情を崩さない。
「暗号を解いても、魔法のイタズラはまだ解かないつもりね……いいわ。こうなったらとことんまでやってあげる」
種は割れたにも関わらず、肝心の案内板への干渉はまだ解けていない。
メモの逆さ虹はそのままで、金文字もどこかこちらを小馬鹿にしたように跳ねている。このままでは解決にならない。
そう判断したアイリーンは、最後の一手を詰める。
「一見、どの楽譜の位置も全部あべこべになったように見えるけど、この配置には致命的な欠陥がある。
ねえイアンナ。『緑―2―2』にある楽譜の名前、覚えていらっしゃる?」
『緑―2―2』。
そこは、この楽譜庫の中である意味、特別な位置だった。
「ああ、そこにある楽譜なら、ひとつ知っています」
なにせ覚えやすい場所ですからね、と言う楽譜庫の管理人の声に、動揺したように金文字がさざめく。
ざわざわと走る金の輝きを振り払って、イアンナは案内板にその曲名を入力した。番号の入ったメモを渡され、フィオネルは棚の間を歩いていく。
「暗号を使っても動かせないところ。この反転移動の軸になったところ。楽譜庫の中心」
アイリーンの一言一言と共に執事は、指定された場所に近づいていく。
『緑―2―2』。
そこは、暗号でも本来の案内板の指示でも変わらない。
真ん中の棚。真ん中の段。
唯一誤魔化しようがなかった、真実の棚。
「私に挑戦した不遜、そして私の執事を馬鹿にした無礼。その報いを受けさせてあげる」
探偵の声と共に、助手はその場所に手をかけた。
暗号の中心にして盲点。
そこにある楽譜は『エルフの魔弾』。
楽譜庫にかけられた謎を、打ち砕くに相応しい曲。
フィオネルが触れた場所から、緑色の閃光がほとばしり――金の文字を粉々にして消えていった。




