ガンドルンのバスパーク
「ふおお……やっと着いた」
すっかり泥パック状態のゴパルが、車から降りて大きく背伸びをした。
バスパークは、広い段々畑を切り崩して作られていて、結構広い。民宿や喫茶店、それに居酒屋もあり、ちょっとした町になっている。人通りも多く、賑やかだ。
さすがにグルン族ばかりで、顔立ちが一重まぶたの丸顔ばかりである。服装は、半袖シャツにジーンズ、サンダルと同じだが、年配の男女は民族衣装を着ている。
ミニバスや、四駆のピックアップトラックからは、ナヤプルから届いた米袋や油缶、鶏卵を五十個ほど収めた紙製の器、牛乳や脱脂粉乳、衣料品やトマト等の野菜を荷降ろししていた。バスパークに仲卸の店があるので、ここから、各地の小売店や家に流しているのだろう。
「安い食料品が、こうして大量に届くようになると、段々畑で苦労して栽培する人は減るよね……」
ゴパルが微妙な表情で、仲卸店の搬入作業を見つめていると、小型四駆便の運転手が少し呆れた顔をしてやって来た。
今は、乗客が屋根に縛りつけていた子山羊や、竹カゴに入った鶏、それに米袋等を、泥だらけの地面に下ろしている。一応は砂利を敷き詰めているので、あまり酷い泥まみれにはならないようだ。
「オイ、兄さん。レインウェアをチャイ、洗ってこいよ。そこに水道があるから、それを使え。アンタの荷物は、俺が見ていてやるからさ」
確かに、荷降ろし作業が終わるまでには、もう少し時間がかかるようだ。
グルン族等の山間地に住む民族は、ネパール語に癖がある。特にグルン族の場合は、語中にチャイを付ける傾向がある。
なので、丁寧な言い回しであっても、少し変な物言いになる事があるのだ。ちなみに、チャイという単語には、特に意味は無い。
当然、そういう細かい指摘はしないゴパルである。微笑んで了解した。
「じゃあ、そうするかな。水場を借りるよ」
運転手がニヤニヤして胸を張った。こうして改めて見ると、年齢は三十代後半か。身長は百六十センチほどで、腹が出ている中年太りだ。しかし、山岳民族らしく骨太で、手もゴツゴツしている。
収入も良いのだろう、半袖シャツとジーンズも新品だ。スマホも胸ポケットに突っ込んでいる。何よりも、泥汚れがほとんど無い。
「おう。山の沢から引いている水だから、遠慮なく使ってくれ。だが、飲むなよ」
ゴパルが水場へ向かうと、既に洗車用のゴムホースが取りつけられていた。
蛇口をひねると、勢いよく水が噴き出す。特に悪臭や色も付いていないようだが、忠告に従ってレインウェアを洗うためだけに使う事にする。
レインウェアは、前もって裾と袖や襟元を合わせていたので、内部へ染み込んではいなかった。レインウェアを着たまま、水をかけて泥汚れを洗い流していく。やはり吸血ヒルが数匹、泥の中に潜んでいたので、軽登山靴で踏み潰す。
レインウェアが綺麗になったので、次に顔と手を洗い、一息つく。念のために軽登山靴を脱いで、首筋と、手首に手を当てて、吸血ヒルやマダニ等が食いついていないかどうかを確認した。被害は無かった。
ただ、乗客の誰かにくっついてきたのか、数匹のノミが手首と首筋に居たが。
車に戻ると、既に荷物は全て降ろされていた。運転手がニヤニヤしながらゴパルに手を振る。
「お、洗ったら、少しはハンサムになったじゃねえか。ほら、アンタの荷物だ。受け取れ」
リュックサックは防水のために、開口部分や縫い目等がシールされている。誰もリュックサックを、ゴパルに無断で開けていない事を確認して、運転手に礼を述べた。
「済まないね。おかげで綺麗になったよ。ありがとう」
運転手が照れくさそうに笑った。
「気にすんなって。見た所、普通の観光客でも無さそうだな。会社の営業かいナ?」
ガンドルンまで、営業に来る人がいるのか、と内心驚くゴパルだ。
「仕事ではあるけれど、会社じゃないよ。大学なんだな、これが」
思わず口調が砕けるゴパルであった。すぐに気づいて、丁寧な口調に戻す。
「アンナプルナ氷河のそばに、低温蔵を作る計画です。その測量や、現場確認のために来たのですよ」
運転手が興味深そうに話を聞いて、太い眉毛を上下させた。
「ほう、そうかい。俺は今日の仕事はこれで終わりだ。洗車と記帳するだけだから、もっと詳しく聞かせてくれよ」
ゴパルも、今日はこの上にあるという、ガンドルンに泊まるだけなので、気軽に応じた。
「測量を今回終えて、首都に戻ったら、本申請を行ないます。私の上官が根回しを終えているので、すんなりと認可されるでしょう。低温蔵が完成すれば、私も学生と共に頻繁に、首都から行き来すると思います」
そして、クシュ教授から調べるように言われていた、現地の資材運送会社や団体、施工業者の情報を聞いてみた。
「どうかな? 誰か引き受けてくれそうな知り合いが居ると、とても助かるのだけど」
ゴパルの問いに、ニヤリと大きく笑う運転手だ。
「ガンドルンには多いけれどな。だけど、ガンドルンの業者ばかりが儲かってるのは、俺としては不満だな」
運転手の黒い瞳が、キラリと輝いた。
「で、だ。谷を挟んだ向かいの、ランドルンの業者を使ってみないか? 俺の故郷だ」
あからさまな誘導工作なのだが、まあいいかと素直に話に乗るゴパルであった。この辺り、研究職の人らしく、大雑把である。
「そうだね。今日は世話になったし、頼むよ」
運転手が、ゴパルの即答に少々面食らったような表情を浮かべたが、すぐに満足そうに笑った。
「任せろ。それじゃあ、自己紹介をしておくか。俺はディワシュ・グルン。谷向かいのランドルンの出身だ。蔵の建設資材は俺が運んでやるよ。ランドルンは車道が通っていなくてな、ガンドルンばかり発展して悔しかったんだ」




