トマト苗 その一
ハウスの構造は、堆肥製造のハウスと同じだった。雨上がりなので、今回も側面のシートを巻き上げる。
底が網になっている黒いプラスチック製の育苗箱が、ズラリと並んでいた。地面から三十センチほど上になるように、廃材で作った木枠の上に置かれている。
地面に直接置くと、地面からの湿気の影響を受けてしまうためだ。蒸れてしまい、カビ等の病原菌にやられる恐れが高まる。また、ナメクジや、虫の被害を軽減する目的も兼ねている。
ちょうど、苗箱ではトマトの種が発芽したようで、小さな若草色の芽が出ていた。
ゴパルが顔を苗箱に近づけて、芽生えたばかりのトマトをじっくりと見る。育苗土の臭いも嗅いでいるようだ。
「腐葉土の臭いが、ちょうど良い具合です。発芽障害は起きていませんね。一斉に発芽していますし、さすがです。育苗土は自作なのですよね?」
カルパナが散水ホースを伸ばしながら、照れている。
「はい、自作の土です。先日、ゴパル先生にお見せした堆肥を、土と混ぜて、半年間ほど寝かしてから使っています。出来上がるまでに月日がかかるので、なかなか量産ができませんね。KLには期待していますよ」
ゴパルが苗箱から顔を離した。土の臭いに満足している様子である。
「鶏糞に限らず家畜糞は、腐敗菌や病原菌の塊ですからね。それらの菌の活動が弱まるには、そのくらいの期間がかかりますよね」
さらに、トマト苗の色を見ながら、順調に育っているかどうか確認する。
育苗土が栄養過多だと、濃い緑色になってしまい、根が張らずに茎だけが伸びてしまう徒長苗になる。一方、栄養不足だと、黄色くなってしまい、いじけた葉になって育たない。
この育苗土は、ちょうど良い量とバランスの栄養を含んでいるようだ。
ゴパルの話を聞いたカルパナが、少し首をかしげて、散水を始めた。霧のような細かいシャワーだ。苗箱の五十センチほど上から散布している。苗箱の土に届く頃には、本当に霧雨のようになっていて、外から吹き込んで来る風に乗って、煙のようにたなびいている。
「乾燥鶏糞でも危険ですか?」
ゴパルが淡々とうなずいた。
「そうですね。天日乾燥では、殺菌は無理ですね」
カルパナの目が点になっている。
「え? そうなのですか? 農地の天地返しや、中干し、壁土や祭祀で使う乾燥牛糞も、殺菌できていないのですか?」
天地返しというのは、畑の深い場所の土を掘り起こして、天日に曝す、土壌改良の技術だ。
中干しは、水田の水をしばらくの間抜いて、田に亀裂ができるまで乾燥させる栽培技術だ。水を張ると、夏場では土壌が酸欠になりやすい。酸欠が酷くなると、有毒ガス等も発生し、水稲の根が呼吸できずに窒息して、枯れてしまう。それを未然に防ぐために行うものだ。
乾燥牛糞は、ヒンズー教では不浄では無いものとして扱う。細かい繊維が多く含まれるので、壁土に混ぜると粘りが強められて、丈夫になる。祭祀行事でも、塗料の原材料の一つとして使われる。
再びゴパルが、淡々とうなずいた。
「太陽光に含まれる紫外線は、微量ですからね。専用の紫外線殺菌機を使っても、透明度の高い飲料水の殺菌が限度です。土粒の中まで紫外線は透過しませんから、おまじない程度と思った方が良いと思いますよ」
専門家なので、有無を言わせない断定口調になっているゴパルであった。
しかしまあ、カルパナとゴパルとでは、殺菌の基準が異なっている。
カルパナの基準では、病原菌が居ても悪さをしない程度で構わないのだが、ゴパルの基準では、病原菌の存在自体を許していない。実務家である農家と、研究職との違いだろう。




