ナッシング・カムズ・オブ・ナッシング
ちょっと後で直すかも
アクアーニアを発った俺たちは、ゲミュートリッヒから来たクネクネ道をたどりながら、途中で湖の外周に沿って西へ。湖の対岸である西側に入ったところで南に折れ、街道を王都近くまで二百数十キロ南下する。
「案外、悪くないペースだな」
「ミーチャさん、運転にも慣れてきたみたいですね」
初めて運転する装軌車輛だけれども、ただ定速で走らせるだけならばそれほど難しいことでもない。加速や減速はまだ慣れないし、ギアチェンジもギクシャクしてる。戦闘機動となると完全にお手上げだが、戦闘が起きたところで相手が戦闘車両ではないのだから問題はないと割り切る。
それよりも、最大の敵は天候になりそうだ。
「前が見えん……」
戦闘車輛の操縦手は、戦闘のないときにはハッチから顔を出して運転するらしいんだけれども。いま外は暴風雨が吹き荒れているのでハッチを閉じて、視界は郵便受けの差し込み口みたいな覗き窓から見るしかない。これが湿気と水滴で歪んで曇り、最低限の視覚しか得られないのだ。
「砲塔側もですが、問題ありませんよ。こんなときに出歩いている民間人はいません」
「轢き殺す心配という意味ではそうだけれどもな」
ピギィ、みたいな悲鳴が連続して上がって、そのまま後ろに遠ざかってゆく。おい、なんか轢いたか轢きかけたかしたぞ。
「いまの、なに?」
「見えませんでしたが、ドラゴノボアの群れでしょうか。民間人でないのであれば、些事です」
いくつもの命を犠牲にして、俺たちは王都へと装甲車を走らせる。
こんな大雨のなか、滅びかけの都で略奪を行うためだけに何十キロも移動してくる軍勢があるとは思えないんだが。急いでいるわけではないが、のんびりする気にもならない。車長席で英国的悪夢の使者が猛り立っているせいか、どうにも背中が落ち着かない。
「ヘイゼル、道はこのままでいいのか?」
「問題ありません。ナビゲーションはお任せください」
たぶん彼女の頭には地図も地形も入っている、もしくは周辺の地形をリアルタイムでスキャンできているようだ。前にも観測砲撃用に、光るパネルで等高線と升目が入った地図を展開させてたからな。そこは心配していない。
心配なのは、日暮れまでに王都までたどり着けるかだ。さすがに夜の知らない土地を視界の利かない装甲車で走り回るのは不安しかない。
「前方、並んだ岩の左右で三差路になってますので、右方向にお願いします」
「了解」
並んだ岩は視認できたけど、同時にちょっと気になるものも見えた。馬車の残骸と、うずくまった姿勢の王国軍兵士らしき……たぶん死体。十数人が力尽きたときの姿勢のまま置き去りにされている。ゴブリンあたりに食い散らかされたのだろう。周囲にはバラバラの残骸が散乱していた。
「――“戦争の終わりを見たのは、死者だけ”」
静かな声でヘイゼルが言う。たしか、古代ギリシャの哲学者プラトンの言葉だ。世に争いは絶えず、殺し合いは永遠に続く。その終焉を知る者は、戦いのなかで斃れた者たちだけだと。
「終わらせることができれば、いいんだけどな」
沈黙を埋め合わせるためだけに発した自分の言葉は、ひどく安っぽく空虚に響いた。そんなことはあり得ないって思い知っているくせに。その結果として王都に向かっているというのに。
◇ ◇
ラングナス公爵家が所有する別邸の貴賓室で、白い服の僧兵ミルドランと黒い甲冑のルコアが向き合っていた。テーブルの上には食いかけの肉とパン、床には空になった酒瓶が転がる。かつて美しく整えられていた部屋は乱雑に扱われて散らかり、調度品も薄汚れて埃をかぶっていた。
公爵の死と王都の陥落で、領地を持たない法服貴族の多くが権力と財産、あるいは命を喪った。自立可能な領地を持つ貴族たちは、王都からの救援要請を黙殺している。権勢を喪った者たちが自滅するのを待ち、その後のために力を蓄えていようだる。
「……ひどい天気です。これは半獣への、神の怒りに違いありません」
ミルドランは独り言ちると、空を仰ぎ神への祈りを捧げる。伸びかけの髪を粗末な刃物で剃ったせいで、あちこちまばらに剃り残されてひどくみすぼらしい。
甲冑姿のルコアは反応を見せない。それどころか、身動ぎひとつしない。その首には“隷従の首飾り”が嵌められ、目は光を失っている。
「……くだらん」
ボソリと吐き捨てられた言葉に、ミルドランが歪んだ笑みを浮かべた。
「ああ、ルコア卿。神を冒涜するつもりですか? また神罰が下りますよ」
バチッと、青白い光が走る。“隷従の首飾り”がわずかに締め付けられるものの、ルコアは無表情のまま白い服の男を見据えるだけだ。
「……神罰ならば、……もう、下った」
なにを指しているのかは、お互いに理解していた。
王国に浸透した僧兵たちのなかで、生き延びている者は数えるほどしかない。半獣の国アイルヘルンに送り込まれた者たちは、誰ひとり戻らなかった。高位の僧も、若い僧も連絡が途絶え、伝令役の少年僧さえも姿を消して、投入された最精鋭の強襲僧兵たちまでもが、呆気なく消息を絶った。そして。
コムラン聖国が誇る聖都アイロディアは消滅したという。
「それは、なにかの間違いでしょう。神は我々に試練を与え、克服した者にだけ祝福を与えてくださるのです」
ミルドランも、自らの言葉を信じてなどいない。
道を間違ったことなど、最初から思い知っていた。最初の道も、次に選んだ道も。おそらくは、いま進もうとしている道もだ。いまさら戻る道はない。他に選ぶべき道もだ。
進み続けるしかない。どんな犠牲を払おうとも。
「迷いは捨てなくてはいけませんよ。神の御心を疑うなど、あってはならないことです。いま、あなた方を支えているのは、聖国がもたらした神器なのですから」
聖国から持ち込まれた漆黒の甲冑と武具には強力な魔法付与が掛けられ、身に着けているのが雑兵であっても人ならざる力を得る。
神威を示す無敵の神器。だが、死者や行方不明者のなかには、それを身に着けていた者も数多くいる。いまはもう、無敵ではないということだ。
「わたしは“聖国の使者”として、この地に聖教会の教えを広め、神の意思を知らしめなければいけません」
不気味な笑みを顔に貼りつかせて、ミルドランは何度も同じ言葉を繰り返す。滅びた国の死に損ないとして、最期まで汚く惨めに足掻くという宣言だ。
ルコアたちは、そのために使い潰される。それでもいいと、ルコアは思った。エーデルバーデンでも、ゲミュートリッヒでも、アーエルでも敗け続け、喪い続けた。カネもコネも地位も名誉も、武器も装備も戦う力も、なにもかもを喪い飢えて死を待つだけだったのだ。
刹那の力を得られるのであれば、なにを引き換えにしてもかまわない。
「……壊してやる、みんな」
ルコアの憎しみが向かう先は、アイルヘルンの半獣たちだけではなかった。貧しい男爵家の四男であるルコアを、常に蔑み踏みにじってきた、王国の連中もだ。
貴族も平民も。人間も亜人も。すべてに報復を果たす。王都に攻め込んだルコアは、部下たちに殺戮も略奪も強姦も好き放題にやらせた。自らも手当たり次第に、殺して、奪って、犯した。罪の意識などない。奪い取っていった者たちから奪い返しただけのことだ。悔い改めることなど、なにもない。
「……雨が、上がりしだい、……再び、王都へと攻め入る」
それを聞いたミルドランは、満面の笑みで大きくうなずく。
「ええ、ええ。それこそが神の意思です」
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