陥穽と喊声
「……ああ、わかったよ。それじゃ、村まで案内してくれるか」
「はい!」
子供は苦手だ。躾の悪いクソガキも苦手だが、真っ直ぐに無垢な子はもっと困る。しょせん薄汚れたブラック業界の処世術しか持たない中年男だからな。
ランドローバー・ウルフは速度を落としながらも、泥濘の道を着実に前進してゆく。泥水がドアを叩き、ボンネットを超えてフロントウィンドウに飛沫が掛かる。これは吸気系浸水防止機能がなかったら終わってたな。深く考えずに入手した車輌が大活躍だ。
風が暖かいとか椅子が柔らかいとか、後部座席で獣人の姉アリエが呟く声が聞こえる。ここまでの道のりでどれだけ苦労したのか、雨に濡れず暖かなまま移動できる幸せを噛み締めているようだ。
「あれから、吠える声は聞こえてこないな。立ち去ったということは?」
「ない。この雨」
「ん?」
「みずち、現れる前から、激しくなって。ずっと続いてる。だから、まだ村にいる」
アリエの言葉は断定的で、それを聞いたヘイゼルもバックミラーで頷くのが見えた。なるほど、蛟竜は水神の成れの果てだっていうもんな。雨風くらいは呼ぶか。
「村は、どこにある?」
「あの丘の向こう」
雨に煙る先を見通すと、辛うじて丘とわかるシルエットが目に入った。出会った場所から丘まで二、三キロはある。泥沼のような道、というか子供には腰まで埋まる泥んこプールだ。こんなところを延々と逃げてきたのか。サーエルバンに逃げ込み、そこで助けを求めるために。
「なあ、アリエ。俺たちは水龍を仕留めるつもりだけど。一緒に来て良かったのか?」
サーエルバンに行けば、彼女は保護を受けられた。もっと多くの手助けが得られた。手数も、取り得る手段も増えた。おそらく、村の住人たちを救う可能性もだ。
「あ、あの……」
「うん」
「……ごめんなさい」
「うん?」
彼女は目を泳がせ、ヘイゼルと俺を交互に見た。犬っぽい獣人少女の耳が、ヘニョリと垂れ下がる。どうやら俺たちと同行することにした自分の決断を、後悔しているわけではなさそうだ。
「サーエルバン、いろんなひと、いっぱい、いる。獣人、きらいなひとも。だから……」
大きな商都で組織を動かすよりは、旅の者に頼った方が早く現実的と思ったわけか。結果は限定的だが、リスクもコストも最悪、俺たちだけで済む。
それを無礼だとは、正直あまり思わん。彼女も俺たちに何かを強制したわけじゃない。水龍と戦えとも、倒せとも、村を救ってくれとも言ってない。
「謝らなくても結構ですよ。わたしたちは、やりたいことをやるだけですから」
ヘイゼルが優しく声を掛けると、アリエはボロボロと涙を流し出した。
「ごめんなさい。ごめんなさい……」
抱きしめて慰めるツインテメイドをバックミラーで眺めながら、俺は泥濘を漕いでランドローバーを走らせる。
なんだろな。こういう旅になるとは、あまり思ってなかったんだけど。結果的にそうなったからと言って、特に驚いていない自分がいる。余裕なのか諦観なのか、自分でもよくわからん。
「わたしの国では、言われています。“ひとは誰も孤島のようには生きられない”と」
なんでかひどく楽しそうに、ヘイゼルが嘯く。
文字面だけを見ればたぶん、“助け合わなければいけません”的な諺なんだろうけど。俺も彼女も島国出身なあたりに、難解で冷笑的なブリテンジョークが隠されているような気がした。
「それで、ミズ・アイランダー。プランはあるんだろうな?」
「ええ、もちろん」
◇ ◇
指定された丘の稜線前で、俺はランドローバーを停車させた。外は横殴りの雨で、地面は泥濘に埋もれている。普段着では濡れ鼠になるだけなので、徒歩で偵察に向かう前にレインコートを出してもらった。ポンチョみたいのをイメージしていたが、意外にもオリーブ色のステンカラーコート。王立海兵隊の古い型で、現在は使われていないようだ。
「この雨では、気休め程度ですが」
「いや、あるとないとじゃ大違いだろ、さすがに」
足元も、編み上げの軍用ブーツに履き替えた。さすがに古いスニーカーで泥の海を漕ぐ気にはならん。
様子を見てくるだけだから車から出るなとアリエに伝えて、村のある位置を訊く。丘を超えたところで見渡せばすぐわかると言われたが、行ってみるとその通りだった。
「お、おう……」
アリエの言ってた、“すぐわかる”の意味がこれだったのかは不明だが。
緩い坂を五、六百メートルほど下った先に、数キロ四方の平地が広がっていた。その手前側に巨大な地表崩落による陥没孔が口を開け、周囲の水や土砂が流れ込んでいる。
崩落部の直径は、百メートル近い。なかで濁流が激しく飛沫を上げているものの、おそらく水の流れによるものではない。水龍が暴れているのだろう。穴の周辺でアリンコのように右往左往しているのは、アリエのいた村の住人たちと思われる。
「装甲車両でも調達すれば、水龍くらいはどうにかなるかと思ってたんだけどな……」
「無理ですね。重量がある乗り物では崩落に巻き込まれます」
「だな」
俺たちの持ち物のなかでは軽量なランドローバーでも、乗員を含めた装備重量は二トン近い。あのグズグズの地盤の上には、あまり近付きたくはなかった。
「相手が水棲生物と言っても、地下水脈となると艦艇を入れられないのが厄介ですね」
「残念そうに言うけどヘイゼル、何しようとしてた?」
「状況が万全なら、三連装対潜迫撃砲か二十四連装対潜迫撃砲を」
イギリスらしい対処法だ。戦場が広い海か湖水で、相手が旧ドイツ軍の潜水艦ならな。
ヘイゼルと話して、ランドローバーは坂の中腹あたりまで移動させることにした。そこなら崩落や滑落の危険は少ないだろうし、住民を避難させる目印にもなる。
「ヘイゼル、村の住人はどのくらいいる?」
「ここから見えているだけで、十五人ほど。それと外縁部に、ちらほら見え隠れしているのが三、四人います」
アリエに尋ねると、村の住人は二十人ほどだという。だとしたら朗報だ。まだそれほど減っていない。ヘイゼルに毛布と携行食料を出してもらい、緊急避難用に軍用の簡易天幕を購入した。
「アリエ、水龍を駆除する前に、残っているひとたちを、ここに避難させる。車のなかは暖かくしておくから、弱ってるひとはこちらに。そっちの天幕に飲み物と食料と衣料品を置いておくから、元気そうなひとの対応を頼む」
「……わ、わかりました」
「怪我人がいたら、可能な限り手当てを。無理なら、傷を洗って包帯で押さえるだけでいい」
「はい」
さて。久しぶりに、車両も装甲もなしでの戦闘だ。しかも、完全な敵側優位の戦場。だというのにツインテメイドは雨のなか、満面の笑みで俺を振り返った。
「では、本日のお薦めをお持ちしましょう」
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