アバヤ医師の話
ゴパルの反応を見て、ほっとする給仕長と、協会長であった。アバヤ医師達は、騒ぎにならなくて、少々不満そうだが。早くもフランス産のワインの分け前を飲んでいる。そのため、彼と彼の妻のテーブル上には、赤ワインのグラスが四個あった。
「ゴパル君。子鳩のローストであれば、北ブルゴーニュ地方の赤ワインと合わせるのが常識なんだよ。しかも、そのワインは、その中でも、より相性が良いコート・ド・ニュイ地区の赤ワインだ」
フランスの地区の名前を言われても、よく分からないゴパルであるが、ここは黙って聞く事にしたようだ。
アバヤ医師の話が続く。
「しかも、モレ・サン・ドニ村のクロ・ソロンという畑で収穫された、ブドウだけを使って仕込んだ、比較的高級な赤ワインだな。銘柄も村の名前だ」
そう言って、国産ワインとフランス産ワインの瓶を、給仕長に頼み、彼のテーブルへ持ってきてもらった。それを比較しながら、話を続ける。
「今回の子鳩料理のソースには、アルマニャックが使われておる。この香りが、モレ・サン・ドニにも含まれているんだよ。つまり、この料理に合って当然の酒だな」
アバヤ医師にそう言われると、何となく納得してしまうゴパルである。
そんな反応を楽しむかのように、アバヤ医師が指摘した。
「しかも、値段も比較的安いんだよ。六千五百ルピーくらいだから、ワシらでも余裕をもって注文できる」
はへえ……と、目を点にするばかりのゴパルであった。ちなみに、それだけの金があれば、ニジマス料理を、一週間、朝昼晩と食べ続ける事ができる。屋台の安いチヤだったら、六百五十杯分にもなる。
アバヤ医師のネタバレ解説に、協会長と給仕長とが口元を緩めている。隣のテーブルのアバヤ医師が、今度は国産ワインを指さした。
「そのワインは、テンプラニーリョ種の黒ブドウでな。スペインやポルトガルといった、イベリア半島が原産地だ。ネパールのように、雨が降って温暖な山間地に適した品種だな。作り手が優秀であれば、長期熟成にも耐えるんだが、まあ、飛びぬけて優秀な品種では無い」
アバヤ医師の説明に、感心するゴパルである。
(という事は、首都のワインって、意外に優秀なのかも……)
そんなゴパルの思いを、蹴飛ばすかのように、アバヤ医師がニヤリと笑った。
「……が、モレ・サン・ドニ村のワイン品種であるピノ・ノワール種とは、比べるべくもないな。ちなみに、両方のワイン共に、単一畑で収穫されたブドウだけを使って仕込んだ酒だ。ブドウ品種と畑の質の差が、否応なく分かる。それと、作り手の技量もだな」
バッサリと言い切った。がっくりするゴパルだ。アバヤ医師が、愉快そうに口元を緩めながら、話を続ける。
「テンプラニーリョ種は、値段も安い。六分の一程度の売値だ。その分、気兼ねなく毎日ガブガブ飲めるぞ。汎用性も高いから、ピザを含めて、色々な肉料理に合う」
アバヤ医師は、熱心に寺院へ参拝しているヒンズー教徒なのだが、酒に関しては、ゴパル並みにいい加減なようである。ヒンズー教では、飲酒はあまり推奨されていない。
給仕長が、申しわけなさそうにゴパルに告げた。
「アバヤさんの言う通りです。比較対象が残酷でしたね。申し訳ありません。モレ・サン・ドニは、五年以上の熟成を経ますと、なめし皮のような獣臭を帯びてきます。その獣臭が、子鳩の風味を補ってくれます。今回のワインは、その風味が出始めた段階ですね」
つまり、今回飲んだワインは、まだまだ序の口だという事である。
子鳩の風味だが、一般的には若い鶏のササミ肉よりは、しっかりしている。ただ、子鴨の胸肉と比較すると、脂の風味が弱い。
ゴパルが衝撃を受けたような表情になったので、給仕長が弁解気味に補足説明を加えた。
「もっと安い、熟成が進んでいないような若いワインでは、ベリー系統の果実香が強いので、この国産ワインと似たような感じですけれどね」
アバヤ医師が、ニヤリと笑った。
「国産ワインに、かなりの過大評価だな。ソムリエのギリラズ君が言うべき内容では無いぞ。この店で飲む外国製ワインは、全て専用カーゴでの空輸直送便だ。輸送中の品質劣化は起きないぞ。さらに、専用の洞窟で静置してから、客に出しておる。むしろ、国産ワインの方が、貧相なトラック輸送による、品質劣化の危険があるのだよ」




