【12】カシウスという男②
私が返事をしなかったので、カシウス・ダリアンはふんわりと微笑したまま台車のチェストに視線を向けた。
「マダムとのご縁に感謝いたします。本日は、実にすばらしい品をお持ちいただいたようで」
「………………は、い」
「巨匠ヴェルダンの作品は我が国の宝。ぜひとも、当商会にお譲りいただけませんか。他の商会より高く買い取りますし、大切なお品であることを踏まえ、相応の扱いをお約束します」
「…………」
どうしよう。
お義母様に激似の男が出てくるなんて想定外だ。
(あの手紙は罠? 嫌がらせ!? それとも、燃えた部分には『会うな』って書いてあったのかしら……!)
だとしたら最悪だ。わざわざ会いに来てしまった!
「あの。マダム? ……ええと、お名前は――」
彼は、手にしていた書類に目を落とした。さきほど交わした、指輪を担保にした借用証書だ。
「マダムジェシカ・ノイエ=レーベン。………………ノイエ=レーベン?」
そこに書かれた私の署名に、彼は目玉を落ちそうなほど見開いた。
「……は!? ノイエ=レーベン?」
色男じみた余裕はどこへやら。商会長の風格も消え失せ、カシウスは街のチンピラのような態度になった。
「じゃあ、あんたがまさかレオンの嫁か!? 何しに来やがった! しかも今さら来るなんて、本当に意味が分からねぇ」
意味が分からないのは私のほうだ。
何をどうしたらいいのか、さっぱり分からない。
「あんた、一体何の用だ?」
「夫からの手紙に、あなたに会うよう書いてありました。だから……」
実際には『会え』と書いてあったか不明だけれど、今はそういうことにしておこう。
「お金の借り入れは、ただの口実だったんです。本当は、あなたにお会いする為にここまで参りました」
「冗談じゃない。まさか本当に嫁が頼ってくるとはな……レオンの奴、いつも俺に面倒ごとばかり押し付けやがって。つくづく迷惑な野郎だな!」
思いきり嫌そうな顔をして、カシウスは応接室のドアに向かった。
「巨匠のチェストは、もうあきらめる。それを持って、さっさと帰れ。俺は、あの婆さんには関わりたくないんだ! あの婆さんのせいで、無駄な苦労ばかりさせられる」
「ちょっと……待ってください!」
応接室から出ようとしたカシウスを、私は必死に引き留めた。
この男は『レオンはいつも面倒ごとを押し付ける』と言った。『あの婆さんのせいで苦労させられる』とも。少なくとも私よりも、カシウスのほうが事情に通じているのは間違いない。
「ダリアンさん! もしレオン様から何かを託されているのなら、その通りに……どうか、私に力を貸してくださいませんか?」
「断る。俺には何のメリットもない」
ばっさりと切り捨てられて、思わずうろたえてしまった。
私の困惑ぶりが滑稽だったのか、カシウスは不意に嗜虐的な笑みを浮かべた。……この男、性格が悪い。
「レオンもあんたも気安く俺を使おうとするが、見返りを用意しているのか?」
「……見返り?」
「当然だろう。金を借りるには担保がいる。手を借りるには見返りがいる。あんたに差し出せる物はあるのか? ……ああ、マエストロ・ヴェルダンのチェストは駄目だ。芸術品を薄汚い取引に使うなんて、そんな冒涜行為は俺のポリシーが許さない」
ぺらぺらと一方的にしゃべっていたカシウスは、不意にニタリと私を見つめた。
「それとも、俺の秘密の恋人にでもなるかい?」
「なっ……」
話題の飛躍についていけない。この男はどういう頭をしているのだろう。
「対価に自分自身を差し出す度胸はあるか――っていう話さ。天国のレオンが、悔し泣きするかもしれないだろう? それなら、まあ面白い」
「無礼な! 一介の商人風情が、侯爵家を愚弄する気ですか!?」
「侯爵家ねぇ……。だが、虚勢がまったく板についてないぜ? マダム」
ニヤニヤと、意地悪そうにカシウスは唇を吊り上げている。
「侯爵夫人と言ったって、あんたは冷遇されてる口だろう。レオンに先立たれて、あの婆さんにさんざんいたぶられているはずだ。他にどうすることもできないから、見ず知らずの金貸しなんざに泣きついてきた。図星だろう?」
「……っ」
返す言葉を失う私を見つめて、カシウスはますます得意げだ。……本当に性格が悪い。お義母様にそっくりだ。
「今日だってどうせ、婆さんに無断で屋敷を抜け出してきたんじゃないか? だったら今ここで、俺に何かされたとしても誰にも相談できないだろう?」
そう言うと、カシウスは私に手を伸ばしてきた。無遠慮に頬を掴んで、ぐっと引き寄せてくる。
そして……彼の瞳を見て分かった。
この男は情欲の相手として私を求めているわけではなく、ただ怖がらせて楽しんでいるだけだ。
「いい加減になさい!」
私は大きく振りかぶり、カシウスの手を叩き落そうとした。その直前――。
――バン!
という音がチェストから響き、小さい影が飛び出した。同時にカシウスが「痛っ」と呻く。
「ぼくのママにさわるな!」
耳と目を疑った。チェストから飛び出してきたアレクが、カシウスのすねを蹴り飛ばしていたのだ。
「アレク……!?」
いつの間についてきたの……!?





