ゲミュートリッヒのエクジット
「ハッ、面白い冗談だな」
鼻で笑うティカ隊長は、明らかにご機嫌斜めだ。
そら視察に来た中央の偉いさんに勝手な好奇心でフラフラされたら、警備する方はたまったもんじゃない。あげくに視察先から百キロ離れた酒場でベロンベロンになってるのを発見だなんて、イラつきもするだろう。
この場合、誰の責任になるのか俺にはよくわからんけどな。
「そんなもんに乗るわけないだろうが。そもそも、ゲミュートリッヒには不可能だ」
「中央から離れた政治的空白地帯と思っとるんだろうが、静観してられる時期は過ぎとるぞ。オルークファの奴は教会の後ろ盾で、もうサーエルバンの中枢まで入り込んどるんじゃ」
「知ってるさ、もちろん。だがサーエルバン領主は消えた。教皇も、聖都も、教会強硬派もだ。奴の後ろ盾は、もうない」
「ああ。逆に言えば足枷もなくなったわけじゃ。いまごろ自分が聖国と繋がっとった証拠は、キレイに処分しとるだろうしな」
「……いいさ。あいつを糾弾しようとは思ってない。手を出されない限り、こちらから動く気もない」
冷静さを保とうとしているティカ隊長を見て、エインケル翁は首を振る。
「戦はな、ティカ。先に動けばそれだけ多くを備えられるんじゃ。気付いたときに手遅れとなれば、戦わずして勝敗は決まる」
「戦にはならん。タキステナからサーエルバンに攻め込んだところで、掛かったカネを超えて得られるものはない」
「エルフは単なる利では動かん。正確には、利がなくとも動く。亜人排斥に乗っかるかたちで西部域に領地を広げたいんじゃろ」
なんかわかったようなわかんないような駆け引きが行われている。タキステナとの戦いに導きたいマカ領主と、深入りを避けたいゲミュートリッヒの警備責任者との。
「塩の値が上がってると言ったな。上げ幅はどれくらいで、どのくらい前からだ」
「ひと月ほどになるかの」
生産が安定しているはずの塩が九十パーミル、天候も収穫量も例年通りのなか、小麦と馬と秣も百二十パーミルほどで高止まりしたままだという。
どうやらアイルヘルンでの指数単位は百分率ではなく千分率のようだが、それはともかく。
塩は九%ほど、小麦と馬、それと飼葉が十二%ほど上昇しているわけだ。
「中央が戦争の準備をしているんじゃないかとは思ってたがな」
「間違ってはおらんが、値を上げとるのはタキステナの耳長と、それに乗っかった“賢人会議”の二領主じゃ」
アイルヘルンの中北部、“学術都市タキステナ”の周辺で産出される塩。北東部、“獣人自治領カーサエルデ”で飼育されている馬。中南部、“農の里エルヴァラ”の穀倉地帯で収穫される小麦と秣。
どれも戦に必須の糧秣だ。
あとは南西部の“鉱山都市マカ”で産出される鉄鉱石と、西部サーエルバンとその飛び地ゲミュートリッヒから確保される魔物素材があれば備えは万全なんだろうが……マカは値上げの波に乗らず、魔物素材はまだ出荷されたのはワイバーンが二体分だけだ。
「ちなみに爺さん、魔物素材の値上がりは」
「ほとんど二倍近いのう」
おう……糧秣とは桁違いだな。
攻め込む先がその主要産地である西部域となれば、事前に押さえるだけ押さえたか。
「魔物素材に関しては、意図した値上げというより単なる買い占めの結果じゃろ。ふつうに考えれば、ワイバーンの素材が大量に出るなんて想定はせんからな」
ティカ隊長がチラッとこちらを見る。魔物素材が大量に出たことを、少なくともマカ領主は知っているようだ。
うーん、特に統制してないとはいえ情報はガバガバだな。
「いまタキステナを落として、何の利がある」
「亜人殲滅を目論んでいる連中に、力を付けさせたくないのは当然じゃろ。弱ったとき徹底的に叩いとくのは利というより戦の常道じゃ」
「あんたらがやる分には好きにしてくれ」
やはりティカ隊長は、中央連中の諍いに付き合う気はないようだ。そもそも道理や意欲だけじゃ動けん。ゲミュートリッヒには自衛以上の兵力もないしな。
「ちょっと訊いていいかな」
俺はこの際、イマイチわからんところを質問しておく。エインケル爺さんは、軽く頷いて先を促す。
やっぱり事前に情報を得ていたようで、声を掛けてきた俺が単なる酒場の店主とは思っていない風。
「エルフも区分としては亜人なんじゃないのかな? それと、獣人自治領ってのも尻馬に乗っかってるのが理解できないんだけど」
「エルフの一部は、人間以上に差別的というだけじゃ。自分らが最上だと思っとる。それと、獣人自治領の領主は自分の群れ以外のことなど、どうなろうと気にせん」
思ったより……というか思った以上に、アイルヘルンは“国じゃない”ようだ。なんとなく、欧州連合のグダグダに似てる。
ヘイゼルも同じことを考えていたようで、俺を見たツインテメイドは小首を傾げながらニッと笑みを浮かべた。
「いまこそ“英国による連合脱退”♪」
……うん。言うと思った。
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