コーヒー休憩
雑談を交わしている間に、臼を使ってのコーヒー豆の精製が終了した。今回はすり潰し機能の確認と使い方の説明が目的だったので、カゴ一つ分のコーヒー果実だけを使用している。
シャムが木製の臼を分解して、破損個所や摩耗の程度を調べた。
「特に問題は生じていませんね。木製ですし、今から予備部品を作っておきますよ。雑木ならたくさんありますしね」
さすが山奥の集落の住人だなあ……と感心するゴパルだ。自作スキルが高い。
種子から取り出した豆だが、生豆にするためには乾燥させる必要がある。ネパールでは雨期が終わったのだが、時々雨が降ったりするため注意すると答えるシャムだ。
カルパナが気楽な表情で微笑んだ。
「二週間くらい乾燥すると生豆の出来上がりです。できれば、一週間くらい前にポカラへ売りにくる日時を知らせてくれると助かります。代金を用意しないといけませんしね」
シャムが了解した。
「分かりました。プラガティナガルへ用事がある人に頼んで、電話屋からかけてもらいます」
プラガティナガルからカウレ村までは、今回歩いて三時間かかっている。ネパールの田舎としては、これでも便利な方に属するだろう。八時間以上かかる村もかなり多く、泊りがけで行く必要のある村もある。
カルパナが穏やかに微笑んで、小さなリュックサックの中からコーヒーミルと焙煎器、それに脱脂粉乳と砂糖を取り出した。
「せっかく皆さん集まっていますし、コーヒー休憩でもしませんか?」
カルパナはポカラから生豆も持ってきていたのだが、今回はシャムが家に保管している村の生豆を使う事になった。シャムが照れながら恐縮している。
「雑な保管しかできませんので、かなり劣化しているんですが……使ってください。カビは生えていませんので、お腹を壊す心配はないかと」
気楽に応じるカルパナである。
「私も焙煎や粉挽きの素人ですよ。ええと……子供を含めると三十人くらいかな。頑張って焙煎しますね」
結局、カルパナだけでは間に合わなくなったので、シャムやゴパルも小さなフライパンを使って生豆を焙煎する事になった。
三十人前なので、コーヒーの香りがシャムの家の前庭に広がっていく。グラスやコップが足りないので、村人が自身の家から持ち寄って数を揃えた。
焙煎だが、素人なのでどれも黒焦げ寸前である。シャムも苦笑しながらコーヒーミルに移すのを手伝う。
「ははは……難しいですよね。毎回失敗してますよ」
カルパナがコーヒーミルのハンドルを回して、焙煎した生豆を粉に挽いていく。
「直火で煎っていますから、ちょっとした火加減の差で焦げてしまいますよね。ですが、煎りたてのコーヒーって良い香りがしますから、懲りずに何度も挑戦してしまうんですよ」
ゴパルがフライパンで焙煎を続けながら、意外そうな表情をした。
(へえ……カルパナさんって紅茶党だとばかり思っていたけど、コーヒーも好みなんだ)
粉に挽いたコーヒーは、すぐにヤカンに入れて水を注いでからカマドの火にかけていく。ヤカンもシャムの家にある数では足りないので、持ち寄りだ。燃料には乾燥した牛糞や、トウモロコシの茎、家畜に与えた木の枝の食べ残し等を主に使っている。
申し訳なさそうにシャムが弁解した。
「いつもは家で独り暮らしなので、薪集めに行かずにサボっているんですよ」
シャムの家族はワリンやプラガティナガルに移住しているので、普段はシャムが一人で家の手入れや農作業をしているらしい。さらに国外へ出稼ぎまでしているので、同情するゴパルだ。
(カウレ村は涼しくて水もあるけど、やはり道沿いの町で暮らす方が便利なんだろうなあ。病院や居酒屋もあるしね)
ヤカンからコポコポと沸騰する音がしてきたら火から下ろして、グラスやカップに注いでいく。フィルターが付いていないので、粉も一緒に注がれてしまうが仕方がない。
最後にカルパナが持ってきた脱脂粉乳と白砂糖を加えて完成だ。村人に振る舞われて、歓談の輪が広がっていく。マガール語なのでゴパルとカルパナには聞き取れないようだが。
ゴパルがコーヒーを一口すすって、満足そうな表情になった。粉は大半がグラスの底へ沈んでいるのだが、液面に浮かんでいるモノも多い。構わずに飲むゴパルである。
「トルコ風の飲み方ですね。油分が感じられて好きなんですよ」
一方のカルパナは、子供達に注意を与えていた。苦いので少量で味見してもらい、飲むかどうか決めてもらっている。ほとんどの子供は、ギャーと叫んで逃げ散っていくようだ。
味見用の使い捨てスプーンを交換しながら、苦笑しているカルパナである。ネパールでは他人が口をつけた飲食物は摂るべからず、という慣習がある。
「こうなりますよね。あはは」
コーヒーの苦味を嫌うのは女性を中心にして結構いるので、湯を足して薄めてから脱脂粉乳と砂糖を多めに加えている。それでもダメな人が居るようだが。
カルパナがリュックサックの中から、ティーバックの紅茶箱を取り出した。
「チヤにしましょうか」
ほっとするゴパルだ。コーヒーをすすりながら生豆の焙煎を続けていたのだが、その手を休めた。
「助かります。三十人前はキツイですよ。人数が減るのは大歓迎です」
結局、焙煎した生豆は十数人分に留まった。ようやく落ち着いてコーヒーをすするゴパルに感謝したシャムが、カルパナに真面目な表情を向ける。
「カルパナ様。コーヒー生豆の買い取り契約の事なんですが……カウレ村全体と契約する事はできますか? 仲買人が意地悪をしてきまして、困っているんですよ」
コーヒーに限らずほとんどの農作物では、民間の仲買人業者が農家を回って収穫物を買いつけている。政府が買い取るのは米や大豆ぐらいだ。
元々カウレ村は仲買人に買い叩かれて、安くでしか卸す事ができなかったそうなのだが、コーヒーではさらに酷い状況になっているらしい。
話を聞いて真面目な表情でうなずくカルパナである。
「分かりました。ラビン協会長さんと相談してみますね」
そう答えてから、厳しい表情のままで告げた。
「ですが、一度でも契約違反をしてしまうと、もう二度と再契約できなくなります。絶対に仲買人さんに売らないようにしてくださいね」
シャムがビシッと背筋を伸ばして答える。
「ハワス。今もカウレ村に残っているのは、気心の知れた友人ばかりなんですよ。契約は守ります」
カルパナが表情を緩めた。
「基本的に固定価格での全量買い取りですが……ホテル協会の基準から外れた農作物の転売は黙認されています。仲買人さんには、それで我慢してもらってくださいな。ワリンやプラガティナガルの町で、シャムさんの知り合いが規格外品を売るのも良いと思いますよ」
実際の交渉については、協会長とシャム達が話し合って決める事になるため、今はここまでの話に留めておくカルパナであった。シャムも了解して、仲間の農家達とマガール語で話し合い始める。
ゴパルがコーヒーをすすりながら、感心してカルパナに話しかけた。
「さすが、ホテル協会と実際に契約しているカルパナさんですね。言葉に説得力がありました」
コーヒーをすすりながら照れているカルパナだ。
「利害の衝突がよく起こるんですよ。ビシュヌ番頭さんが調停役で走り回っています。ラビン協会長さんって交易民のタカリ族ですから、本当に油断できないんですよね」
商売に長けている民族は、他にネワール族やライ族があるのだが、独自の融資機関まであるのはタカリ族だけだ。一般の銀行を介さない手形決済システムまである。
この他にはイスラム教徒も信者向けの金融システムを有しているため、共に政府から睨まれている状況だ。
シャム達の相談はすぐに終わった。
「想定内の契約になりそうですね。ですが、現状では見ての通り肥料不足が深刻です。生産量はそれほど多くならないでしょう。出稼ぎを続けないと生活できませんし。まずは一歩ずつ、コーヒーから始めてみます」
ゴパルがシャムに聞いてみる。
「シャムさんの仲間でスマホを持っている人は居ますか? 居れば、各種の情報を流すのですが」
残念ながら居ないようである。恐縮しているシャムに気楽に話しかけるゴパルだ。
「気にしないでください。では紙に印刷して渡しますね」
その提案に口を挟むカルパナだ。
「紙の情報を読むのも大事ですが、せっかくですのでパメに誰かを寄越しませんか? 一週間も居れば、基礎的なKLの使い方を習得できると思います。固定種の野菜の種や苗もありますし」
なるほど、と納得するゴパルだ。
「そうですね。実際に作業した方が理解が深まりますよね」
感謝するシャムである。
「ありがとうございます。出稼ぎの合間に誰か送ります」
軽く肩をすくめて、いたずらっぽく微笑むカルパナだ。
「実は農作業をする人手が足りないんですよ。私の方も助かりますので、そんなに感謝しないでくださいね」




