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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
氷河には氷があるよね編
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セヌワへ

 ヒンクから急な下り坂を下りていくと、雪が消えて泥道になってきた。東西の絶壁から流れ落ちている、大小様々な滝の轟音がうるさい。

 草の丈も次第に高くなり、生きている草の割合が増えてきている。

 思わず、採集をしようかと立ち止まるゴパルであったが、ここは首を振って我慢する。珍しく、垂れ目が吊り上がっている。

「アンナキャンプで吹雪だったから、セヌワでは雨になっていたはずだ。夕方になって、そんな泥道を下るのは危険だ。ここは、明るい間に、少しでも先を急いだ方が得策」

 自身にそう言いつつも、やはり目が、あちこちの草むらに向かってしまうのではあったが。


 実際、ヒンクの坂を降り切ってからは、東西の絶壁からの滝と沢の数が、倍くらいに増えていた。

 轟音も酷いのだが、それよりも岩混じりの土道が、かなり泥まみれになっている。足元が泥で滑るので、草の上を歩く。 もちろん、草の上も滑るのだが、少しはマシだ。

 ゴパルは国内のあちらこちらを、採集で旅しているので、比較的泥道に慣れている。器用に草から草、それに岩の上に飛び移って道を下っていく。

「外国人の観光客じゃ、転ぶ人が多そうだな」


 そんな事を考えながら、いくつかの民宿が点在する場所を通り過ぎる。やはり、足を捻ったらしい欧米人や、インド人、中国人の観光客が、民宿の軒先で湿布を貼っていたりしている。

 中には、話が違うとか何とか言っているのか、フランス人らしき中年の男が、ガイドに頭突きをしていたりもしていた。

 コメントを差し控えるゴパルである。その代わりに上空を見上げて、レインウェアのフードを被り直した。

「雨になったか」

 重く垂れこめている雲からは、雪では無く、雨が降り始めた。東西の絶壁から、流れ落ちている滝も太くなり、モディ川もかなり増水している。草やぶも、灌木が混じって立体的な印象になってきた。

「本当に、水の壁の間を歩いているような感じだなあ」


 そのような雄大な景色も、不意に細竹とシャクナゲの林に入ってからは、遮られて見えにくくなってしまった。

 早速、吸血ヒルが現れた。シャクナゲの葉の裏で、背伸びをして頭を振っている。獲物を探しているのだろう。

「あ、そうか。ヒル対策をしておこう」

 ゴパルが立ち止まって、リュックサックの中から、足の保護シートを取り出して巻きつけた。手袋と靴の防水シールを確認する。

 手鏡も取り出して、レインウェアのポケットに突っ込んだ。吸血ヒルが木の枝から落ちて来て、顔や首に食いついても、痛みを感じない場合がある。違和感を顔や首に感じた際に、手鏡で映して確認するためだ。


 装備を更新して、再び泥道の坂を下り始める。

 足元には、次から次に吸血ヒルが取りついてきた。尺取り虫のように動きながら、咬みつく場所を探している。肩やフードにも、ポトリポトリと、数センチ級の吸血ヒルが落下して取りついてきた。

 それらを手鏡を使い、適当に振り払いながら、竹林とシャクナゲの林の中を下る。


 次第に、落葉広葉樹が混じり始めて、森が一気に高く暗くなってきた。

「レクを抜けたかな」

 体調に異常は感じられないので、ほっと安堵するゴパルだ。ポカラの寺院で参拝をしたおかげかな、と感謝する。

 ふと、広葉樹の根元にチチタケが生えていたのを見つけたのだが、これも採集を断念した。

「キノコ採集は、夢中になりやすいからね。上る際に採ったキノコで、今回は十分なはずだ」

 実際には、採集したキノコの組織片が傷んでいたり、雑菌が繁殖したりして、ほとんどの採集サンプルは廃棄しないといけない。

 森の中に入ったせいで、東西の絶壁を流れ落ちる滝の轟音は、聞こえなくなってきた。アンナキャンプでも、ずっと風の音を聞いていたので、森の中の静寂に気分が落ち着く。

「本当に、ヒルさえ居なければなあ……」

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