【18】爵位継承式
アレクが5歳を迎えたその日、ついに爵位継承の儀式が執り行われた。
場所は王宮の玉座の間。
厳粛な空気に包まれ、国内の有力貴族たちが居並ぶ。ノイエ=レーベン侯爵家の本家にあたるレーベン公爵家の夫妻の姿もそこにあった。
玉座に鎮座する国王のもとへ、純白の礼装を纏ったアレクが歩みを進める。その手を握って、並んで進むのはバーバラだ。ロイヤルブルーの絨毯を一歩一歩、足並みそろえて進むその様はさながらヴァージンロードの新郎新婦を思わせる。幼い当主と後見人――運命を共にする意味で、結婚式と似ているのかもしれない。
(……やっぱり、ジェシカからアレクを引き離して正解だったわ。最近しっかりしてきたのは、わたくしが目をかけてやっているからよ)
幼子ながら凛とした気配を漂わせるアレクを見やり、バーバラはご満悦だった。
(レオンさんに似て見栄えのする子だから、レース織りの宣伝にもピッタリね。アレクの礼装に用いたレース織りが評判になれば、ますます買い付けも殺到するでしょう)
アレクの礼装には、ノイエ=レーベン侯爵領特産の最高級のレース織りがあしらわれている。他領では織れない特殊技法で、バーバラが育てた職人たちにしか作り出せない品物だ。今日のバーバラ自身も、そのレース織りをふんだんに用いた華やかなドレスに身を包んでいる。
(あの小生意気なジェシカも、今ではすっかり大人しくなったし。もはや、わたくしを脅かすものはないわ!)
あの『誘拐事件』以来、ジェシカは意気消沈しているようだ。アレクを取られたのが、相当堪えているらしい。今日も謹慎を命じて屋敷に閉じ込めてきた。本当にいい気味だ。
――そんなことを考えながら、バーバラはアレクとともに玉座の前に辿り着いた。
「これより、アレク・ノイエ=レーベン卿の爵位継承式を執り行う」
宮廷侍従長の宣言が、玉座の間に響き渡る。
儀式は厳かに進み、玉座の傍らに立つ大司教が聖典を掲げて祝詞を唱えた。
「全知全能なる創世の神々よ、ここなる子・アレク・ノイエ=レーベンに正しき道を示したまえ。王国にますますの発展をもたらし、民を守る剣となるよう導きたまえ――」
列席する貴族が、一斉に首を垂れる。
やがて国王は王杓を掲げ、アレクの小さな肩に触れた。
「国王サミュエル・ド=セルジアの名において、汝アレク・ノイエ=レーベン卿の侯爵位継承を認めよう」
その宣言を、列席した貴族たちは静かに見守っていた。
「ありがたきしあわせに存じます」
騎士の礼をしたアレクが、幼い声でそう答えた。
「汝は幼少ゆえ、後見人を立てねばならぬ。後見人の名を告げよ、アレク卿」
それから国王は、アレクの背後に立つバーバラへと視線を移した。
――最高の瞬間だわ。
国王の認可の下、大勢の貴族たちの目の前で、今このときバーバラの地位と利権は揺るぎないものとなる。アレクを操り人形にして、成人後も祖母を敬わせよう。そしてあの愚かな嫁は、嫁いだ直後の頃のようにぼろ雑巾同然に扱ってやるのだ。
胸の高鳴りを抑えられないまま、バーバラは期待に満ちた眼差しをアレクに向けた。
そして次の瞬間、アレクは息を大きく吸い込んで――。
「もうしあげます、陛下。わたしの、こうけんにんは、――ジェシカ・ノイエ=レーベンでございます」
――!?
アレクの澄んだ声が玉座の間に響き渡り、バーバラはその場で凍り付く。
異様な静寂が広がり、列席する貴族たちは互いに顔を見合わせていた。
国王がすっと目を細めて、興味深そうにアレクに尋ねた。
「……ほう? 祖母であるバーバラ夫人を指名するものと思ったが、そうではないのか?」
「はい、ちがいます。国王陛下よりたまわった領地を、このように汚らわしい者にゆだねることはできません」
玉座の間にざわめきが走る。
(……なっ、何てことを言うの……この子は!?)
バーバラの頭の中が真っ白になった。こんなのは完全に想定外だ。
これまで繰り返し爵位継承式の練習をさせて、準備万端だったのに。アレクはいつもバーバラを指名していたのに。なのに土壇場で、とんでもないことを……!
しかし国王の前では、叱りつけることもままならない。
「ふむ。汚らわしい者、とな? そなたは祖母を、そのように申すか」
「さようでございます」
国王はハプニングをどこか楽しんでいる様子で、アレクに視線を注いでいる。するとそのとき――。
玉座の間の扉が、重々しい音とともに開いていった。
現れたのはジェシカだ。
(……なぜジェシカがここに!?)
バーバラは、喉から出かかった叫びを必死で堪えた。
礼装を纏ったジェシカは入口でカーテシーをすると、楚々とした足取りでまっすぐこちらに向かってきた。
「おや。そなたは」
国王の声に、深い礼ののちジェシカが応える。
「ご無沙汰しております、国王陛下。亡きレオンの妻、ジェシカ・ノイエ=レーベンでございます」
――なぜ。
なぜ? なぜ!?
動転して、バーバラの思考はすっかり乱れていた。貴族淑女の矜持で顔には出さないものの、胸の奥では動悸が止まらない……。
やがてジェシカはきっぱりとこう言った。
「陛下。バーバラ夫人は後見人として不適格です。アレクを支え導く定めは、この私が果たすべきものにございます」





