第三百七十八夜 おっちゃんと国家の始まり
暗く濁った空の元、一人の男性が船の先端に立っていた。
男性の身長は百七十㎝。軽装の革鎧を着て、腰に細身の剣を佩いている。年は四十五と行っており、丸顔で無精髭を生やしている。頭頂部が少し薄い。おっちゃんと名乗る冒険者だった。
おっちゃんの目の前には、黒く変色した海があった。海の底から、ポコポコと不気味な泡が立ち上っている。泡は海に浮かぶ島に近づけば近づくほど、激しい音を立てて上っていた。
おっちゃんの目の前の島が小刻みに揺れ、波を立てる。島の底に封印されていた『太古の憎悪』が今まさに、浮き上がろうとしていた。
おっちゃんは『飛行』の魔法を唱えて、宙に浮かんだ。おっちゃんは『太古の憎悪』が表れる瞬間を待った。
海面が激しく揺れ、目の前の直径二百mの島が二つに割れた。
島がゆっくりと海に滑り落ちて消える。波が、おっちゃんの乗っていた六十m級の帆船を、後ろに移動させる。
海の底より紫色の煙が立ち上り、形を採ってゆく。溶けた人の顔のような姿を持つ『太古の憎悪』が海面に浮上する。
「おおおおぉぉ」と太古の憎悪が苦しみと憎しみの篭った声を上げる
『太古の憎悪』が、ゆっくりと宙に浮く。『太古の憎悪』の全貌が明らかになる。『太古の憎悪』は高さが百mの人の顔を模した魔物だった。『太古の憎悪』の真っ黒な眼窩が怒りの色を表す赤に染まる。
おっちゃんは『拡声』の魔法を唱えて、背後を振り返る。おっちゃんは背後の十二隻の帆船に指示を出す。
「今や。みんな、鎮魂の祈りを捧げてくれ」
おっちゃんの指示で甲板にいた大勢の人間が鎮魂の祈りを捧げる。
おっちゃんは『太古の憎悪』に向き合うと、『共感』の魔法を発動させた。おっちゃんの魔法が『太古の憎悪』を捉える。
「おおおぁぁぁあ」と『太古の憎悪』が声を上げる。声には憎しみは籠もっていなかった。『太古の憎悪』の上げる声は、悲しみとやり場のない怒りに滲んでいた。
長年、激しく憎んだ相手を探した。だが、復讐すべき相手はすでにこの世にはいない。復讐の相手を失った虚しさに打ち拉がれているように『太古の憎悪』は見えた。
『太古の憎悪』の眼から怒り輝きが消える。『太古の憎悪』は「あああああぁぁぁ」と悲しそうな声を上げると、灰色の石灰岩のように体が変わっていった。そのまま、ボロボロと崩れるようにして『太古の憎悪』は海中に消えていった。
石灰化した『太古の憎悪』が海中に消えると、黒く変色した海は元の青色に戻った。暗く濁った空も水色の明るい空に戻った。
「よっしゃ。『太古の憎悪』が力を失った。これで、海は救われたで」
「やったぞ、これでポルタカンドも救われたぞ」と誰かが叫ぶ。
船から歓声が上がった。おっちゃんは歓声が静まると、船長に指示を出す。
「ほな、帰るで。船長はん、帰還の合図を送る銅鑼を打ち鳴らしてや」
おっちゃんの乗る船から各船へ港に帰還するように威勢よく銅鑼が打ち鳴らされた。
銅鑼が鳴り止むと、船は乗っていた人を下ろすべく、予定通りに港に戻っていく。
おっちゃんも自分の船に戻り、マサルカンドに戻って、ニコルテ村に帰還した。
ニコルテ村は砂の街バサラカンドから徒歩で四時間ほど行ったところの、大きな村である。
人口は九百人ほど。木乃伊が三百人に人間が五百人で、あとは異種族が暮らしている。石材業と霊園業が有名で、特産品としてバサラ・ラヴェンダーの線香がある。
ニコルテ村は裕福な村だった。石造りの家は六十軒を超え、村には集会場もあった。
集会場で『太古の憎悪』を封じて記念パーティをやっていると、呪われた民のセバルがやってきた。
セバルは青い髪と黄色の眼を持つ、呪われた民の族長の一人で、自信に満ちた顔で語る。
「おっちゃん、『太古の憎悪』の無力化ご苦労様」
「セバルはんもお疲れさん」
「今日は一つ大きな報告がある。これは我が民にとっても大きな一歩だ」
セバルの顔は輝いており、希望に満ちていた。
おっちゃんは、セバルが何を口にするか、わかった。
「そうか、金貨二十万枚を貯めて国王に納めたんやな」
セバルたち呪われた民は国を失った民族だった。だが、おっちゃんの働きにより、三つの条件を遂げた場合には、廃墟となっている街が譲渡され、建国を認められていた。
三つの条件のうち、未知の島の探索は終えていた。残る二つの条件は、金貨二十万枚の納付と、おっちゃんの国王就任だった。
セバルが、そこで真剣な顔になる。
呪われた民が静かに二人の会話を聞いていた。セバルがゆっくりと頭を下げる
「残る条件は、あと一つ。おっちゃんの国王就任だけだ。頼む。俺たちのために国王になってくれないか」
「おめでとう、セバルはん。ほな、予定通りに国王をやらせてもらうわ。頼りない国王やけど、よろしく頼む」
集会場の呪われた民から歓声が上がった。泣いている人間もいた。『太古の憎悪』を封じた記念パーティは、建国祝いパーティへと変った。
一夜が明けて、村長の家でセバルたちが建国したオルトハルツに向かうべき準備をしていた。
玄関で女の人の声がした。村長のアイヌルは朝から隣の村での会合に行くために留守にしていた。
来客だと思いおっちゃんが玄関に出て行く。玄関のドアを開けると、一人の女性が立っていた
女性の年齢は二十代前半、身長は百六十㎝で、細身の体型をしていた。女性は茶色の髪を肩まで伸ばしていた。瞳は黒い色で、黒い肌をしており、眼鏡を掛けていた。
服装は青いワンピースに、クリーム色のショールを羽織っていた。茶の帽子を被って、大きな旅行鞄を持っている。
女性が緊張した顔で声を出す。
「こちらが、国王オウル様が滞在する家でしょうか」
「今度、国王になるオウルは、わいや。けど、なんの用?」
女性は一通の手紙を差し出す。手紙にはレガリア国王の封蝋がしてあった。
「私はレガリア国ヒエロニムス国王より、国の準備を手伝うように仰せつかったエルマと申します。以後よろしくお願いします」
「ヒエロニムス国王から助っ人か。おっちゃんも、国なんか立ち上げた経験はないから、助かるわ。とりあえず、上がって行くか? 茶ぐらい、出すわ」
エルマが畏まった顔で告げる。
「そんな、国王陛下にお茶を淹れていただくなんて、滅相もない。私が淹れます」
「そんなこというたかて、この家は初めてやろう。どこになにがあるか、わからんやろう。わいがやるよ」
エルマが恐縮してリビングに上がった。
おっちゃんは、お茶の準備をしながら伝える。
「あのな、エルマはん。これから行く国は、貧乏国家や。国王と名乗っても、座って命令だけしていればええわけやない。時に石を担いで、自分とこの城壁を国王自ら修理しなければいかん国家や。お茶かて、自分で淹れな、あかんねん」
エルマの表情が不満そうだったので、おっちゃんは言葉を告げる。
「国王からして、そうや。ましてや、家臣やったらもっと色々とせないかん。机の前に座っているだけでは、あかん。そんな貧乏国家や。来るなら覚悟が必要やで。その、覚悟はあるか?」
エルマが気負った顔で発言する。
「覚悟はできています。国王陛下」
おっちゃんはエルマの前にお茶を置く。
「そうか、なら、まず。最初の命令や。他国の要人がいないとこでは、国王陛下と呼ばんでええよ。おっちゃんで、ええから、じっさい、おっちゃんやし」
エルマが恐縮して頭を横に振る。
「そんな。国王陛下をおっちゃんと呼ぶだんなんて、とんでもない」
「ほら、それがいかんねん。おっちゃんを補佐しようと思うなら、おっちゃんの意を汲んでくれんとな。すぐに『できません』では、おっちゃんかて家臣として使いづらい」
エルマが不承不承の顔で頷く。
「わかりました。では、他国の人間がいないときは、おっちゃんと呼ばせてもらいます」
「そう、それでええ、そんでな。三日後にオルトハルツに向けて旅立つ。国の現状については、おおまかにしか知らん。全て現地に着いてから、出たとこ勝負や」
エルマが鞄を開けて種類を提示する。
「でしたら、ここに、簡単に、国の内情を示す報告書類を持ってきました」
書類を見ると、綺麗な字で国の現状が纏めてあった。
おっちゃんは書類の内容は当てにならないと思ったが、褒めた。
「おおきに、よく纏まっているな。ほな、出発までに読ませてもらうわ。あと、出発までに時間は、あまりないから、エルマはんも準備を進めてな」
「はい、わかりました」とエルマは元気よく返事をする。




