【22】ほとんど初めましての人
「お母様――!」
幼いながらも勇ましい笑みを浮かべて、アレクは馬上から私に向かって手を振っていた。
「アレク!」
私も大きく手を振り返す。落馬しないか少し冷や冷やしながらも、しっかりと手綱を握って子馬の鞍に乗るアレクの姿に、とても誇らしい気持ちだった。
ここは、ノイエ=レーベン侯爵騎士団の練兵場。アレクは今、乗馬練習の真っ最中だ。私は朝から屋敷で書類仕事をしていたが、ひと段落着いたのでアレクの鍛錬を見に来た。
指導役の騎士は、アレクを見守りながら嬉しそうに目を細めた。
「このご年齢でこれほど立派に乗りこなされるとは。将来が本当に楽しみです」
「ありがとう」
アレクは日々よく頑張っている。勉強にも鍛錬にも一生懸命で、5歳とは思えない才気に満ちあふれている。
あの断罪劇から早3か月。
いつの間にか、アレクは私を「ママ」ではなく「お母様」と呼ぶようになった。少年当主としての自覚だろうか。……成長に喜びつつちょっぴり寂しい気もするのは、私だけの秘密である。
まだ小さい子供なのだから、もちろん遊びも大切だ。レーベン公爵家のテオ様を始め、同年代の子どもたちともよく遊んでいる。アニエス夫人が私たち母子をとても気にかけてくださり、交友関係もどんどん広がってきた。
指導役の騎士が、感慨深そうに口を開いた。
「ご当主様は、必ずやすばらしい騎士になりましょう。そう、亡きレオン閣下のように――」
「あら」
私はほんの少しだけ眉をひそめて、自分の唇に「しぃ」と人差し指を当てた。騎士は慌てて頭を下げる。
「……いえ、失礼いたしました。奥様」
「ふふ。分かってくれればいいの」
私は、騎士達や使用人たちに大切なことを命じてある。それは、『絶対にアレクとレオン様を比較しないこと』。たとえどんなに頑張っても、『さすがレオン様の子だ』などと言われてしまえばアレクが苦しむ。
父の栄光に縛られず、彼自身の意志と努力で未来を築いてほしい。
だって、アレクはアレクなんだもの。
(……誰にも、義母のような歪んだ視線をアレクに向けさせないわ)
ちなみに義母には、領内の風光明媚な別邸でご静養いただいている。まあ、言い換えれば辺鄙な田舎で軟禁中だ。名誉と権力をこよなく愛する方だったから、国王陛下の前で完膚なきまでに打ちのめされて真っ白になってしまった。全財産を没収され、社交場からも生涯追放――このまま誰にも相手にされず、ひっそりと世間から忘れ去られていくのだろう。
義母の悪行を思えば、甘すぎる罰かもしれない。でも、アレクに正しい心を示すにはこれくらいが妥当だと思った。……もちろん、今後よからぬことを企てたときは話が別だ。徹底的に断罪させていただきます。
ちなみに家令のシュバルツは、義母が失脚したと知るや、さっさと逃げ出そうとしていた。きっちり捕縛して、横領した侯爵家の財産を返済させるため鉱山労働に従事させている。
義母と家令を失ったノイエ=レーベン侯爵家だが、存外スムーズに回っている。義母への反発を募らせていた使用人も実は多く、私に忠誠を誓う者たちと一致団結して領地経営に当たっている。私自身も実家で両親の政治を補佐していた経験があるので、それが大いに役立っていた。
今の暮らしは順風満帆。
前の人生で息絶えた日を越えて、私達は未来への歩みを進めている。
とても満たされた気持ちになっていた、ちょうどそのとき。
「敵襲! 敵襲――!!!」
軍隊ラッパの音とともに、伝令兵がこちらに駆けてきた。
「竜です……!! 一頭の大型竜が……遥か上空より急降下中……!!」
――なんですって!?
緊迫が走り、私はアレクを馬から下ろして抱きしめた。空を見上げれば、日光を反射して輝きを放つ白い一点。天高くに見えたそれは、みるみるうちに私たちのもとへ迫ってきた――。
「アレク!」
「お母様!!」
竜が落ちる! 衝撃に備えアレクを抱えて身を固くするが、意外にも激震はなかった。ばさり、ばさりと大きな羽音を響かせて、目の前に浮遊する純白の竜は神々しい。
私は、息をするのも忘れていた。……だって、その竜の背に美貌の男性が跨っていたから。
「ジェシカ」
神の御使いのように精悍な姿。
白銀の髪を長く伸ばし、鋭い碧眼は6年前とそのままに。
竜の背に乗っていたのは、死んだはずの夫レオン・ノイエ=レーベンだったのだ。
「………………だ、旦那様?」
私もアレクも騎士達も、全員が呆然としていた。竜の羽音だけが響く沈黙の中、レオン様はひらりと竜から飛び降りる。
「息災か」
「……え。ぇ?」
竜に食べられて死んだはずでは?
「竜族との和睦交渉が成った。国王陛下にご報告に上がる途中なのだが、その前に…………どうしても、貴女の顔を…………み、見たかった、ので」
氷の美貌になぜか朱が差し、レオン様の声が尻すぼみになった。
ちょっと待って。
色々と説明が足りない……!
旦那様は、語った。
多大な犠牲を払った末の邪竜討伐。しかしわずかに生き残った邪竜が、レオン様を魔の森へと引きずり込んだ。……王宮からの報告の通り、強靭な彼を餌として喰らうために巣に持ち帰ったのだそうだ。
「喰われてなるかと、決死の覚悟で戦った。邪竜を最後の一頭まで根絶やしにしたら、他の竜どもに認められてな。……言葉は通じんが、意外と分かり合える連中だった」
(はい――――!?)
レオン様いわく、邪竜は魔の森の魔獣たちの中でもとりわけ邪悪な存在で、他の竜との折り合いが悪かったらしい。邪竜を滅ぼした功績で他の竜に認められ、ようやくすべての竜族と和睦を結んできた、と……。
レオン様に鼻面を撫でられていた純白の竜が、『クゥゥ』と気持ちよさそうに鳴いた。その様子からして、かなり信頼関係は深そうだ。
「竜族は王国への不可侵を誓った。その旨、国王陛下に報告しに行くところだ」
「さ。さようですか……」
氷の侯爵閣下にはあまりにも不似合いな脳筋プレイだ。
というか、この人とこんなに長く話したのは今が初めてなんですけれど。
「ですが、陛下にご報告する前に、なぜ私に?」
「必ず生きて帰ると書いたからな。……早く、約束を果たしたかった」
約束しましたか!?
彼はニコリともせず真顔のままで、まったく嬉しそうには見えない。
私は焦りに焦っていた。
(この人の母親、軟禁しちゃったんですけれど。どうしよう……!?)
だって『わたくしのレオンさん』だもの。最愛の母親を断罪されたと知ったら、きっとすごく怒るわよね……?
「おまえ、だれだ!!」
私に抱かれていたアレクが、そう叫んで飛び出してきた。警戒心を剥き出しに、レオン様の前に立ちはだかる。
レオン様は、ぽかんとした顔でアレクを見つめた。
「…………子ども?」
引き寄せられるようにアレクに手を伸ばしたが、アレクはズザッと後ろに下がって私に抱きついてしまった。その表情はまるで、毛を逆立てて威嚇する仔猫のようだ。
(これからどうなっちゃうの――!?)
困りすぎて気が遠くなる。なんだか、ふらふらしてきた……。
「ジェシカ!?」
「ママ!?」
抱きしめてくれた二人の温もりが、ぽかぽかしていて……なんだか夢の中みたい。
でも、夢なんかじゃなくて。
これは死に戻って悪嫁になった私と、愛する家族の物語。
口下手だけれどすてきな旦那様と、甘えん坊でしっかり者な息子と。
私たちが世界一幸せな家族になるまでには、ちょっぴり試練があったのだけれど……
それはまた、別のお話。
(第1章・完)
いつもお付き合いくださり、ありがとうございます!
ジェシカたちには、いちばん幸せになれる結末を贈ってみました。ブクマや★、感想でお声を聞かせていただけたら嬉しいです。
本当はここで完結の構想でしたが、最高の家族になるまでのところも書きたい……!
(;//́Д/̀/)ハァハァ
遅れてやってきたヒーロー(遅すぎ)レオン様、ジェシカやアレクとの絡みを考えるだけでワクワクします。
じっくり育てたい物語なので、これからもジェシカ達を応援いただけたら嬉しいです!!
このあと番外編をUPするので、お楽しみいただけたら幸いです♪





