【2】今度こそ奪わせない
今度こそ、アレクを絶対手放さない。だけれどあの子は今どこに?
未来の記憶を思い出し、私は唇を噛みしめた。
(お義母様は私になんの断りもなく、アレクを自分の養子にしてしまった……! アレクが1歳の誕生日を迎えた日のことだったわ)
だからアレクが物心ついた頃、そばに私はいなかった。私はアレクに近寄ることすら許されず、使用人たちの監視下で雑務に追われる日々だった。
『ジェシカさん。絶対にアレクに近寄らないで頂戴。あなたのように無能な女が実母だなんて、アレクにとっては汚点にしかならないわ!』
――だからアレクは、実の母親の顔を知らなかった。
それでもせめて、遠くからでもあの子を見たい。だから何度かは監視の目を潜り抜け、こっそりと幼い姿を追いかけた。庭の茂みに身を潜め、あるいは廊下の柱の影からそっと見守る。
月光のように輝く銀髪。
くりりと愛らしい碧眼は、幼いながらも勇猛さを秘めている。アレクは本当にかわいくて、呼びかけたい衝動を押し殺すのがどれほど苦しかったか――!
1歳半で歩き始めたアレクは、旦那様そっくりだった。だから義母は、あの子をどうしても「我が物」にしたかったのだろう。
だけれど成長するにつれ、アレクの顔には暗い影が射すようになった。
笑わない。
涙を見せない。
まるで虚ろな人形のよう。
義母が社交や政治にかかりきりで、アレクを顧みようとしないからだ。私から奪ったくせに、なぜ放っておけるの!?
そっと覗き見をしたある日、ひとりぼっちの薄暗い子ども部屋で、アレクがぽつんと膝を抱えていた。……なんて、悲しい姿なの?
思わず部屋に駆け込もうとしたが、使用人の足音が聞こえてきたので逃げ去ってしまった。あのときのことは、後悔でしかない。なりふり構わず部屋に飛び込んでいたら、何かが変わったのだろうか?
あのときの私は無力感と怒りで我を忘れていた。そしてとうとう耐えきれなくなって、涙ながらに訴えたのだ。
『お義母様!! どうして、アレクをないがしろにするのですか!? どうかあの子を母親として、ちゃんと愛してあげてください!』
――それが私の、身の破滅。アレクがもうすぐ5歳になろうとしていたある日、事件が起こった。
『ノイエ・レーベン侯爵夫人ジェシカ! 窃盗の嫌疑にて捕縛する!』
義母が仕組んだ罠だった。侯爵家の物品を盗んだことにされ、騎士達に捕縛されそうになる――私は必死で逃げまどった。
どこをどう走ったかも分からないまま、侯爵邸の敷地内にある古びた倉庫の地下室へと逃げ込んだ。そこには隠すように積み重ねられた膨大なレース織りがあり、そのすき間に私は身を押し込んだ。雪のように清らかな純白の中で、薄汚れた私は異物そのもの。震えながら、いつまでも息を殺していた。
でも。とうとう見つかってしまう。
『……いたぞ!! こんなところに隠れていやがった』
『おい。寄りにもよって、まずいぞ……ここは!! 一刻も早く引きずり出せ』
『レースは絶対に汚すなよ!? ここはバーバラ様の大事な――』
騎士達に縄をかけられ、私は屋敷から引きずり出された。屋敷の窓から、誰かがこちらを見下ろしている――
『……アレク!?』
アレクだった。
もうすぐ5歳になるアレクは、陰の射す美しい面立ちに何の感情も宿さぬまま、私に視線を注いでいた。
『アレク!! アレク――!』
血を吐くように、私は必死に我が子の名を叫び続けた。
けれどもアレクは、眉のひとつも動かさない。
小さく首をかしげはしたが、冷ややかな目で見つめるだけだ。あの罪人は、どうしてぼくの名前を呼んでいるんだろう? とでも言いたげな瞳だった。
あれが死に戻る前の私が最後に見た、アレクの姿――。
「……くしゅんっ」
回想を遮るように、いきなりくしゃみが出てしまった。
こんな真冬に、頭から水を浴びせられたせいだ。このままでは風邪をひいてしまう……ともかく一度、着替えに部屋に戻ったほうが良さそうだ。
そう思い、何気なく廊下の窓の外を見た。
ちらり、ちらりと雪が降っている。しんしんと空気が冷えているのも納得だ。
(そういえば、アレクを養子に取られた1歳の誕生日もこんなふうに雪が降っていたわね……)
そう考えた瞬間に、背筋がぞくりとした。
このノイエ・レーベン領は温暖な地で、雪なんて滅多に降らない。
出産してから獄死するまでの5年間で、雪が降ったのはほんの数回だったはず……。
「っ……、まさか今日は……」
弾かれたように立ち上がると、私は遠巻きに見ていたメイドに駆け寄った。
いきなりのことで、メイドはびくりと身をこわばらせている。
「答えなさい!」
「……え?」
「早く答えて!! 今日はいつなの!?」
血相を変えて掴みかかり、水滴を飛び散らせながら私は声を張り上げた。
「何年の何月何日かと聞いているのよ!」
「……大グリーストリア歴1501年の、1月……11日です」
「なんてことなの!?」
やっぱり今日が、アレクの1歳の誕生日だ。
「させないわ!!」
私はびしょ濡れのままで、義母の執務室へと突き進んだ。





