サアシャ ③
「ねえ、サアシャ。貴女、最近、リマンド侯爵家へ出入りしてるって本当なの?」
同じマルシェで肉を取り扱っている店の娘、アリーが声を掛けて来た。
セルロスさんのことだよね、たぶん。アリーが私に用事がある時は大抵の男絡み。
「そうよ」
アリーは私とは違い、どちかと言えば儚いとか、大人しいとか、儚げとか言われるタイプ。身体つきもグラマラスな私とは対照的で小柄で細っそりとしている。まあ、はっきり言えば、痩せて胸が無いだけなんだけど。奥歯にものの詰まったような話し方をする、私が最も苦手な人物。
儚いとか言っても、リマンド侯爵家で見たお姫様と比べたら、月と鼈、宝石と石ころくらいの差よね。あんなに美しいお姫様に仕えてるセルロスさんが、儚いを売りにしてる貴女に靡くはずがないんだけど、わかってる?
「実は、私もリマンド侯爵家には、お父さんに付いて何度か行ったことがあるの」
だから、何?
「そう」
気のない返事で返せば、少し傷付いたような表情になる。
あーもう、本当鬱陶しい!言いたいことがあるなら、さっさと言えばいいのに!
「ねえ、もしかして、サアシャもセルロスさんに会った?」
ああ、案の定、セルロスさんについて、探りを入れに来たって訳ね。まあ、彼女の家が卸しているのは肉だから、そう、しょっちゅう彼女がリマンド侯爵家を訪れる訳じゃないもんね。父親にたまに付いていくくらいだろうな。
「うん、会ったよ、この前は二人きりでお話もしたわ」
嘘は言ってない。迷子のフリをして、馬車まで送って貰ったときは二人きりだった。
アリーは一瞬、悲しそうに顔を歪ませる。
「そっか、サアシャもセルロスさんに会ったんだ…。サアシャはセルロスさんのことどう思ってる?私は、セルロスさんのことが好きなの。もし、サアシャさえ良ければ…私のこと、応援して欲しいな」
相変わらず底意地が悪い、相手が断り難い言い方で、最も嫌な内容を頼んでくるんだから。これだから、あんたは女の子の友達ができないのよ。
「ごめん、それは出来ないわ。私もセルロスさんのこといいなって思ってるから」
アリーは酷く驚いた顔をしてこちらを見る。
「え?サアシャは冒険者のルマンドのこと格好いいって言ってたじゃない。あれは、嘘だったの?」
あんたはその冒険者のこと好きかも、って言ってたわよね?
「確かに、格好いいとは言ったわよ。でも、誰かさんみたいに好きとは言ってないわ。私の格好いいは、一般論よ。綺麗な花を見て、綺麗って言ってるのと同じ。私の好きなタイプはセルロスさんよ」
「そうなの?ごめんなさい。私、そうとは知らずに彼にサアシャが貴方のこと好きみたいだって、言ってしまったわ。とんだお節介だったわね」
言いたいことだけ言うと、アリーはさっさと帰って行った。
全くだわ。多方、お父さんに私がセルロスさんと結婚したがってるとか聞いたから、ルマンドに私が彼に気があるとでも言ったんでしょう。本当、小賢しい。
アリーは肉屋の娘だから、冒険者との付き合いがある。冒険者のルマンドとコンタクトを取るのは容易だ。それに、彼女、冒険者達には人気があるみたいなのよね。庇護欲を唆るって、中身は計算高い嫌な女なのに。まっ、私も人の事言えないけど。
はあ、ルマンドのことは後から考えればいいか。
あれから、リマンド侯爵家への配達の度に、セルロスさんを探して敷地内を彷徨き、セルロスさんを見つけると迷子になったと言って馬車まで送って貰う。その道すがら、一所懸命アピールしてるけど中々靡いてくれない。
「セルロスさんは、どんな女の人がタイプ何ですか?」
って食い下がっても。
「私のことは放って置いて下さい。それより、何度敷地内を彷徨かないように、と申し上げればわかって頂けますか?」
最近では、盛大な溜息を吐かれる始末。でも、なんだかんだ言って、サアシャが馬車に乗り込むまで付き合ってくれるから、全く脈が無いってわけでもないと思うんだよね。
今日もいつものように厨房へ野菜を卸した後、セルロスさんを探してリマンド侯爵家の敷地内を散策する。今日に限って、セルロスさんに中々会えない。まあ、他の使用人にも会わないから、屋敷内に足を踏み入れた。
サアシャが足を踏み入れた館内は、長い廊下が続いていた。その先にセルロスの姿が見えたが、彼はドアを開けて、隣の部屋へ入って行ってしまった。慌ててサアシャはその後を追いかける。
セルロスさんが入って行った扉を開け、その中へサアシャが入ろうとすると、背後から呼び止められた。
「ちょっと、貴女、どうしてこんな所にいるの?」
声のする方を見ると、サリーという名の侍女様と、もう一人、引っ詰め髪の地味な顔立ちの侍女の姿があった。
「ごめんなさい。道に迷ってしまって!」
あちゃー、侍女様にみつかっちゃったよ。
「道に迷ったって、貴女、野菜売りよね?屋敷に入る必要はないでしょう?キッチンの裏口に商品を納品して帰るだけじゃない?」
美人な侍女のサリーさんにきつく問い詰められる。
「そうなんですけどぉ、ちょっと、どうなってるのかなぁって、興味が湧いて、少し足を伸ばしたらぁ、帰れなくなってしまって」
わー、かなり怒ってるよ。
サアシャは誤魔化すように、愛想笑いを浮かべる。
「わかりました。では、道に迷われないように貴方の店までお送り致しますわ」
逆らう訳にも行かず、侍女様に言われるがまま、馬車に乗り込みマルシェを目指す。
「どうせ送って貰うなら、侍女様より執事さんが良かったなぁ」
やっばーっ、本音が漏れちゃったよ。あーもう、この際だから色々聞いちゃおう。
「ねえ、執事のセルロスさん、貴族じゃないんですよねぇ?どんな女性が好みか知ってますか?」
サリーさんは答えてくれるが、ツンツンしていてとっつき辛い。
「貴女と真逆のしっかりとした女性がお好きみたいですよ」
「ふーん、そぉーなんだぁ。でも、女の子はぁ、やっぱり可愛い方が好まれると思うんだけどなァ。侍女さん達みたいにツンツンして、怖そうな人じゃなくて、こう、私みたいに守ってあげたい。みたいな?女の子の方が好きって人、多いんじゃないかなぁ。だから、セルロスさんも、ね?」
この侍女様、とっても美人さんなのに勿体ないなぁ。こんなに刺々しいから、結婚出来ずに未だ侍女をしてるのかな?侍女って、結婚相手を探して居る貴族の娘がするものでしょう。後、未亡人もだったっけ。
「そうですか」
とだけ返事が返ってくる。
本当、無愛想ね。
「だから、侍女のお姉さん達も笑顔でいた方がもてますよ?私、市場ではマドンナなんですから、この前も、お嫁に来ないかって言われたんですぅ!」
マルシェに着き、うちのスペースの後に馬車を停めると、お父さんがビックリした様子でこっちを見た。
そりゃぁ、そうだよね。いきなり、侍女様と帰ってきたんだもん。
「サアシャ、どうして侍女様と一緒に帰って来たんだい?」
「道に迷わないように送って下さったのよ!」
面倒なので侍女様の言葉通りお父さんに伝えると、お父さんは訝しげに尋ねてくる。
「侯爵家から、ここまでの道をかい?」
「娘を送って下さりありがとうございます。で、いったいどのような御用件でございましょうか?」
侍女のサリーは依然、笑顔を崩さず敢えてゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。
「あまりにも迷子になる者を配達に寄越さないでほしと、再三申し渡した筈ですが?」
あはは、お父さんにばれちゃたな。
「真逆、娘が迷子になるとは、何かの間違いではございませんか?」
「これを間違いと言うならば、立派な不法侵入ですが」
侍女のしっかりと通る声は市場にいる客の足を止め、注目を集めるのに充分だった。リマンド侯爵家の侍女と一目でわかるお仕着。それを着た女性が言い放った『不法侵入』という物騒な言葉。
「不法侵入だなんて、娘は野菜を配達に行っただけですよ」
本当だよ。お父さんの言う通り、私は悪気があるわけないし、勿論、スパイでもない!
「再三、建物の中に入らないように注意しました。契約では、従者用の入口から入り、厨房の入口をノックして調理場の者に野菜を渡し、そのまま、他に立ち寄らず帰るというものです。覚えていますか?」
「はい、ですが、その」
青い顔をしながら、なんとも歯切れの悪い返事を返す、父さん。
「其方のお嬢さんは、道に迷ったと言っては庭園へ立ち入り、屋敷内をうろつき、まるでスパイのような行動をしています。再三、注意申し上げても、道に迷ったと…。それ程、道に迷われる方にリマンド侯爵家の注文を任せる訳にはいきませんので、本日は、契約の打ち切りにまいりました」
打ち切りという言葉に、店主はビックと身体を振るわせる。それを興味深々に眺める往来の人々。
「スパイだなんて、酷いです。少し興味が湧いて、ちょっと建物の中に入っただけじゃ無いですか!別に、悪いことをしようとか思ったわけじゃないですし。ただ、セルロスさんを見れたらいいなって、思っただけなのに、それが、そんなに悪いことなんですか?」
サアシャは目に涙を溜めて、周りの同情を買う。マルシェはサアシャのテリトリーだ。日頃から、サアシャはマルシェの皆に可愛がられている。
「立ち入り禁止の場所には、入ってはならないということを知らないのですか?それもわからないくらい頭が弱いのでしょうか?リマンド侯爵家は宰相閣下のご自宅です。いつ何時、閣下や上皇陛下がいらっしゃるかわかりません。また、外国からのお客様も多数いらっしゃいます。その中、貴女がウロウロして鉢合わせることになれば、不敬罪に問われたり、更には、国際問題に発展する恐れもあるのですよ」
サリーの言葉にビクっとサアシャの涙が引っ込んだ。
「そ、そんなの聞いてない!」
国際問題とか、大変じゃない!私はどうなるの?最悪死刑とか?
「取引は中止で」
侍女の冷たい声が響く。
「いや、ま、待って下さい。そんなことされたら、潰れてしまいます」
「では、今後一切のお嬢さんのリマンド侯爵家への立ち入りを禁止します。一度でも来たら、今度こそ取引中止致します。宜しいですね」
有無を言わせない侍女の言葉に、辺りは静まり返る。
「わかりました」
「では、後日、配達にいらっしゃった時に正式な書面での契約を致しましょう」
書面での契約って、それ破ったら牢屋行きのやつじゃない!




