悪魔たちの謀略
闇に浮かび上がる円卓にいくつもの影が集まっていた。
人と呼ぶには歪なものから、人に似た姿の影まで。
当たり前だ。
彼らは人ではないのだから。
この魔界の覇権を握る種族。魔の頂点。
彼らは悪魔と呼ばれている。
「全く、陛下のお戯れには困ったものだ」
「人間に玩具を与えて愛玩なさってるとか」
「ベルゼビュート公爵はなにをしておるのだ!」
「落ち着いてください、ベリアル候。ベルゼビュート公は昔から陛下のなさることには甘いのだ。何しろ陛下とは縁戚にあるのですから」
悪魔たちは魔界に人間がいる事が気に入らない。
いや、彼らが魔王の庇護下でのうのうと生きていることが我慢ならない。
彼らは魔界の頂点たる種族だ。
人間など羽虫にすぎない。
近づかない限り無視してもいいぐらいだ。
だが、ある一点だけは無視できない。
「何故馳走が固まっているのに我慢せねばならない? 陛下は本当に何を考えてらっしゃるのだ」
人間の魂を悪魔は食らう。
だが、それは食料としてではない。
甘い甘い甘露のようなもの。
つまり、嗜好品なのだ。
ひと齧りすれば、極上の幸せを感じられる。
特に、強い恐怖を刻まれた魂の味は――。
「魔法使いと名乗る奴らは良い。供物を差し出し、身の程をわきまえている」
「ああ、そうだ! 奴らの差し出す人間の魂は極上の味であった!」
「ですが、開拓者? でしたっけあの連中は気に入りませんね」
「左様、恐れも知らず我らの大地を汚す、大それた輩だ」
それが魔王の直轄地であろうと、彼らには関係ない。
魔界を、悪魔を恐れぬ人間が闊歩していることに我慢がならない。
そう、理屈ではないのだ。
「陛下の婚約者、ルキリアス嬢もかの地で見かけたといううわさも聞きます」
「なんということだ。王家には我らの想いを汲んでくれる方はいらっしゃらないのか」
ぼそぼそと紡がれる声はだんだんと怪しさを帯びて、熱を増す。
「あの方は我らの王に相応しくないかもしれん……」
「だが、どうするというのだ! 一番王位に近いのはベルゼビュート公の血筋だが、あやつは王の肩ばかり持つ!」
「だが、王の心を変える事は出来ぬだろう……ならば……」
「いや、待てよ? たしか王には弟君がいらしたはずだ!」
その声に困惑のざわめきが広がっていた。
魔王は先代魔王の一粒種として大切に育てられたはずだ。
側室を持ったこともない。
つまり魔王には弟などいないはずだ。
「うわさで聞いたことがある。王は双子として生まれ落ちたという……」
ざわめきの中から小さな悲鳴が上がる。
悪魔の中では双子は忌まわしい存在だ。
同じ体内で育った二人の赤子は魔力を食い合い、生まれ落ちる。
赤子の魔力は常に不安定な物となる。
何かのきっかけに爆発的に魔力が周囲に襲い掛かるかもしれない。
故にどちらかを生まれた時に間引かなければならない。
どちらかが消えれば、魔力は安定する。
「陛下は未だにルキリアス嬢と結婚されてはいない。何か問題があるのだ、きっと……」
「それが、陛下の魔力に問題があることに結びつくのか?」
「考えてもみろ! 陛下の世継ぎはまだいらっしゃらないのだ。成婚を急ぐのが普通だろう!」
「つまり、陛下は双子で生まれたが、双子の弟は殺されずに生きている、と?」
だが、生まれた時には殺されているはずだ。
遺された赤子の魔力の安定の為に。
それが殺されずに生き延びている可能性など、あるのだろうか?
「王は魔力の純度が高い。我らが束になっても恐らく敵わないほどに。ならばその魔力を食らい合って生まれた赤子は誰の手にも負えなかったのではないか?」
傷一つつけられない赤子。
殺すことができないのならば、生かすしかない。
監視の行き届く場所で飼殺すだろう。
不自由な生活を強いられる、王と瓜二つのまだ見ぬ男の姿を誰もが思い浮かべた。
王家に虐げられ、歴史の闇に葬り去られた王子。
それはきっと――。
「さぞかし、王家を恨んでいる事でしょうなぁ」
「陛下を殺したいほどに……」
「魔力を食らい合って生まれた赤子ならば、陛下と戦っても遜色ない。いや、勝る可能性すら……!」
探さねばならない。
王家に隠された、王の弟を。
方針が決まれば、次は王家がどこに大切な汚点を隠すかということだ。
「近くにいることはあるまい」
「ああ。いつ叛意を起こすともわからんからな。恐らく辺境の地に移されている事だろう」
「ああ、辺境のお話なら興味深い話があります。辺境の地で陛下をお見かけしたと。どこぞの辺境貴族が権威を高める為に流した噂だと思いましたが」
「その地はどこだ! 調査する!」
広げられた地図を辿る指が差すのは、魔界の中でも辺境の地。
魔王の直轄地として人間に開放された領地の隣であった。
「かの地に送られた? ああ、辺境でいて王の目の行き届く場所だな。なるほど、人間どもに王が力を与えているのは、弟君への牽制のためか。それとも飴のつもりか……なんにせよ、お迎えに上がらねば」
今の魔王を廃し、新たな王を立てる為に。
悪魔たちの計画は始まりつつあった。
「なあ、ベルゼビュート。人間に魔獣を操る術を授けた。そろそろ不穏分子が動き出すと思うんだが」
魔王は隣に佇む壮年の男に問いかける。
その間も目の前の書類に決裁の判を押していく。
却下の書類は弾かれ、部屋の隅の籠にふわりと重なり合っていた。
「開拓地に手駒を送り込むでしょうな。魔法使いに新たな力を授ける為に。まあ、ろくでもない力でしょうが」
「ああ、食いついてもらわないと困る。せっかく派手に餌を匂わせたんだ。大物であってほしいもんだ。そうじゃないとつまらん」
「陛下」
咎めるようなベルゼビュートの言葉に、魔王は笑う。
臣下は王に仕えるもの。
ましてやずっと傍に控える腹心であればなおさらだ。
「愚息は……愚息は家を飛び出してもう何年も経っております。政争争いにお使いになるのは……」
「俺と瓜二つの顔をしてるんだ。野に放っても誰かの道具になるだけだろ。それか、争う中全て更地にしてしまうか。知っているぞ、ベルゼビュートの赤き悪魔を」
「お戯れを。愚息はもはや赤き悪魔にはなりませぬ。少なくとも封印が効いているうちは。そして何者かの悪意を受けぬ限りは」
「確かにな。あいつの悪意感知能力は大したもんだ。過剰反応とも言える。だが、封印の鍵は肝心の本人の手の中だろ。まあ、俺としてもあの地を更地にされては困る。自制させる為にルキもランドルも送り込んでるんだ。あいつは仲の良い奴は上手に避けるからな。俺など、傷一つつかない」
その時のことを思い出したのか、くつくつと魔王は笑い声を漏らした。
決裁の判を押す手は、止まっていた。
「それどころか俺には恩恵しかないんだからな。お前の息子でなければ王家に迎え入れていたところだ。それこそ、弟としてな」
彼を指して双子の弟と嘯いた時のことを思い出してか、具体的な話だった。
ベルゼビュートは小さく息を呑んだ。
「何をおっしゃいますか。愚息は元を辿れば親も知れぬ孤児でございます」
震える声でベルゼビュートは事実を告げた。
話題に上がっている男は本来、野に埋もれるだけの存在だったと強調する。
しかし――。
「お前が拾った。ベルゼビュートの名を与えた。ならば臣下として俺の役に立ってもらうのは当然だろ?」
反論はなかった。
だがベルゼビュートは深いため息をついて、一言何とか述べたのだった。
「陛下。私は愚息には平穏な暮らしを送ってほしいのです」
「ああ、今平穏な暮らしを送ってもらってるだろ。今後は荒れるだろうが」
無情な魔王の呟きに、やはりベルゼビュートはため息を吐くしかなかった。
「へっくしょん!」
片桐悠介は盛大にくしゃみをした。
場所は応接室、時間は深夜。ランドルと悠介以外は寝静まった頃合いであった。
「父が俺の話をしている気がする!」
「まあ、確かに親バカ……もとい子煩悩な方だったな」
「ろくでもない話じゃないといいけど」
テーブルに資料を広げたまま、会話を繰り広げた。
話題はそれで片づけて、二人は本来の仕事に集中する。
新たな仕事が舞い込んできたのだ。
資料には、『魔獣の異常な集団行動について』と見出しが書かれていた。




