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追われるアークツルス




ジゼルは、人馬宮の庭のはずれにいるラサルのもとに来ていた。夫と結婚してから一度もあっていなかったラサルは、静かに庭で眠っている。

ジゼルは、ラサルの近くに行くのをやめて、白い大理石の廊下でぼんやりと立っていた。




「守り人様、お久しぶりでございます。」

「もう、私は、守り人ではありませんよ。アメデ神官長補佐官様、いえ、今は神官長様でしたわね。」

「あなたに、そういわれるとくすぐったい気持ちになります。」

「史上最年少とか。さすがですわね。」




ジゼルが微笑むと、髪の長い男は白いローブをわずかに翻して見せた。神官長になることを、ジゼルに宣言した日から、そう日は経っていない。




「政はよくわかりませんけれど、きっと、汚い手を使ったのでしょう?さすがですわ。」

「嬉しいなあ。あなたに、そんな風に褒められるとは、思っておりませんでした。」




ジゼルは、男を見る。若い男は、汚れを知らないようにも見えたが、その実、とても汚れているようにも見えた。




「まあ、でも、その代わりに、守り人様を失ったのは痛かったけれど。やはり、あなたは、人にとって、希望の炎ですからね。」




本当のあなたは、さておいて。


ジゼルは、微笑みを完全に消して、男の瞳を見た。男の微笑みは、消えない。




「こんなところに呼び出したのは、なぜかしら。」

「ここなら、あなたも思い出してくれるのではないかと思ったんですよ。」

「何を?」

「帰るべき場所です。神の炎に愛された竜。その竜が、あなたを乗せると、必ず神殿に行きたがる。その理由が、あなたには分かっていたはずです。」




ジゼルはじっと、眠っているラサルに視線を向けた。そう、確かに分かっていた。ジゼルは、知っていた。ラサルが、必ず、ジゼルを乗せると神殿に行きたがった。それは、ジゼルの帰るべき場所が、神殿だからだ。




「でも、私は、神殿には行かない。」

「それは、無理ですよ。」




男はわざとらしく肩をすくめる。その仕草に、苛立ちを感じる。




「あなたの悪い癖が、出てしまっている。神殿としては、それを見過ごすことはできません。それに、あなたの口から帰ると言えば、陛下も手出しできないはずです。」

「……悪い、癖?」

「おや、忘れたふりですか?それとも、本当に忘れたのかな?」




アメデは、楽しそうに声を上げて笑っている。その声が不愉快で、頭が痛くなってきた。




「何を言っているの?」

「あなたが選ばれた理由ですよ。守り人に。」

「それは、私がお兄様に最も血が近い娘だったからよ。」

「妹君がほかに二人もいらっしゃったのに?なぜ、あなたが選ばれたんでしょう。なぜ、あなただけが、処女宮に閉じ込められて、神殿に飼い殺されたんでしょうか。」




ジゼルは小さく首を振った。


違う。違う。


ジゼルは、ただ、血が近いから、選ばれたに過ぎない。理由なんてない。ただ、不運で不幸な娘だっただけだ。




「あなたが、強すぎる執着を持っていたから。あなたは、浄化されるために選ばれたんだ。」




王家に、1世代に一人は生まれる執着の強すぎる、強欲な子ども。守り人はそのうちから選ばれる。




「あなたは執着することが、罪深いことを知ったはずだ。ほかの守り人同様、すぐに諦めて、捨てたのに、外に出て、また思い出したようです。ほかの守り人は、忘れたままでいるのに、陛下があなたの願いを叶えてしまったせいですね。」




ジゼルは、頭が痛すぎて、考えるのをやめた。

ジゼルは、執着する。その執着は、誰かを不幸にして、誰かの命を奪い、自分を害そうと止まらないものだ。それは、執着しないものにとっては、とても危険に見える。

そうだ、だから、自分は選ばれたのだ。

その執着で、人を不幸にした。その執着で、人を殺した。

だから、神殿に選ばれた。




「その執着は、あなたの愛する者を害し、あなた自身を不幸にしますよ。」




ジゼルは、ぼんやりとした表情のまま、顔を上げた。それは、守り人だったころの、何も感じない心に近づいた証拠だ。

ジゼルが、戻りたかった心に近い。手首の鎖をつけても、戻れなかった心に近づけた。

ジゼルは、神殿に戻ることが、自分の望みを叶える一番の手段に思えた。約束の指を見た。そこには、もう、とっくに赤いガラス玉の指輪はない。

その瞬間、自分が囚われていたものに気づいてしまった。だから、ジゼルは、戻ろうと思った。

神殿に戻り、諦めることを思い出して、そして、捨てようと思った。

執着ごと、すべてを忘れれば、きっと、ジゼルはこれ以上の不幸を知らずに済む。飛ぶことを知らない虫けらに、望みなどいらないことを思い出した。









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