第三百二十二夜 おっちゃんと大蛸
沈んだ船は一隻だったが、不安が街を駆け巡る。翌々日には物価高は一段と進んだ。
冒険者が冴えない顔で噂する。
「漁師が助けた船員の話だ。貿易船を襲ったモンスターは大きな蛸の化け物らしい」
「大蛸は人間を好んで喰うそうだ」
おっちゃんは真偽のほどを確認するために、保護された船員を探した。
漁師の家に泊めてもらっていた船員に尋ねる。
「なあ、船が大きな蛸に沈められたって、本当か?」
船員が強張った顔で答えた。
「風の強い中、高さ六mの波の中を船は進んでいた。そうしたら、船が何かに衝突したんだ。慌てて甲板に出てみたら、大きな蛸が船先にいやがった。皆で大蛸を海に落とそうとしたら、大蛸が怒って甲板に乗ってきた」
船員が身震いする。
「そうか、それは大変やったな。そんで、どうなったん」
船員が青い顔をして告げた。
「大蛸のやつと戦闘になった。大蛸の重みで、船が傾いた。船には積荷が満載だったから、浮力にあまり余裕がなかったんだ。そこに十m以上の高波が来て、船は転覆した」
(大蛸はいた。せやけど、大蛸が船を襲って船を沈めたんやなくて、過積載と事故が重なったんやな)
「それは大変やったな。蛸って、どれくらいの大きさだったん?」
「おそらく、五、六mはあったと思う」
おっちゃんは船員と別れて、『海洋宮』対策室に行く。
ターシャが浮かない顔して話しかけてくる。
「おっちゃん、大蛸の話を聞いた?」
「聴いてきたで。どうも、大蛸が襲ってきて船を沈めたんやない。大蛸に船に乗られた時に高波に遭って船が沈んだのが真相や。大蛸は、大きいうても船に乗れるくらいやから四、五mやろう」
ターシャは表情を曇らせる。
「大蛸は大人しい生き物よ。だけど、船と激突して怒ったのね。そこに高波とは、運がないわ」
「積荷が満載だったのも災いしたな。限界以上の量を積んでいた」
ターシャが腕組みして考え込む仕草をする。
「海は危険が満ちているから、事故も起きるわ。でも、それにしては、不安が広まるのが早いわ。誰かが物価を押し上げるために、話を大きくして広めている可能性はないかしら?」
おっちゃんも同じ内容を危惧していた。
「ないとは断言できませんが、現状ではなんとも判断できませんね。悪い噂や不安は拡がりやすい。誰が犯人とは特定する行為も難しい」
おっちゃんは冒険者ギルドに戻ると、アルティを呼ぶ。
「アルティはん、ちょっとお願いがあるんよ。大蛸を退治する依頼が出たら教えて」
アルティが素っ気ない態度で答える。
「それなら、アゴニー商会から大蛸退治の依頼が出たよ」
「なに、退治依頼が出たんか」
おっちゃんは依頼書を見る。
大蛸退治の依頼が出ていた。報酬は一人につき銀貨四十枚で、募集人数は五人。討伐が失敗しても大蛸がいれば報酬は支払われる内容になっていた。
(これは、怪しいで。報酬が銀貨四十枚なら、下級冒険者しか応募してこん。下級が五人では大蛸を退治できん。しかも、大蛸がいたら払う条件なら、冒険者は大蛸を見たと吹聴する)
アゴニー商会が物価を釣り上げに来ている状況は確実に思えた。
(問い詰めても、しらを切られるのが落ちやな。それに、大蛸を見たと証言した人物は冒険者になるから、こちらも具合が悪い。かといって、ほんまに退治しても、もう一体いましたと、やられる可能性があるな)
「対策が必要やな」
おっちゃんは海の話なので、海のエキスパートである『島魚』に相談しに宿屋に行った。
「『島魚』はん、知恵を貸して」
「お世話になっているので、知恵を貸してほしいなら相談に乗りましょう。それで、どんな内容ですか?」
「大蛸が船を襲っている、って話になっておるんやけど。大蛸に襲われんようにするには、どうしたらええ」
『島魚』が簡単にいってのける。
「大蛸がいる場所を避ければいいのよ」
「それはそうやけど、大蛸がどこにいるかなんてわかるの?」
「この時季の大蛸は、鰯や鯵の群れがいる場所にいるから、そこを避ければ遭わないわよ。避ければいい場所を教えてあげましょうか?」
「お願いします」おっちゃんは地図を買ってきて、危ない場所に印を付けてもらった。
おっちゃんは印のついた地図を持って網元を尋ねる。この時季に鰯や鯵がいる場所を確認して裏を取る。
おっちゃんは地図職人に、印のついた地図を大急ぎで発注した。
地図ができあがる頃には冒険者が大蛸の討伐に失敗した話が上がってきた。すかさず地図を売りに出す。
おっちゃんはアゴニー商会のポルタカンド支店に様子を見に行く。
頭が禿げあがった質素なクリーム色の服を着た四十歳くらいの番頭が出てくる。
番頭はニコニコ顔で語る。
「お客様すいません。当商会の品は全て売れております。次の船が入航するまで、お売りできる品がありません」
(アゴニー商会のやつ、上手くやりおったな。インフレが落ち着く前に商品をすべて売り逃げしよった)
アゴニー商会が売り逃げを決めた数日後、貿易船が次々と入航する。船が入航すると物資が供給され、物価は下落に転じた。
おっちゃんは事態を報告にターシャの許を訪ねる。
「ターシャはん。とりあえず、インフレはひと段落や」
ターシャは浮かない顔で告げる。
「でも、油断はできないわ。このまま船が次々と入港してくればいいけど、また、なにかの問題があれば、すぐにインフレの問題は顔を出す」
「そやね。貿易船に便乗してきた人間もおるらしいしから、人はまだ増える。人が増えれば、需要は増える」
ターシャが明るい顔をする。
「人で、思い出したわ。冒険者ギルド・ギルドマスターだけど、当てがついたわ。近日中に赴任してくれるそうだから、引継ぎの準備をお願いね」
「わかりました。ちなみに、誰や」
「剣士のイゴリーさんよ」
(マサルカンドのイゴリーか。盗賊ギルドでバネッサを支えていた人間やな。奴なら、腕は立つし、組織の運営もやった経験はあるやろう。これで、おっちゃんの肩の荷も下りる)
おっちゃんは冒険者ギルドに戻ると、引継ぎ書の作成に入った。




