音楽目指して奏でる騒音
「何か弾いてちょうだい、フィオネル」
と、主人に言われたフィオネルは、魔王城の楽譜庫にやってきていた。
金の片眼鏡に執事服。今日も今日とてお嬢様のワガママにつきあう執事、フィオネルである。
豪奢な絨毯の先にある黒色の扉は、楽譜庫への入り口だ。魔界にある様々な曲を集めた場所。ここならば彼女の気に入るものも見つかるだろう。
軽く息をついて、扉をノックする。すると「はーい」と返事が聞こえたので、フィオネルは楽譜庫の中に入った。
扉をくぐると、まず目に入ってくるのは重厚な棚、中に収められた楽譜。
そしてこじんまりとした受付と、その中にいる管理人である。
「なんだい、フィオネルかい。悪いけど今日は店じまいだよ。帰っておくれ」
入り口に佇むフィオネルをちらりと見て、赤毛の女性がぶっきらぼうに言った。
楽譜庫の管理人、赤鬼のイアンナだ。バッサリと切ったショートの赤毛に、鍛え上げた腕、不愛想な態度。
どう見ても楽譜庫にいるのが似合わない戦士然とした風貌ではあるが、周囲は彼女の能力を信用して、ここを任せている。
ピンク色のエプロンが、案外と似合っていた。もちろんフィオネルにとっても彼女は顔なじみの相手だ。
いつになく機嫌の悪そうなイアンナに、フィオネルは笑って言う。
「なんだ、ご挨拶だな。こっちはお嬢様に言われて、いくつか楽譜を探しに来ただけなんだが」
「アイリーン様に? そっか……でも、今日はよくないよ。ちょっとトラブルがあって、休館にしようと思ってたとこだったんだ」
「どうしたんだ? 何があったんだ?」
ぼりぼりと気まずそうに頭をかくイアンナに、フィオネルは首を傾げる。
見た限り、特に楽譜庫に異常はない。管理人たる彼女を困らせるならよほどだろうが、今のところ部屋に火の手があがったり、コウモリが飛び交ったりといったようなことはなかった。
むしろフィオネルの主人である魔王の娘が起こしたトラブルの方が、よっぽどである。きょとんとする執事に、半眼でイアンナは言う。
「案内板が壊れちまったんだ。まったく、誰のイタズラか……目的の曲を知らせる表示が、むちゃくちゃになっちまってる」
「そうなのか」
彼女が不機嫌な原因は、どうやら目の前にある案内板の不調らしい。
目的の曲の名前を入れると、棚のどこにあるかを表示する仕組み。棚番号をメモ用紙にも転写してくれる。大量の楽譜があるここでは、目的のものを探すために必要な魔法の品だ。
それが壊れたということは、確かに楽譜庫の管理人にとっては一大事だろう。どうも誰かの仕業らしいが、そこまで追求する余裕はまだないようだ。
事件――と聞いて探偵を志す主人の顔を思い浮かべ、フィオネルは複雑な顔になる。余計なトラブルに首を突っ込みたがるのは、あのお嬢様の最近の悪癖である。
そうなる前に言いつけどおり、楽譜を持って帰りたい。ため息をついてフィオネルは、目当てにしていた曲のうち、ひとつの名前を入力した。
「……ん? なんだ、ちゃんと出るじゃないか」
『赤-1-1』という文字が浮かび上がったメモ用紙を見て、フィオネルが言う。
だが喜ぶフィオネルとは反対に、イアンナの口調はげんなりしたものだった。
「だから、その表示がおかしいんだって。あと……まあ、いいや。出てきた数字のところに行ってごらんよ。そうしたら分かるから」
「? ああ、分かった」
後半の言い淀みが気になったが、言われたとおりフィオネルは楽譜を並べる棚に向かった。
『赤-1-1』とは、赤の棚の上から一段目、一の仕切りの中にある、といった表示である。
メモに浮かび上がった文字をチラチラ確認し、フィオネルは赤く塗られた棚の前にたどり着いた。
「ええと、この中だな」
最上段の一番左。
この仕切りの中に、目的の曲の楽譜がある、はずなのだが――あれ、前に来たとき、ここにあの楽譜があったっけな? と一瞬フィオネルの脳裏に、疑問がかすめた。
その途端。
「――⁉」
フィオネルの手にしたメモ用紙から、突然金色の光が噴き出してくる。
キラキラとした光の粉が舞い上がる。魔法の光だ。蝶の鱗粉がごとき――こちらに害をなすようであれば反撃に出る、とフィオネルは身構えるが、光の粉は彼を無視して宙にのぼった。
渦を巻く大量の金の粉は、いっそ幻想的ですらある。
思わず息を呑むくらいに。素晴らしい大魔法の予感にフィオネルが震えれば――それとは裏腹に。
光の粉が集まって表示された文字は、ひどく単純なものだった。
『バーーーーカ!』
「……は?」
美しい金粉で作られた目の前の文字に、フィオネルはあっけに取られる。
眉をしかめる彼の前で、金の文字はさらに言葉を紡いだ。
『バーカバーカ、外れ外れ! ここの楽譜は違うものでーす! まんまと引っかかったなバーーーーカ‼』
「……」
イタズラ。
イアンナがそう言った意味が、今さらながらフィオネルにも分かった。
確かにこれは、楽譜庫を休館させてでも復旧しなければならないだろう。
それほどの一大事だ。違う場所を表示して、たどり着かなければ捜索者を罵倒する案内板など管理人の沽券にかかわる。
というか。
「……イアンナ」
「なんだよフィオネル。だから言ったろ、表示が変なことになってるんだって」
「……この場にある楽譜を全部切り刻んで一からつなぎ直せば、解決したことにはならないか?」
「だからって力技で切り抜けようとするんじゃないよ、このジェノサイド執事が‼」
未だに『バーカバーカ!』と嘲笑するように踊る金の文字を見ていると切れそうになる。
怒り心頭で風の魔法を発動させようとするフィオネルを、イアンナが必死になって止めた。
そしてこの騒ぎにより――楽譜庫の異変はお嬢様の耳に入ることになる。




