バッド・ファーマシー
結果として、交渉は決裂した。
残念ながら事務員ふたりは魔物の待つ外へと駆け出した。後の行方は沓として知れない。わりと近くで悲鳴を聞いたような気はするが、たぶん気のせいだ。
おかしな隷属契約条件付きのアウルベア討伐依頼は完遂したことで解除してもらえたしな。
うむ。めでたしめでたし。
「ここから移動するとして、拠点になるような場所はあるか?」
エルミと仲間の亜人たちはカウンターの陰から引っ張り出してきた町の簡易地図を前に頭を悩ませている。
拠点の基準はそこで魔物を迎え撃つのに有利なこと。ある程度の水や食料の調達が可能なこと。脱出経路が確保できれば、なお良い。
「みなさん、条件はどれも必須ではありません。可能な限りで問題ないです」
「ヘイゼルちゃん、でも町の反対側には魔物の群れがいるのニャ」
「問題ないです。ほらエルミちゃん♪」
ほら、ってあなた木箱抱えて嬉しそうに言うけどヘイゼルさんそれ、冒険者ギルドの金庫ですよね。完全に泥棒じゃないですか。あんまり入ってないって文句言うの盗人猛猛しいを地で行ってますよね。
「金貨の半分を物資調達用にもらいたいですが、後はみなさんで分けてください」
「「「「わーい♪」」」」
ヘイゼルによれば、銀貨と銅貨は換金率が低くこちらの世界での貨幣価値からみて不利なんだとか。
ヘイゼルによるポンド換算がいくらになるかは希少金属の含有率次第だが、それは地金の価格だ。こちらの世界での、現用通貨としての価値にはあまり関係がない。
「エルミちゃん、金貨って銀貨何枚分ですか?」
「銀貨二十枚で金貨一枚ニャ」
「そこは変わってないんですね。金自体の価値が動いたわけじゃない。ということは、王国経済は、まだ崩壊していないようです」
金貨を使うのは貴族や富豪や大商人だけで、庶民が日常的に使用する通貨は銀貨が上限らしい。とはいえ、交換比率が変わったらさすがに一般市民まで公布は行われる。
銀貨一枚で平民が一日食いつなげるというから……日本人の感覚でいうと、銀貨は概算で千円くらい? 金貨は単純計算で二万円、ポンドでいうと……百五十くらいか。
「DSDで利幅が取れるのは金貨だけですね。以前は約五万円ほど。改鋳後で約四万六千円くらい」
ちなみに銀貨は約五百四十円ほど。銅貨など約二円を切るとか。銀貨で現地貨幣価値の約半分、銅貨で二割といったところだ。可能なら、こちらの世界で消費した方が良い。
「よし、決まったな。ここだ」
俺は亜人首脳陣の指した地図の一角を見る。
商業地域の倉庫が並ぶ裏通りにあるエーデルバーデンの商業ギルド会館。煉瓦造りで頑丈な上に、鐘楼が物見台にもなる。裏庭に井戸もある。
「詳しいな」
「もともと、そこは亜人の居住区画だったんだ。何年か前に焼け出されて、その後はどんどん減ってな」
「商業ギルド会館、もとは森の精霊を祀る礼拝堂ニャ」
その辺の事情は後でいい。問題はそこまで行く手段と、そこを奪還する手段、そして守る手段だ。
「斥候なら任せとけ。多少の魔物や武装した人間がいても問題ない」
獣人グループが自信満々で言ってくる。
「魔法と弓で支援なら、わたしたちエルフが」
「後方支援と物資移動と拠点構築ならドワーフが担当する」
俺たちは頷き合い、獣人のなかでも隠密行動に長けたネコ科のグループを選抜する。残念ながらエルミは留守番組になる。
本人は少し悔しそうだけど、彼女の戦闘能力が足りないからではない。いまこの状況で治癒回復魔導師を危険に晒すわけにはいかないからだ。
「エルミちゃん」
自分の手に重ねられたヘイゼルの手を握って、ネコ耳娘は笑う。
「わかってるニャ。怪我したら、みーんな治すニャ!」
彼女の首には、新しく吊下帯を装着されたステンサブマシンガンがぶら下がっている。厳密に言えば、ゴブリンの二、三十体は楽に蹂躙できるほどの戦闘力を持ってはいる。
「ミーチャさん、DSDに投入された金貨は二十二枚、総額は約百五万になります。今後のプランがあれば対応しますが」
「弓持ちのエルフにボルトアクション小銃を持たせるのはどうかと思ってるんだけど……」
“問題ありません。もし仮に敵対された場合でも、わたしの方で強制回収が可能です”
ヘイゼルが彼らに聞こえない声で伝えてくる。それは暗にエルミも含めているのかと考えが頭をよぎったとき、ギョッとするほどに真剣な目で見据えられた。
“彼女を信じられないのであれば、あなたはこの世界で生き延びる力がないのだと思います”
「わかってるよ。わかったから、そんな顔すんな」
「ふにゃあッ⁉︎ ヘイゼルちゃん……なにするニャ⁉︎ そッ、だめニャーッ⁉︎」
ネコ耳娘を後ろから抱きしめて、セクハラとしか思えないほどにモフり倒しているヘイゼルは、なぜか勝ち誇った顔で俺を見る。なんだそれ。やめろ、人前でイチャイチャすんな。
「ああ、そうだヘイゼル。軽装甲車両は難しいかな。全員を運べなくてもいい。銃手と乗員数人をある程度安全に運べれば、ずいぶん選択肢が広がる」
「武装も並行して行う場合は、少し予算的に厳しいですね。現在の在庫では非装甲車両の砲兵用牽引トラックか、ふたり乗りのディムラー偵察車でしょうか」
目の前に現れた光るプレートで画像表示を見ると、コガネムシっぽい感じのずんぐりむっくりしたトラックと、装甲ジープみたいな車両だった。両方とも全輪駆動で、走破性はそこそこあるっぽい。
「ブレンガンキャリアもありますが、あまり程度は良くないです」
履帯で動く装甲車か。でもあれ、露天なんだよね。ゴブリンでも登ってきそうだし、オークもいるとなれば装甲あんま意味ない感がある。
「ミーチャ、斥候が戻ったニャ!」
エルミの声に振り返ると、息を切らせたネコ獣人チームが駆け込んできた。




