カウレ村へ
カウレ村への山道は予想通りかなり険しいものだった。南斜面をひたすら上っていく道で、ジヌーからセヌワへの道が延々と続いている印象である。
セヌワでもそうだったのだが、ここも耕作放棄地だらけだ。比較的舗装道路に近い場所ではそうでもないのだが、コーヒー農家が多い。
道沿いにあるコーヒー農家でコーヒーの収穫作業をしている作業員に、シャムが手を振って挨拶していく。ゴパルも軽く手を振りながらシャムに聞いてみた。
「シャムさんの知り合いですか?」
シャムが照れながらうなずく。彼はインド方式の首振りはしないようだ。
「はい。カウレ村やその近くの村の幼馴染です。国外へ出稼ぎしても儲かりにくいですからね、地元で仕事を探す人が増えているんですよ」
インドは宇宙エレベータ建設関連で好景気なのだが、インド政府はインド国民へ優先的に仕事を斡旋している。
モルディブ政府はイスラム教徒の出稼ぎを優遇しているため、出稼ぎネパール人の多くが仕事に困っているらしい。
「インドネシアでも宇宙エレベータを建設していますけど、世界中から出稼ぎが殺到しているので手続きが難しくなっているんですよね。困ったものです」
ゴパルが興味深く聞く、と同時にシャムの言葉遣いが丁寧な事にも驚いている様子だ。まともに話すのは実はこれが初めてだったりする。
カルパナもゴパルの隣を歩きながらシャムの話を聞いていたのだが、表情を曇らせている。
「どこも出稼ぎ先が減って困っていると聞きます。パメやナウダンダ、チャパコットに農家が戻ってきたのも、つい最近ですし」
ゴパルが思いつくままシャムに聞いてみた。
「シャムさんはマガール族ですよね。グルン族みたいに軍や警備会社で働いて、お金持ちになっている人は少ないんですか?」
シャムが少し考えてから苦笑して答えた。
「ワリンやプラガティナガルには多いですね。ですが、私の村の周囲では居ません。内戦時に王政側についてしまったせいかも知れません」
今のネパールは立憲君主制ではなく、連邦共和制だ。米国の州と日本の道府県との中間のような感じで地方政府が機能している。
ポカラ市やレカナート市があるカスキ郡のように裕福な地方であれば色々とできるのだが、貧しい地方では難しい。
ゴパルとカルパナが申し訳ないような表情になった。どちらも内戦時には王政側についていない。
シャムが気楽な表情で笑い、背中に担いでいる古びたリュックサックを揺らした。買い物がゴソゴソと音を立てる。
「王政時代も今も、生活は変わっていません。お気遣いなく」
山道を上るにつれて風景が荒れた森に変わってきた。薪取りや放牧も行われているのだが、森による浸食の方が上回っている。昔は段々畑だった農地が森に飲み込まれていて、放棄されて朽ちている家や小屋が目につくようになってきた。
土壁が崩れ落ちて土の山と化した農家を通り過ぎながら、シャムが世間話をするような気楽な口調で話す。
「道路網が整備されてくると、道端へ引っ越す人が増えるんですよ。仕事も探しやすくなりますしね」
ゴパルが山道の斜面を見上げながら内心で同意した。
(こんな急峻な山だしね。畑仕事は大変だと思う)
でも……と垂れ目をキラキラさせて森の木々を見た。
(菌やキノコの採集をするには良さそうな場所だなあ。低温蔵の仕事が落ち着いたら、また来てみようかな)
隣を歩いているカルパナが、クスクス笑っている。
「ゴパル先生。考えている事が丸分かりな表情になっていますよ」
しばらく歩くと森から抜け出た。いきなり眼前に巨大ながけ崩れ跡地が広がる。一ヘクタール以上はあるだろうか。ガッサリと山腹が削り取られていて、比較的崩落の少ない場所に細い道ができていた。
しかし、ゴパルやカルパナにとっては見慣れた光景のようである。特に驚く様子も見せずに淡々とがけ崩れ跡地を横切っていく。
シャムも普通に歩きながら、それでも用心深く崩壊斜面の上の方を見上げている。雨期が終わって間もないので、崩落や落石の危険性がまだあるためだ。
崩壊地の中央付近では大きな沢ができていて、泥水が勢いよく流れていた。こぶし大の石もガラガラと音を立てて落ちてきて、泥水に飲み込まれて流れ落ちていく。沢を横切る形で倒木が渡されていて、その上を歩いて沢を渡る。
その倒木の片面が黒く焦げていたので、ゴパルが聞いてみた。
「がけ崩れの原因は、もしかすると森林火災ですか?」
素直にうなずくシャムである。
「はい。落雷で火事になったと聞いています。よく落ちるんですよ」
シャンジャ郡のある山間地はマハーバーラット山脈の一部で、標高二千メートル級の山が連なっている。
その山脈の南はブトワルがあるテライ平原になり、その先はインドのガンジス河流域の大平原だ。ガンジス河を越えて吹いてきたモンスーンが最初にぶつかるのが、この山脈である。大気が不安定になりやすいので、雷が落ちやすいのだろう。
崩壊地を越えてさらに山道を上っていくと、壊れていない農家と段々畑が見えてきた。気温も涼しくなってきて、風が心地よい。
顔を上げると尾根筋が見えるようになり、それに沿って集落が点在している。屋根が樹脂製の波板らしく、日の光を反射して鈍く光っていた。尾根にそって森が広がっている。
(この辺りの尾根は標高1500メートルくらいの印象だな。暮らすにはちょうど良い気温の場所だよね)
山道を上っていくと、尾根筋だと思っていたのは山の中腹だと分かる。その上には標高二千メートル級の山脈がそびえ立っていた。
なるほど、とうなずくゴパル。
「これなら水には困らないかな。北風も防ぐ事ができて良い場所じゃないですか」
シャムが照れた。
「あはは。そう言ってもらえると嬉しいですね。ワリンやプラガティナガルよりも良い気候ですよ。雪や霜の心配もありませんし」
この辺りまで来ると、シャムの知り合いばかりになるようだ。牧童にも声をかけてマガール語で何か話している。
段々畑もしっかりした造りになり、丈夫な石垣に囲まれていた。放牧されている牛や山羊が畑に侵入しないようにするためだろう。こういう厳つい見た目の段々畑は、ガンドルンやセヌワでもよく見かける。その昔は、城塞というか山城のような役割も果たしていたのだろう。
今の時期はコーンを収穫したばかりのようで、粟やシコクビエの収穫も終えてある。水田も小規模だがあるようだ。稲の切り株を見て、山米だなと直感するゴパルである。
一方のカルパナは気の毒そうな表情になっていた。尾根筋に広がる民家数と段々畑の総面積を見て、暮らし向きを理解した様子である。
「これでは食料不足になりますね。出稼ぎをする理由が分かります」
シャムが真面目な表情でうなずいた。
「はい。カウレ村を通る尾根道は、塩の道の一本だったそうなんですよ。ワリンやプラガティナガルは谷間の町ですから、洪水や土砂崩れで通行できなくなる事が多かったようで、その迂回路ですかね」
塩の道は、今は閉鎖されている。
そのような雑談をしながら歩いて、カウレ村に到着した。もう夕方近くになっているが、早速作業に取り掛かる事にする。
リュックサックをシャムの家に置いてから、カルパナがカウレ村の人達に合掌して挨拶をした。
「初めまして。カルパナ・バッタライと申します。ポカラのパメで農家をしています。もう夕方近くになってしまいましたね。遅れてすいません」
村人はネパール語が理解できるようなので、シャムによる通訳は不要だった。カルパナがオリーブの挿し木苗を手にする。
「最初に苗を植えつけましょうか。その後でコーヒーの果実を臼で挽いてみましょう」
村人がシャムも含めて一斉に答えた。
「ハワス! カルパナ様」
たじろぐカルパナを励ますゴパルである。彼もスマホカメラを取り出して撮影準備を進めている。
「私も手伝います。今日は私を助手だと思ってくださいね、カルパナ教授」




