全ては俺の為
取り敢えずCASE終了。
あれから、俺は碧花の家に強引に連れていかれ、暫く彼女の部屋で過ごす事になった。直前の出来事にショックを受けていた俺は成す術もなく彼女に連れていかれ、今、彼女の自室に座っている。『勝手に帰ったら許さない』と言われているが、今の俺に自分から動く気力は無い。それくらいのショックを受けていた。
こんな経験、したくなかった。
目の前で投身自殺を見せつけられて健常な精神を保てる奴が果たしているのだろうか。いや、居る筈がない。居たとしたらそいつは実行犯だ。もしくは戦争の中で生きてきた自分とは違う次元の人間だ。まともな社会に生きる俺に言わせれば、あの光景は刺激が強い処の話では無かった。
俺のせいではないとはいえ、目の前でクラスメイトが死んだのだ。しかも俺は、その直前を目撃していながら止められなかった人間だ。俺以外にも菜雲が死んだ事を知った同級生は恐らく居るだろうが(時間の経過的に)、それでも目の前で死なれてしまった俺よりも、ずっと軽いショックの筈だ。彼女と親友という事であればこの限りではないが、俺の知る限り、彼女が特別誰かと仲良くしていた風には見えなかったので、そんな人間が居るとすれば、家族くらいだろう。
碧花は一階に下りている為、会話する相手も居ない。する事もなく、動く気力も無かった俺は、暇潰しの様に彼女の部屋を見渡した。
何かが変わっている様子はない。強いて言えばプールに行った時に買った巨大アザラシが増えている事くらいだ…………
―――ん?
竹刀袋だろうか。全体的に柔らかい雰囲気を持つ彼女の部屋に似つかわしくない逸品が部屋の隅に立てかけられていた。彼女が剣道部出身である筈はないが、竹刀袋の中身が空という訳ではなく、しっかりと何かが収まっている。
「やあお待たせ」
俺の興味が向きかけた瞬間、木製のトレーにコップを乗せた碧花が入ってきた。彼女は俺と机を挟んで座ると、トレーの上に載せてあったコップを目の前に置く。
「はいこれ。ココア」
「あ、有難う」
彼女とお揃いのコップである事に、本来の俺ならば疑似的な恋人気分を味わえてさぞ幸せだっただろうが、どうにもそんな気分にはなれない。大人しくコップを掴み、碧花お手製のココアに口をつける。
―――上手い。五臓六腑に染み渡るこの暖かさは、ショックで委縮していた俺の心を落ち着かせてくれた。
甘さも、俺が一番好きな加減だ。彼女に教えた覚えは無いのだが、偶然だろうか。
「……美味しい」
「そう。なら良かった」
ココアを置いて、俺は何を言うべきかを迷った。正直、この心の中にある感情については俺自身もまだ整理出来ていないのだ。だから、会話をするなら彼女の方から振って欲しかったのだが、碧花はじっとこちらが喋り出すのを待つかの様に、ずっと俺の事を見つめていた。深淵色の瞳が、俺の意識を呑み込んでいるみたいだった。
「……あの竹刀、何だ?」
整理出来ていない事を話しても、脈絡のない言葉が悪戯に出てくるだけである。一先ずは先送りにして、俺はついさっき気になったあれについて問い質す事にした。
碧花が俺の見ている方向に振り向いた。
「ああ、あれ。竹刀じゃないよ、本物の刀だ」
「本物ッ?」
半信半疑で驚く俺を一瞥してから、彼女は立ち上がって袋からそれを取り出し、俺の前で少しだけ鞘から抜刀した。
俺は刀に詳しい訳ではないが、その刀は普通の物とは違う気がした。何処かどう具体的に違うのかは言葉にはしにくいが、刃に浮かんでいる波模様が普通では無かった。見ているだけでも迫りくる波しぶきを感じるというか、振り回されれば今にも切り裂かれてしまいそうだった。
持っている訳でもないのに、その刃から重さを感じる。奇妙な感覚だった。
「濤乱刃という。有名な刀工の作る濤乱刃は日本刀で最も美しいとも言われているね。安心してくれ。私はこれを合法的に所有している。決して法律に引っかかる様な物じゃないから」
「そ、そうか…………それ、高いのか?」
「高いよ。高校生ではとても払えそうもない金額だ。ああ、外に持ち出しちゃ駄目だよ。こんなものを振り回したら銃刀法違反で犯罪者になるから」
「振り回さねえよ!」
碧花は直ぐに刀を収めて、再び竹刀袋の中に。刃文の種類を言われても、素人である俺にすれば「だからどうした」という話だが、何故だか俺の興味は離れなかった。何故だろう。特別あの刀に何かを感じているという訳でもないだろうが。自分でもよく分からない。
再び机を挟んで彼女が座る。
「君が話したかったのはそんな事?」
「…………いや。……なあ、何で菜雲は、死んだんだろうな」
「何で、と言われても。私が知っている道理はない。あれは自殺だよ」
「何でそう言い切れる?」
「投身が他殺なんておかしな話があるかい? 屋上なんて隠れ場所もそうそうないしね。それとも、君は彼女の背中を押す犯人を見たとでもいうのかな」
見ていない。俺が見えたのは、屋上の縁に立っていた菜雲だけだ。物理的に距離が遠かったから良く分かる。走り出しても距離が変わった感じは全くせず、遂に俺の目の前で彼女は飛び降りた。
あの時、彼女は何を思っていたのだろうか。集団レイプされた事実は映像から見ても明らかだが、気になる事は幾つかある。
あの校舎は何処なのか。
どうやってあの屋上まで移動したのか。
あの男達は誰なのか。
何処に行ったのか。
何で。
何があって、菜雲があんな末路を辿る事になったのか。いや、もっとおかしな事があるとすれば、それは俺の心境である。
「……俺は、ショックを受けている。救えなかったとかそういう事じゃ無くて、目の前で人が死んだ事に、ショックを受けてる」
「うん」
「でもさ……涙が出る程、悲しくないんだよ。最後まで俺の心に在るのは困惑だけなんだ。ちっとも悲しいと思えてこないんだ。何でだろうな」
これは何と愉快であり得ない話である。俺は自分の事を善良だと言っておきながら、同級生の死に涙を流せないのだ。こんな悪党が居てたまるか。こんな外道が居てたまるか。俺は『首狩り族』という名前を嫌がっておきながら、いつの間にかそれに恥じない悪党になっていたのだ。
自虐みたいな問いを受けて、碧花は指を組んだ。
「仕方ないよね」
返された言葉は、この上なく淡白だった。
「仕方ない……だと?」
「ああ、仕方ない。私が生きている時点で君の『首狩り』は嘘っぱちだけど、それを抜きにしても、君は今回どう関与したんだい? 学校で関与しているだけで発動するのだったら、今頃私達の居る学校は人が消えてしまっている筈。言い換えると、目の前で死んだ所で君は赤の他人という事だ」
「赤の他人って……同級生だぞ! ニュースじゃあるまいし!」
「ニュース。その通りだ」
彼女はココアに口を付ける。
「ニュースで誰かが殺されて、涙を流せる人が居るかな。物騒だとは思っても、そんな人はいない筈だよ。少なくとも大多数ではない。それがどうしてか、分かるかい?」
「関係ないからじゃないのか」
「そう。関係ない。関係ないから悲しくないんだ。例えば、今この瞬間。何処かで誰かが死んでも、私達は全く悲しくない。その人を知らないから……言い換えれば、好きじゃないから」
「好きじゃない……」
「私は知っているよ。君がクラスでどんな扱いを受けているかを。菜雲も君を嫌っていた一人だった。君にしてみれば自分に悪意を持つ人間が一人死んでしまっただけの事。悲しくないのはそういう訳だから、君が悪人とかそういう事じゃない。至って普通の事だ」
「そんな言い方ってないだろ。アイツは―――!」
「では君は、彼女の事が好きだったかい? 自分を嫌ってくる彼女に対して、少しでも好意を抱いていたのかい?」
それは…………。
俺は言葉に詰まった。彼女の言う事があまりにも正しい事を認めたくなかった。でも正しいから、認めざるを得なかったのだ。
菜雲が死んだ事に困惑しか出てこないのも。ショックの理由も『笹雪菜雲が死んだから』ではなく、『目の前で人が死んだから』なのも。彼女の理屈を通せば全て繋がる。
俺を煙たがる人が一人消えただけ。俺からしてみればその事実だけが残った様なものだ。だから困惑しか出てこない。『何故』と問うても『どうして』とは嘆かない。滂沱の涙を流し、三日三晩泣き続けては寝込む程の衝撃は受けない。
例えば、これが碧花であれば話は変わっていただろう。俺は彼女にそうさせた奴を憎んだ筈だ。そしてソイツに地獄を味わわせる為に、どんな手段を使ってでも追い詰めた筈だ。
たとえそれが社会から逸脱した行為だったとしても、終わった後に何も残らなかったとしても。俺はそれくらい、水鏡碧花の事が大好きだから。
答えられないでいる俺を見透かして、碧花が言った。
「そういう事だ。良くも悪くも、君は普通の人間だよ。嫌いな人間の死にショックは受けても悲しまない。悲しめない。いや、むしろ悲しめない事に疑問を持ち、それを嘆いている分、他の人よりは優しいよ。必死に悲しもうとしている分、口だけの偽善者よりかはずっとマシさ」
何かを言う事も出来なくて、俺もココアに口を付ける。温度は多少冷めていたが、何らかの工夫がされているのか、変わらず俺の心を落ち着かせた。
「そう言えば、文化祭は中止されるらしいね。当然と言えば当然だけど…………」
「そんな事、どうだっていいよ! 何で……俺は泣けないんだよッ、何で俺は普通なんだよ!」
「泣きたいの?」
「当たり前だろ! 同級生が死んだのに泣けないなんて……人としてどうかしてる!」
「そんな事、ない」
碧花は俺の手を握って、ジッと俺の双眸を覗き込んでいた。言葉の冷たさとは裏腹に、その手は非常に暖かかった。
「―――あまり人を慰める事は、得意じゃないけど。私は君にそんな悲しい顔を浮かべて欲しくないんだ。君には、いつまでも笑顔で居て欲しいんだ」
暫くしてから、碧花はとても申し訳なさそうに顔を歪めた。
「―――私は駄目だね。君に何と言葉を掛けて良いか分からない……もう、正直に言うよ。君に彼女の死を引き摺って欲しくない。だって君は悪くないんだから。誰が何と言おうと、今まで一度たりとも君が悪かった事なんて無いんだ」
「…………なあ、碧花」
「何?」
「今日、泊まって良いか?」
何を思ってそんな事を言い出したのかは分からない。只一つ言えるとすれば、妹にこんな顔を見せたくなかったのだ。俺の泣き顔は、俺の情けない顔は、碧花にしか見せられなかった。これもおかしな話だ。彼女に男として強く見られたいのに、情けない顔を見せられる人物が彼女しか居ないなんて。
唐突な俺の発言に、暫く碧花はキョトンとしていたが。
「―――いいよ」
快く、頷いてくれた。
「ぶ、文化祭が中止だとおおおおおおおおおおお!」
俺はその通達を受けた瞬間、現実がちゃぶ台返しされた様な衝撃を受けた。
「部長!」
「気をしっかり!」
「こ、こんな……こんな筈は。俺の、俺の素晴らしい作品が」
「部長!」
「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!」
間もなく俺は泡を吹いて倒れた。今年で卒業だというのに文化祭が中止になった事実は、俺にとって到底受け止めきれるものではなかった。
余韻もへったくれもありませんが、たまにはこんなオチも良いのではなかろうか。




