グッド・ブリテン
「奪還? 奪取ではなく?」
「ええ、奪還です。再征服とでも言いましょうか。この地に再び、英国旗を立てます」
世間話でもするように語りながら、ヘイゼルがカウンターに歩み寄る。
呆れたことに、ヘイゼルは過去に俺の“前任者”を使って、この地に英国の“飛び地”を作ったのだとか。
「それ、どうなったの」
「クライアントの没後に魔獣群の暴走と現地人の武装蜂起が起きて、王国に呑まれました」
いや、過去に学ばんのか、イギリス人。その過去というのが、どのくらい昔の話なのか不明だが。海外の植民地経営と同じ道を辿ってんじゃねえか。
「そんな野望は初耳なんだが。ヘイゼルはどうか知らんけど、俺が英王室に加担する義理はないだろ」
「わたしもないです。ただ、この地が英国内扱いになると商取引の制限が外れて、かなりの特権と特典、そして価格的優遇が受けられます」
思想信条は関係ないのね。ホッとしたようなガッカリしたような。
なんにしろ、こっちの人間からしたら迷惑この上ない気がする。
「その頃、こちらの法整備がどうなっているのか調べたんです。わたしの機能には、接触した者からの知識吸収がありますので」
ヘイゼルは、意識のない事務員ふたりを平然と拾い上げ、物のように引きずってくる。
合わせて百キロは超えてるだろうに、案外力持ちなのね。
「法整備ったって、ここ中世か近世くらいの文明程度だし。けっこう杜撰だったんじゃないか?」
「それは想定内ですね。ですが現王が即位した際、条文のトップにユニークな一文が追加されたのには驚きました。“我こそ唯一の王、これこそ唯一の法”だとか……素晴らしい! まるでイングランドの“国王至上法”です!」
その“ユニーク”とか“ブリリアント”って、ぜったい皮肉だよね。辛辣な意見を抑えに抑えた結果という印象。
ヘイゼルのコメントって、京都人みたいな冷笑感がある。
「ヘイゼルが金貨の換金のとき “この国はもう長くない”って言ってたけど、その王がやらかしたせい?」
「でしょうね。これまでも相当にやらかした、そしてこれからも、やらかすつもりだったようです。唯一法ということは、他国との交渉や問題も国内法で裁くことになります」
外交交渉を国内法でって、杜撰とか乱暴とか以前に、あれか。
「この国……周辺国を、隷属対象としか考えていない?」
「英国万歳!」
ヘイゼルが満面の笑みで拍手をしてきた。
見た目は可愛いのに、なんか言動はムッチャ胡散臭い。この子は褒めれば褒めるほど、“褒めてない感じ”がすごい。
「なんだグッド・ブリテンて。意味わかんないけど、絶対それ良い意味じゃないないだろ」
「おっしゃる通り。良き英国は滅びた英国です」
いや、知らんし。
このポンコツAI、受肉した後の方が絡みにくい。ちゃんと仕事してくれるならキャラは流すけど、知識と知能は高そうなのが扱いに困る。
「この国の老害的な傲慢さは、帝国期の英国に似てますね。教会を尖兵にして難癖つける卑劣な戦略もです。まあ、国力と技術力と政治力が劣悪なので、英国以上に未来はないですが」
うん。相変わらず、どこを上げてんだか下げてんだか、よくわからん。
「とにかく、法的判断が必要な場では、すべてを唯一法と称する王国国内法で賄うことになります。傲慢で杜撰な国の国内法で対外折衝を無理やりに代用すると、ですね」
ヘイゼルは、なんでかニッと楽しそうに笑う。
「簡単に言えば、奪った土地は自分のものにできます」
「え」
「さて、その前に……少しお話ししましょうか」
ヘイゼルはそう言って、事務員ふたりの背中に膝を入れて肩を引く。
ゲフッと息を吐いて蘇生したというか、無理やり喝入れで覚醒させられた中年男ふたりはキョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡す。
「これは……ど、どうなってゲフッ」
背中を支える格好だったヘイゼルは、笑顔のままふたりを突き放した。
「どうしようもないことになってますね。上階にいたのはギルドマスターと衛兵隊長でよろしいですか?」
「……お前、は」
「質問しているのはこちらですよ、コタラス事務官。そしてガイエル事務員」
「なぜ、我々の名前を……」
さっきの接触によって、彼らの記憶でも読んだか。
床に転がったまま動けない年嵩の事務員――ヘイゼルの言葉によれば、コタラス事務官――を、ヘイゼルは冷えた目で見下ろす。
外見は少女だけれども、その表情と圧は只者ではない。
「こちらの質問に答えてください。あなたは、部外者であるわたしのクライアント、ミーチャ氏に不当な契約を押し付け、危険に晒しましたね?」
「なんの……は」
「ここまで平易な表現で説明して、なお何の話か理解できないほどの無能なのであれば、事務官の上司に直接お話しするしかありませんね。ハイネル男爵は、このところ王都から離れたがらないようですから、はるばる数百哩の距離をご足労いただくことになりますが」
中年事務官は、ヘイゼルの言葉に青褪める。ハイネル男爵ってのは、かなり面倒臭い相手なんだろう。
政治の中心にへばり付く下級貴族となれば、面子を汚されたらブチ切れるタイプかな。
「脅迫する気か⁉︎ いったい何が目的だ! ギルドでの全責任は、ギルドマスターが……」
「彼は死にました。ほら、あそこに」
ヘイゼルはコタラスを引きずり起こして、表で潰れているオウルベアを指す。
ギルマスとマーバルの死体はクマの下に埋もれたままだけれども、血が溢れているのと手が覗いているので事務官も状況を把握したようだ。
「ギルドマスターのバーガルと衛兵隊長マーバルは、愚かにも魔物の誘引剤を撒いて、自ら喰われた。自業自得ですが、そうなると次席はあなたになりますね、事務官殿?」
キョロキョロと視線を泳がせるが、当然ながらどこにも救いなどない。
ギルド側の身勝手な行為で殺されかけた冒険者が同情も協力もするはずがない。
彼らの座高と大差ない小柄なツインテール美少女に、専門職であるはずの事務官が明らかに押されている。
「我々は、ギルド規約に則り……」
「そういうのは結構。そもそもギルド規約は法じゃないです。冒険者登録を済ませた者との、金銭授受の条件を定めた契約でしかない。つまり」
ヘイゼルは掌で俺を指す。
「ミーチャ氏には適用されません」
「し、しかし! 署名は本人のものだ! 報酬を受け取った時点で、慣例では例外的な雇用契約が結ばれた、ことに……」
「ええ、わかります。それが余所者を始末する常套手段だったことも含めて、ですが」
「ぐ、ぐぅ……」
「もし、雇用契約が正当に結ばれたのであれば、契約遂行中の被雇用者に対して、雇用者からの作業妨害があったことになりますね」
今度はオウルベアの死体を顎で指す。
「王国法四条五項、“商取引の意図的な妨害は、契約破棄とみなす。妨害した者は全ての損害額を被害者に支払うべし。妨害した者が商取引の当事者だった場合は、全ての損害額の三倍を支払うべし”」
何でも三倍すんの好きだな、この国の奴ら。
それに、なんだか雑な印象の法律だ。被害者側に強制力がなければ、泣き寝入りすることになりそう。
それが目的か?
「地方で起きた問題の罪状認否は、教会で“裁定の場”が開かれることになっています。いまは……まあ、無理でしょう。当事者間での示談も可能ですが、交渉が決裂した場合は王都のハイネル男爵を召喚することになります」
「……それに、応じなければ」
どうなるかと訊く事務官に、ヘイゼルは懐から引き抜いた拳銃を突きつける。彼女の私物なのか、赤いグリップのエンフィールド・リボルバーだった。
「構いませんよ」
ヘイゼルは静かに笑う。
「その場合、“交渉”は、わたしたちの流儀で済ませます」




