戦後と戦前
「ひとり残しましょう」
「え」
「わかった。待ってろ」
ヘイゼルの言葉に俺は困惑するけれども、ティカ隊長はすぐに意図を察したようだ。
「よーしよし、良い子だ」
衛兵隊長は近くにいた馬の背に負傷兵を手早く縛り付けて、こちらに連れてくる。歩兵部隊の指揮官なのか、年配の男は怯え切っているが抵抗の意思はない。
サラセン装甲車の鼻先で、俺とヘイゼルが男を見下ろす。
「伝言を伝えなさい。“ゲミュートリッヒに敵意を向ける者は、必ず報いを受ける”と」
「……そんなもの、受け容れるとでも」
「そちらの都合は知りません。事実を教えてあげただけです」
ヘイゼルの視線に頷くと、彼女はボーイズ対戦車ライフルを抱えて王国側に構えた。ドゴンと凄まじい銃声が響いて、どこか遠くで着弾する金属音が上がった。
「今度は仕留められましたよ」
銀髪のゴスロリメイドは、そう言って満足そうに笑う。俺には見えんけれども、装甲馬車の“なかのひと”にヒットしたようだ。
這々の体で逃げて行く伝令役兵士を見送ると、エルフたちが手分けして馬を集めてきてくれた。
なかには逃げてしまったのもあって、確保できたのは九頭。エルフたちには、そのまま乗って町まで戻ってもらう。四人でも引いていけるように、手早く手綱を連結してくれた。
その間に、俺はサラセンを敵が曲がってきた角まで前進させる。物資集積でもあればという貧乏性もあったが、歩兵を積んできた馬車のなかには予備の武器と盾、水樽程度しか積まれていなかった。
「御者は逃げたのかな?」
「道にいくつか血の跡がありますね。食われたんじゃないでしょうか」
なんにしろ、用済みだ。馬車はヘイゼルに収納で預かってもらい、馬はエルフたちに頼む。
「悪い、こっちも頼めるかな」
「かまわんぞ、どれも良い馬だ。あんな奴らに使役されていたとは思えんほど、素直で賢い」
二頭立ての三輌分で大型の牽引馬が六頭、騎兵用の馬と合わせて計十五頭の大所帯だ。これでゲミュートリッヒの馬不足も解消できそう。
「それじゃ、先に行く」
「ありがとう、助かるよ」
「いいさ、俺たちは何の役にも立たなかったからな」
「とんでもありません。切り札の価値は、使わずに済ませられてこそです。いざというとき脇を抜かれない自信がなければ、強気の交渉などできませんでした」
真顔で伝えられたヘイゼルの言葉に、エルフたちも笑顔で手を振る。
実際、俺とヘイゼルだけじゃ不安があったからな。ドワーフのマドフ爺ちゃんとコーエルさんも出番なしだったけど、それは単に幸運だっただけだ。
「ミーチャ、そろそろ行かんと拙いぞ」
「そうだな」
狭い道でサラセンの巨体をターンさせるのに手間取っているうちに、ザワザワする音がどんどん近付いてきていた。
飛び出してきたブッシュビータの群れは、倒れたままの王国兵たちを一瞬で覆い尽くす。まるで鼠色の濁流だ。エーデルバーデンではファングラットと呼ばれていた、牙を生やした麻痺毒持ちのネズミ。あんなもんに生きたまま喰われるなんてのは、嫌な死に方ランキングのなかでもトップクラスだ。
「た……たす、け……」
「あああああぁ……!」
走る車輌の背後から、くぐもった悲鳴が聞こえて、すぐに静かになる。
たぶん、この道で殺した魔物も、あいつらの養分になったんだろうな。サラセンを走らせながら、俺はふと気になってティカ隊長に尋ねる。
「あのネズミ、町に入ってきたりしないのか?」
「そりゃ、するさ。外壁には魔物が嫌う樹脂を塗っているし、内側には水堀もあるがな。完全じゃない」
「あの群れが追ってきたら、どうする? ここで片付ける必要があるなら……」
「いや。町に入ってくるのは迷い込んだ個体くらいだな。それくらいなら、あたしたちで始末できる」
「群れは来ない? なんで?」
「さあな。あいつらにとっては、草むらのなかにいた方が餌にありつけるんだろう」
そんなもんか。まあ、ネズミの話はいいや。それよりも考えるべきことはありそうだ。ティカ隊長がなにやら考え込んでいる様子なのは、報復があるかどうかだ。
「王国軍は、あれで諦めると思うか?」
「まあ、あたしなら諦めるな。こんな魔物だらけの藪道を延々と抜けなくちゃいけない、となると大きな戦力を集中して一気に突破殲滅を図るしかないんだが……ゲミュートリッヒには、そこまでして勝っても得られるものがない。あまり長引くとアイルヘルン本隊からも目を付けられる。王国にとってもそれは得策じゃない。まともな頭なら同じ結論に至る」
今回の敗戦で無意味な死を反省して退いてくれると助かるんだけどな。ほのかな期待を抱いている俺を見て、ドワーフの美少女隊長は笑った。
「……けどな、そんなわきゃねーんだよ。王国貴族の面子の問題なら、善悪も損得も関係ない。賭けても良いぜ。あいつらは、こちらを滅ぼすまで止まらんよ」
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