ノモンハン
C案、すなわち英仏寄り中立が選択された。
――1939年5月12日、情報局、スーツ、高田あき
モンゴル軍と満洲国軍の衝突をうけて、ソ連の前線部隊と国境師団が、ハルハ川で衝突。もちろんソ連部隊は壊滅。去年の張鼓峰ではそこで終わったのに今度は、軍レベルの部隊を集結させてきた。要注意。最初からデジタル化された部隊が対応してほぼ何もさせずに殲滅したのがまずかったらしい。威信を下げないためにソ連が勝利するまで絶対終わらないの? そういうメンタリティ?
――1939年6月12日、情報局、スーツ、高田あき
ソ3万、日1万5000の衝突。火力で殲滅したみたい。
――1939年8月3日、情報局、スーツ、高田あき
ソ連がモンゴルに大兵力集結させてる。これほんとに勝つまでやるやつじゃん。さすがにあぶないから参謀本部に伝えとくか。どうにかするでしょ。アインシュタインの手紙が大統領に届いた。危険だな。先行はしてるけど油断してると追いつかれるよね。
――1939年8月12日、関東軍司令部、従軍服、高田あき
参謀本部から要請があって、帯域足りないから現地で分析してくれっていわれた。怪しいので参謀本部と関東軍のやり取りのログをのぞいて見ると、要は言うこと聞かない子に、高田さんに怒られますよをやってほしいらしい。おかしいでしょ。参謀本部の言うこと聞かないのがなんで外部の女のいうこと聞くのよ。陸軍の統制どうなってるの。それにポーランド侵攻はじまるよ? どうせ何にもしないんだからいいだろって? まあ一応そうだけどさ。英仏との調整はデリケートなんだよ。
現地で挨拶してるうちにちょっと様子がわかってきた。参謀部1課(作戦担当)の10人ぐらいがしきってる。司令官や参謀長、情報部門に兵站部門はみんなかやの外。あからさまに女が何しに来たって顔してるのもいるな。高等研究計画局っていわれると見学にしか見えんよね。一応デジタル化はされてるけど、彼らはアナログでやってる。人事異動よりデジタル化の進行が早いから、現場や中央のデジタル運用を見てない人もいるのかも。師団より上の司令部にも注意が必要だね。軍は省略可能かもしれない。
戦力は数だけみるとソ7万、日2万。向こうは戦車優位、こちらは航空優位。新設とはいえデジタル師団だから、実体はこちらのほうが強力。とはいえ、数で大負けしてるし、戦車にも最低限の注意は必要。歩兵で対抗できるけど、突然来られると危ないから、常時位置を監視する必要がある。こちらには戦車なんかないよ。そんなもの作るくらいなら工作機械作るから。
これをこのまま包囲殲滅しても終わらない気がする。ヨーロッパで大戦が始まるのに、こんなとこで小競り合いしてられないから参謀部1課に乗り込んでみた。
「あんな誰も名前もしらなかったような、たかだか標高差数十メートル、対岸より低いところにある小山はどうでもいいから、冬になる前にさっさと引きましょう」
「高田、貴様何をいうとるか、防衛の責任をなんと心得る。女でなければ殴り倒しておるところだ」
「辻少佐、礼を保ちたまえ。高田参議も少し押さえていただけませんか」
参謀長が間にはいってくれた。でももう一発かましとくか。
「防衛責任というのは、なんでもかんでも死守することではないですよ。こちらの資源消費によって戦力増強が遅れることのほうが、敵の一つの戦力を数%けずることよりはるかに影響が大きいんです」
「貴様、まだいうか」
軍刀に手がかかってる。参謀長の顔が青い。
――1939年8月15日、第14師団司令部、従軍服、高田あき
しょうがないから、兵器運用の見学ってことにして、予定にはなかったんだけど師団司令部まで来たよ。草原だ。前線まではまだだいぶ距離があるけれど、総理とか参謀本部とかにばれたらそうとう文句言われそう。兵器の評判がいいから、参謀連中より現場のほうが受けがいい。
「師団長閣下、現状はいかがお考えですか?」
「高田参議、戦力差は莫大ですが、防衛は十分できると思います。ハルハ河東岸の土地は一寸たりともソ連の手にはわたしません」
「それはすばらしいですが、川岸で戦うといかにも不利です。当面は敵正面兵力の包囲を優先されてはいかがでしょうか。いったん引いて火力で制圧すれば30%程度の戦力を軽微な損害で包囲できるというシミュレーション結果がでております」
「話としてはわかりますが、高地の重要性もありますし、なかなか引く命令はだせません。関東軍の方針はどうですか。辻少佐はどういってます?」
話はできるけれど硬直してる。高地はあんまり重要じゃないよ。
小規模な攻勢を多方面で受けてる。撃ってくる砲はつぶす。入ってくる飛行機は全部落とす。対砲兵レーダーがあるから、砲兵にとっては標高差の影響はない。敵の砲の平均生存期間30分程度。もう少し減らしたいけれど、手動照準だし野戦重砲連隊といえど砲はデジタル化以前の製品で精度低いので、限界はある。少しずつ被害がたまってるね。もう少し引けば被害が減るのにって言ってたら。関東軍にバレない範囲でちょっと引いてみてくれた。なんとかなるかな?
――1939年8月18日、関東軍司令部、従軍服、高田あき
主力の侵攻が近いので、さすがに危ないから関東軍司令部まで戻ってきた。参謀部1課に手綱をつける必要があるしね。中央にいって、明示的に引けっていう命令をだしてもらった。関東軍参謀はあんまり納得してないけど、師団の方は、理解が進んでいる。
――1939年8月20日、関東軍司令部、従軍服、高田あき
攻勢開始。ほんとにきたよ。本気? 飛行機も砲もないのに7万でどうにかなるわけないじゃん。
来る場所がわかってて歩兵でつぶせる戦車に意味なんかないよ。前線指揮官は砲や飛行機で首刈りしてるからわけがわからないのはあると思うけどさ。第14師団がうまく包囲してくれた。無事終了。
――1939年8月23日、関東軍司令部、従軍服、高田あき
独ソ不可侵条約がやっと発表された。参謀たちもこれでちょっとはこっちの言うことを聞く気になったみたい。ソ連はまだくるよ。どんだけきてもおんなじなんだけどな。
これをみなごろしにするとほんとに終わらなくなるから、意図的に包囲せず。ソ連主張の国境ラインまで後退。そこから出てきたのをちょっと叩いて終了。これでクレムリンには勝ちの報告がいくでしょ。
――1939年9月3日深夜、関東軍司令部、従軍服、高田あき
新京で情報局業務。1日にポーランド侵攻が始まって、今日英仏が独に宣戦布告。方針どおり中立、英仏に中立の範囲での援助を申し入れ、受け入れられる。この瞬間ソ連の敵は味方だしね。スパイの成果ってことで相当規模の情報提供する。出先だから、微調整は外務省にお任せした。だいじょうぶだよね。お願い。
――1939年9月12日、情報局、スーツ、高田あき
帰ってきたよ。コードとグラフで話のできる人の多いところは楽だ。満州のごはんも美味しかったけれど、スイーツとかは東京だね。
やっとノモンハン停戦。まあソ連のポーランド侵攻のためだね。こちらは何も要求してないのにヘイトだけ上がった。うん領土はゆずったよ。それが何? 調子にのる? まあそうかもね。でも恐怖を感じられるとさらに危険。こちらの損害は数千、損害比率10対1はまずい。20対1は必要。まあ、意図的に敵の損害出さないようにしてるせいはあるけれど。それから野戦重砲連隊や偵察機で5台ほど端末の損害がでた。全部回収できたし、この数自体は人的被害や事故による端末の喪失にくらべれば微々たるものだけれど、紛争の規模を考えれば要注意だね。
英仏はエニグマ解読も疑ってるけど確信はないらしい。ノモンハンの状況にも関心がいってるけど、ソ連は情報出してない、というかクレムリンの理解はきっと現実と乖離してる。
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第2次世界大戦が始まりました。
日中戦争が始まっていないので、ノモンハンは第14師団の正面になっています。




